足を引っ張るな
(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf)
Satoshi Ikeuchi:Atlanticというのは日本の『文藝春秋』に当たる。というかもちろん『文藝春秋』があちらを真似して作られたのだけどね。で、この件でも、文藝春秋の同じテーマの記事と比べてみな。全然違うよ。「欧米人は〜」と語る人は、まず日本と欧米の「同じもの」を比べてみたらいい。その差を感じたら、それをどう埋めるか。必死に考えないといけない。どの社会にもブレーキばかりかけている人は存在する。本人は一生懸命ペダル漕いでいるつもりなのだろうけれども。そうではなくて、それぞれの分野で先頭に立って走っている人の質と数を比べたら?ぼやぼやしてはいられない。
Akari Sasaki Iiyama:ご著書、拝読してないのでわかりませんが、法学やってる人間として、イスラム国が正真正銘の正しい伝統的イスラムであることは、痛いほどわかります。でも、これに打ち勝てるだけの新たなイスラム解釈を、今のムスリム社会が、イジュマー的に提示できるとは思えない。
Satoshi Ikeuchi:日本ではこの件に関してとりあえずマーワルディーの『統治の諸規則』の翻訳の1頁目から読ませる情報提供をしている。そこから始めるしかない。
Akari Sasaki Iiyama:でも、識字率があがって以降のアラブ世界で、他の追随を許さないベストセラーがコーランである、という事実が持つ重要性は、侮れない。
Satoshi Ikeuchi:問題はコーランでコーランを解するという形式がどんどん他の言語・文化からの解釈を不可能にして行くことだ。トートロジーが完結してモノローグになっていく。
(部分引用終)
池内恵先生のフェイスブックにコメントを記入される以上は、この程度のやり取りを拝見したいもの。こういう議論ならば、聞けるし読める。
太鼓持ちみたいな感想や、人気と学問的権威に乗じて自分もあやかりたいという姿勢が見え見えのコメントもどきや、いかにも基本的な勉強不足の書き込みや、他の宗教との比較を何度も持ち出して「相対化」させようとする態度は、第一に、池内先生の貴重なお時間を奪っているということに、まずは留意。次に、それが日本社会の知的低迷を生み、恐ろしいほどの停滞をもたらしていることに注意。第三に、ご自身が恥ずかしいという自覚の欠如を。
学会発表の準備をしていて、(また、あの低次元のコメントかぁ)と思うと憂鬱だが、十数年、これを経験してきた者として今更引き下がれないので、一つの雄弁な人生の失敗事例として見本を。
去年なんか、凄かった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)。会合開始の数十分前ぐらいに来て、コメンテーターの若い先生が、むしゃむしゃあんパンか何かを食べながら、私の苦心のレジュメ(?)を読み、(あ、この程度か)という表情をされ、本番では「当時の宣教師は、あまり大したことないと思っていたが、結構やっていたんですね」という意味の発言を。
一体全体、世界史と日本史というものを、どのようにお考えか。あの戦争で日本が敗北したのは、アングロサクソン、特に当時の英国の情報網と世界に広がる統治の経験を無視したからだ。米国の大国としての位置づけを狭い精神で見誤ったからだ。大真面目に竹槍で「鬼畜米英」と戦うつもりだったのだ。
当時のマレーシアは「英領マラヤ」だったんですよ、先生!しっかりしてください!