ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

知的レベル・アップを目指して

(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=pb&hc_location=profile_browser)


・欧米のメディアの中東バイアスなんてものは、気をつけていれば大したことはない。中東のメディアのとんでもないバイアス(誰もが知っているそれぞれの背後のスポンサーにとってその瞬間瞬間で都合のいいことを書く)や、日本のメディアの基礎的な情報・認識の乏しさ、柔軟性のなさは、遙かに、遙かにひどい。その差に気が遠くなります。なぜかというと、結局に日本に一定数以上のきちんとした読者がいないからです。市民社会が弱いとはそういうこと。


・また日本ではある国の専門家はその国の政権側の代弁者になることを生きがい、存在意義にすることが多く(なので説を批判すると「俺の生きがいを否定するのか」とまるで人格を批判されたかのように反発するので手に負えない)、しかもそういう姿勢があたかも対象に没頭した専門家として優れた姿勢であるかのような誤解が、メディア、世間一般にある。そのため議論が深まらない。


・「イスラーム国は真のイスラーム教じゃない」「イスラーム教徒一般に責任はない」という議論を超えて、「イスラーム教の教義のどこに過激主義を発生させる根拠があるのか?そこに取り組まないと根本的な解決はないのでは?」という、取り組みにくく、議論しにくい問題に取り組んでいる。


・欧米でこれが議論しにくいのは、宗教は平等だという原則が根付いていることと、少数派へのネガティブなステレオタイプを避けなければいけないという規範が広がっていること(不平等が存在しないということではないが、平等でないといけないという規範が優位のものとして存在していることは重要。そうでないと少数派の側が不平等の存在を主張する根拠もななくなる)〔ママ〕。


・よくある議論が、「彼らは近代的なんです!」といって、iPhoneも使ってるよとかマクドナルド行っているよみたいな事を書いて、だから宗教とは無縁、という議論をする。これは欧米の世俗化=脱宗教化の過程をイスラーム世界に当てはめた不適切な類推。


・ちなみにスマホの普及はあの中世的宗教規範を国是としているサウジアラビアで極端に早かったことは中東業界人だけでなくIT や広告マーケティングの世界の業界人にはよく知られている。日本なんかより遥かに早かった。

(部分引用終)

池内先生、書いてくださってありがとうございます!
ちなみに、これは日本向けのとても親切なお諭し教説。その具体的な事例としては、とっくの昔に、ダニエル・パイプス先生などのお仲間学者が、厳しくも格調高く英語(とフランス語)で議論してくださっていますので、どうぞ皆様、知的レベル・アップのためにも、是非とも.....ご覧ください(http://www.danielpipes.org/)。