ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

長崎原爆投下の日に

広島訪問(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)と長崎訪問(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)。原爆投下の問題については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160809)。
今日も午前11時2分にテレビ中継と共に黙祷した。
フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)からの転載を。

4 August at 11:45

アゴラ(http://agora-web.jp/archives/2027596.html


「自国の立場を正当化する国史に価値無しという暴論」
2017年08月04日
八幡和郎


・戦後の日本の歴史研究で、完全に欠落しているのは、日本国家の立場を強化するための「国史」であって、列島史でない国史こそがわれわれがいま必要としているものだと思う。
・戦後の日本史も東洋史も、学者たちは、一貫して、日本が再びアジアに進出して主導権を取ろうなどという気持ちを持たないようにするために構築されてきたと言っても過言でない。◆そして、東洋史は「中国から見た東アジア史」に「韓国朝鮮の歴史的妄想へのへつらい」という調味料をふりかけた珍奇なものになってしまった。そこに日本国家の立場の主張や擁護はつゆほどもない。(引用終)


← 私はその「日本が再びアジアに進出して主導権を取ろうなどという気持ちを持たないようにするために構築」された教育制度で育った世代。だから、政府系の業務でマレーシアに滞在した1990年代前半の三年間、本当に困惑させられた。論文を書きたくなかったのは、それが原因の一つ。イデオロギーが変わる時期を見計らっている。今、現役のマレーシア研究者の一部は、失職するかもしれない?!

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO19546310S7A800C1000000/


「暑さ対策はモスクでお昼寝 インドネシアジャカルタ
2017/8/5 6:30
日本経済新聞 電子版』


27年前のクアラルンプールのモスクでも、金曜礼拝のお祈りの後で、おじさん達が大理石の床に寝転んで休んでいた。
マレー人の学生達(全員ムスリム)に日本語の例文を示したら、とても受けたことを思い出す。
「金曜日には、お祈りの後、モスクで寝ます」。

Satoshi Ikeuchi
2 August at 17:49


#文学部の授業がずっと後になってから本になっていた


シリーズの続き。
学部の時のもう一人の先生(なにしろ先生が二人しかいない最小単位学科ですから)は、神秘主義と哲学の研究者。ガザーリーの『哲学者の自己矛盾』に対するイブン・ルシュド(アヴェロエス)による反論の書『矛盾の矛盾』。
授業で原文を英訳を盗み見ながら(それでも意味不明)チクタク読んだわけですが、なにしろ何年もかけてやっている授業の一部なので途中から始まって途中で終わるので何が何だかわからない。ですが数年後に本文を一人で読んで見たら、よく分かりました。なぜだろう。
忘れた頃にこれも翻訳が出ていました。今考えてみると定年よりも前なので、竹下先生はけっこう勤勉だったのですね()。

(部分抜粋終)

朝日新聞』(http://digital.asahi.com/articles/DA3S13062978.html?rm=150


(ひと)森本公誠さん 「イスラム帝国夜話」を訳した東大寺長老
2017年7月30日


「権力者に献金してお前を退ける」と宰相を脅す男、敵対する男の領地を様々な計略で奪った徴税担当者、冒険の末に宮廷女官と結ばれた反物商人……9〜10世紀のイスラム社会の逸話約660点をほぼ完訳し、上下巻1108ページの大著(岩波書店刊)にまとめた。
 30年前、母校の京都大学で初期イスラム史を教えてい た時のテキストだった。千一夜物語の元になった話もあり、「人間の本質を掘り下げた本ではないか。いずれ全訳する、と学生たちに宣言したが、ここまでかかった」。
 軍人の子だったため、戦後生活が窮迫。「ここなら学問ができる」と知人に勧められ、15歳で東大寺に。違う宗教の視点から仏教をみつめたいとイスラム研究を志し、エジプト・カイロ大学に留学した経験もある。
 2004年から3年間、寺のトップ、別当を務めた。創建主・聖武天皇の事績を追い、450ページの本を出したり、奈良・東京で100回の講演をしたりと、多忙な中の訳業だった。
 「夜話」は激動の時代に生まれ、作者の官吏も左遷の憂き目にあった。「出世の教訓話を集めようとしたのに。時代にどう対応するかを学べる本かもしれない」
 今、過激なテロがやまない。「彼らはコーランを都合よく解釈し、悪魔の書にしてはいないだろうか」と憂えている。
 (文・小滝ちひろ 写真・安富良弘)

(引用終)

Satoshi Ikeuchi
2 August at 17:26


かなり以前に、おそらく京大などの講義向けに作られたものだったと思うが、この本の翻訳の草稿を見せられたことがあり、完成と刊行に向けて何かお手伝いできないか、という話があったのだが、結局私はあまりにも忙しく、また中世の文献考証のお手伝いする能力もないので何もできなかったのだが、森本先生はご多忙の公務から徐々に距離を置いて、着々と進めておられたのだった。

↑昨年11月に、東京の変な会合で、池内先生と共にお目にかかった。一期一会。
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161126

(転載終)

Satoshi Ikeuchi
2 August at 17:32 ·


・東大文学部時代に中東に関するあらゆる授業に出ていた頃に、ちらっと聞きかじった研究途上の話が、最近本になって形になることが多い。文献学の先生方が定年になってから20年ぐらいかけて翻訳を出す。その準備がてらおこなっている授業は、専門でその分野をやる大学院生以外にはかなり意味不明なんだが・・・東大文学部にはそれが許されるということで良いのではと思うが、このやり方を全国の大学の文学部でやると風当たりが激しいんだろうな・・・
・これに訳者の徹底的な考証やら先行研究の網羅的検討やら地図を含めた注やら文献リストやら凡例やら索引やらがついて、邦訳書の大部分を占めているのです(第1巻1ー17頁と38−422頁、第2巻1ー17頁と34−374頁)。
いやーこういうことをやっていられる、いい時代もあったもんです。

(部分抜粋引用終)

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3 August at 14:03


Satoshi Ikeuchi
2 August at 19:26


イブン・ハルドゥーン『歴史序説』にはもちろん森本先生の訳があり(岩波書店が文庫の版を切らせているのはなんとかしてほしい)、これに日本サウディアラビア協会から非売品で出て大学図書館などには入っているイブン・タイミーヤの『イスラーム政治論:シャリーアによる統治』(湯川武・中田考訳、1991年)を中田考さんが改訳作業しているらしき情報が電波に乗ってやって来たので、それが出ると基本的な道具は日本語で揃うのではないか。

Satoshi Ikeuchi
2 August at 18:50


・大事なものを忘れていた。文学部時代にはイスラーム政治思想の授業はなかったので、肝心な部分は独学だったのだが、基本であり今でもスタンダードであり続けるマーワルディー『統治の諸規則』の日本語訳は、慶應義塾大学文学部教授の湯川武先生によるものが、歴史学者の学会「日本イスラム協会」が出す学会誌『イスラム世界』に、1981年から1989年にかけて飛び飛びで連載されたものがあった【書誌情報:第19号(1981年)、第22号(1984年)、第27/28号(1987年)、第31/32号(1989年)】。


・この学会誌のバックナンバーを、冷房がなくて暑い文学部図書館の書庫から引っ張り出してきて、現地で買ってきた原文と照らし合わせて読んでいたのだが、ずっと引っかかっていたところが第1章の冒頭近くに引用されるハディース。当時の訳文では抽象的すぎてよく分からない。


・しかし、当時の学会では(日本であれ外国であれ)、あくまでもこういったイスラーム政治思想のテキストは現実に政治思想としてどう機能するかではなく、中世史学の対象として研究されていたので、私の疑問は学問的にはrelevantではないと思われた。しかし謎は残った。


・専門を近現代の政治と思想に絞り込んだ大学院生活の締めくくりに、2001年3月に「イスラーム世界における政-教関係の二つの次元」という論文をアジア経済研究所の叢書『民族主義イスラーム』(酒井啓子編)に載せたのだが、そこで現代の話なのにどこまでも遡ると中世の政治思想に遡って議論せざるを得ず、学部時代から引っかかってきたマーワルディーの原文に再会して、中東の政治の現実を散々見てから読み直すと、途端に意味がわかった。学会誌に掲載されていた訳文とは異なる訳文を示して議論を進めた。目的はもちろん訳文の間違いを指摘することではなく、新たな訳によって、スンニ派イスラーム政治思想の理想と現実の折り合いのつけ方の典型的なあり方がここにあると示すことだった。このハディースの、この文脈での適切な読み方を示すことは、スンニ派イスラーム政治思想の特徴を最もよく表すことになると思われた。それも当然で、マーワルディーが冒頭であえて曖昧なハディースを示すのは、それによって何か大きな課題に取り組もうとしているからである。衒学的に謎めいた引用をしているのではない。統治者の「義務」と「責任」の取り方(来世/現世)、一般ムスリムの政治に関する限定的な義務と来世における絶対的な公正さ、それによって保たれる現世の不十分な人間の秩序の暗黙のうちの肯定、といった、言わなければならないが言いにくいことをハディースに込めてマーワルディーは示したのだろう。私自身は文献考証を目的とするのではなかった。イスラーム世界の政治的な規範が誰によってどのように定式化されたかが関心事だった。そのためにマーワルディーを読むときに、文学部の先生による訳業は不可欠だった。


・2006年に『統治の諸規則』の旧訳(学会誌に分載されていたもの)を歴史学者が集まって改定し、詳細な注を付け直して慶應義塾大学出版会から刊行した。1981年に最初の訳の最初の部分が刊行され始めてから25年たっていたのですね。


・その際に私も第1章の訳文校訂の分担を授かった。とはいえ、中世史学者ではないのでたいした考証もできず、ただし前述論文で明らかにした冒頭のハディースの改訳については指摘した。すると、思いがけず、湯川先生は「訳者あとがき」でかなりの紙幅を使ってこの部分の新たな訳文の重要性を、私の名を挙げて論じてくださった(674頁)。「歴史学者」としては改定作業に何一つ貢献できなかった私だが、政治思想研究者としての貢献を認めてくださったものと考えている。研究をしていて何か大きなことを成し遂げたとは言い難いが、この一つのハディースの意味することをイスラーム政治思想全体の特性と結びつけてこそ解釈できると発見したことは、今考えてみると私の数少ない業績の一つということになるのかもしれない。


・考えてみると私は湯川先生に直接お会いしてお話ししたことはない。どこかの会場で居合わせたことぐらいはあったかもしれないが。いろいろと話題に富む、豪快で愉快な方であると認識していたが、私の方でも事情があり、2001年に論文を書いて以来、とにかく忙しかったのである・・・湯川先生は2014年に亡くなった。


#文学部の授業がずっと後になってから本になっていた

Satoshi Ikeuchi
2 August at 18:16


締めくくりはこれ。アラビア語原文を、英訳の助けを借りながら読みましたが、これまた何年・何十年とやっている授業の途中ですので、テキストは途中から始まって途中まで、その年読み切れるところまで。なんとか部族がなんとか部族となんとかしてという話の連続に気が狂いそうになりましたが、その後かなーり後になって訳業が完成したようで、現代中東の授業などで背景の社会規範について知るための必読文献として示すことができるので大変有益です。これ読まずに現代イスラーム世界を理解するのは不可能でしょう。なお、アラビア語原文は、アラブ世界に行けば、文字どおりどこのモスクの前の書店でも売っています。今でも生きていて社会に影響を与えている文献なのです。


#文学部の授業がずっと後になってから本になっていた

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2 August at 18:23


[これ読まずに現代イスラーム世界を理解するのは不可能](引用終)
ハディースを全巻、読んでみた時には、忍耐力を試されることの連続だった。

Satoshi Ikeuchi
2 August at 17:59


【承前】・・・だんだん気が遠くなってきませんか。で、今年になってこれが出たときは、結構ウェブの書評サイトなどでも話題になっていたと思います。


・これらを見ると、文学部(系)の研究者の成果が明確な形になって出るのって、これまでは、定年後だったんですよね。そういうのが許される時代はとっくに終わってしまったわけですが。


・しかし、中国の「一帯一路」構想、インドの躍進、中東の資源、アフリカの開発がつながって、「インド洋海域」に注目が集まる今、これらの本は、ある程度ものをわかる人にとっては確実に「必要な」ものです。


・近代西洋の及ぼした影響が薄れるか吸収されると、歴史上長期間存在したつながりや交流圏が、再び活性化されるのでしょうか。


・19世紀から20世紀の短い期間に生じたことは、より長い歴史の中では例外なのかもしれません。そのような時、歴史研究は不意に「役立つ」ことが見えてきます。これから何十年かけて現象を見届ける際に、先行事例があって知っているのといないのでは、全く違うものが見えてきます。
このような歴史学の必要性は、かつては論証する必要がなかったのですが、今は論証する必要があり、そして論証しても容赦無く切り捨てられるというのが現実でしょうか。
将来に「必要だと分かった」分野については、もうこのような蓄積は望めないのかもしれませんね。


#文学部の授業がずっと後になってから本になっていた

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2 August at 18:23 ·



[文学部(系)の研究者の成果が明確な形になって出るのって、これまでは、定年後だった](引用終)
がんばる!

Satoshi Ikeuchi
2 August at 17:37


学部時代の恩師の定年退職後の元気な訳業。学生時代にこういうのがあったら楽でしたね・・・
しかし今現在のイスラーム教と近代をめぐる思想問題を説く鍵はすでにここに用意されているのであった。
これ読むと、最初から「詰んでいる」と知って頭抱えることになるが。しかし偽りの解決策を出し続け失敗し続けるより、絶望と当惑から始めた方がマシでしょう。大部分の「イスラーム論」は、前提を勉強していないので結論も経路も見当外れになる。


#文学部の授業がずっと後になってから本になっていた

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2 August at 17:48




「検討外れ」は「見当外れ」?
[偽りの解決策を出し続け失敗し続けるより、絶望と当惑から始めた方がマシ](引用終)


← だから、パイピシュ先生は最初から一人で楽勝組。しかし、アメリカのアカデミアは、学生運動を機に、逆の方向が社会的に主流になってしまい、それに従った人脈から、翻訳を通して日本に流れ込んだ。


You, Satoshi Ikeuchi and 1 other

池内先生、お久しぶりです。訂正、ありがとうございました。
2 August at 19:28

Satoshi Ikeuchi
2 August at 17:36


学部時代の恩師も授業から20年ぐらいたってから訳業を完成。
まあ訳があったら学生が見てしまうからゼミにならないわけだが。


#文学部の授業がずっと後になってから本になっていた

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2 August at 17:48


ガザーリーは、ダニエル・パイプス先生が学部時代に卒論で扱った方!
数年前、何を書かれたのかと質問したところ、卒論の一部を切り取って、私に教えてくださった。

過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140704)を参照のこと。

Satoshi Ikeuchi
2 August at 11:48 ·
NewsPicks



先般はジャカルタ知事への宗教的攻撃が司法によっても支持され選挙でも対抗勢力の結集軸になった事例が知られたが、今度はカリマンタン島ボルネオ島)の西カリマンタン州知事への攻撃。日本のメディアで地方政治の構図が取材されることは稀だと思う。

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2 August at 14:00


インドネシアは、本来のジャワ文化の穏やかさと、イスラミスト由来の攻撃性とが拮抗していて、相反する現象が同時に進行しているのが現状。このことは、何年も前のマレーシア研究会で発表者として、質疑応答の時に私は述べた。

(転載終)
ユーリ後注:私の上記発言については、コメンテーターとしてお隣に座っていたシンガポール研究で著名な田村慶子氏に高笑いされた。人の発言を嗤うのは言論の自由および表現の自由だが、公の場で高笑いするなら、その理由を述べよ、と私は申し上げたい。
その発表の事前に、「最近の論文を出せ」との仰せだったので、数十頁の英語論文を送った。当日、発表の直前に「よろしくお願いします」のご挨拶をした際、「あ、私、読んでない、読んでない」と慌てて繰り返したので、この時のことはよく覚えている。
余談だが、この先生は、それより前に開かれた研究会の時、ずっと日本に在住している私を、「たった20分ほどの発表のために、マレーシアから飛行機でわざわざ飛んできた人」だと虚偽の説明をして、研究会場の費用を格安に抑えたとも皆の前で公言していた。私に無断で、公の会場使用料について嘘の割引要求をした以上、公の立場なのだから、今からでも即座に公金で返済すべきである。(←レジュメの後ろに書いてあるので、証拠は出せる。)


野口雅昭先生を久しぶりに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=abu_mustafa)。

http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/5197022.html#comments


abu_mustafa
2017年08月09日 09:27


abu_mustafaと言うのが「ムスタファの親父」と言う意味であることが示している通り、これまでの人生経験からして、中東への愛が強すぎるのかなと反省しているくらいですが、その辺が記事に出ていないとしたら、人徳の至らなさのせいでしょう
それはともかく基本的な考えだけ述べておきます


・このブログは基本的に中東の政治、経済、国際関係に関するもので、社会面の問題は、大きな問題でない限り取り上げていない(毎日見ているアラビア語メディアにも社会面的記事はわんさとあり、スター欄などと言うのさえある)


・そちらもよくご承知の通り、現地情勢に関する情報は、それぞれの立場を反映して非常に偏ったものである場合が多く、当方としてはなるべく感情に流されずに、客観的な事実関係を伝えることを旨としている(いつもできているかは別)


・ご指摘の通り、何か事件が起きた後、どうなったかをフォローすることは極めて重要だが、これがなかなか報道されずに苦労することが多いが、なるべく努力している
先ほど書いた記事もフォロアップの一つです


推測はするな、とのおしかりですが、当方翻訳機械ではないし、当然必要があれば、何らかの解説なり、自分の意見を付け加えることになります。それに関しては、推測ですとか、具体的情報の裏付けはない、とかの注を付けています
もっと自分の見方を書けとのおしかりもある。


・もちろん書いた結果についての影響に対する責任という問題はあるが、事実関係を伝えるのが役割であれば、初めからその辺を考慮して「色のついた」情報を流すのは、それこそ重大な倫理違反でしょう

http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/5250118.html#comments


全く同じことがアルカイダについても言われましたね。アルカイダイスラエル等に対しては全く何もしなかったと思います。
ISに対する支援については、サウディ、トルコ、米、カタール、さらにはシリア政府(特にその情報機関)等多くの関与を疑う人がいるようですが、少なくとも私の知る限り、イスラエルの支援と言う話は初耳です。
事情はアルカイダも同じだったかと思いますが、イスラム過激派にとっては、イデオローギの建前上はイスラエルは重大な敵ですが、現実の世界ではスラエルが彼らにとって、現時点で差し迫った重要な敵にはなっていないからではないでしょうか?
特にISの場合、彼らの関心がイスラム世界の統一とそこからの欧米植民地主義勢力の排除であるので、まずはアラブ諸国内での軍事活動と欧米でのテロが重要で、イスラエルはその次に来る対象と位置づけられているからではないかと、想像します。
但し、単なる推測ですので、念のため

(転載終)