ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

賢く真摯に生きる

フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)からの転載を。

27 January at 22:23
ニューズウィーク』(https://www.newsweekjapan.jp/…/world/2018/01/post-9390_2.php


・90年代以降の大学院重点化政策により、博士課程修了者は激増している。1990年では5812人だったが、2017年では1万5658人に膨れ上がっている。
・高度経済成長期の1965(昭和40)年の博士課程修了者は2061人だったが、この年に発生した大学教員の需要数(当該年5月の本務教員数から、前年5月のそれを引いた数)は3037人。単純に考えると、希望者の全員が大学教員になれたことになる。
・大学院重点化政策が始まる前の90年では0.46だったが、2017年では0.07という惨状だ。最近では、14人に1つのポストしかないことになる。
悲惨な末路をたどる若者の増加国税を投じての無職博士量産、という弊害が出ていることを考えると、このような措置もやむを得ない。
・博士課程入学者は2003年をピークに減少の傾向にある。博士課程を出ても行き場がないことが知れ渡ってきたためだろう。
・雇用の流動化に伴い、再学習への社会人の要請も高まるはずだ。これからの大学院は、こうした欲求に応える「生涯学習」のセンターとして機能することが望まれる
(引用終)

(転載終)
ツィッターからも転載を。

https://twitter.com/chutoislam/status/956710879461965827

Satoshi Ikeuchi 池内恵‏ @chutoislam Jan 26
Satoshi Ikeuchi 池内恵 Retweeted SHIRATORI Junichiro


プロフィール見ると匿名だが「全国紙の記者」…「お勉強ができる」と「頭がいい」は違うとも書いている。「お勉強なんてくだらねえものはできねえが俺は頭がいい」という認識なのだろうな。修士課程からは偏差値も関係ないので、「お勉強」ではなく「頭の良さ」「真摯さ」が問われていく
11:10 AM - 26 Jan 2018

(転載終)

簡単に纏めてしまえば、日本の高等教育政策(博士学位の需要と供給問題)が、1990年代以降、間違っていたということになる。当時メディア等でよく聞かされていたのが、「諸外国では博士号取得者が多いのに対して、日本は少ないから増やせ」ということだった。しかし、大学教育に関して、日本の現状と諸外国(欧米先進国と旧植民地の途上国)とではそもそも合致しない面が多かったのに、形だけ揃えようとしたところに無理があったのではないだろうか。
池内氏がツィッターで書いていらっしゃるように、「『お勉強』だけできてもねぇ」という世間の暗黙の評価の方が恐ろしいし、ある意味では真っ当な判断ではないかと改めて思う。
関連するトピックについては、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)をどうぞ。