ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ポーランドでの復権と日本

https://twitter.com/ituna4011
Lily2 @ituna4011
朝日新聞の大研究』 (扶桑社)(http://www.amazon.co.jp/dp/4594041140/ref=cm_sw_r_tw_dp_zvcDub0V19KN8 …)が、とてもきれいな中古で届いた。

そして、素晴らしい貴重な映像を昨日見た。84分35秒。英語とポーランド語(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141102)。

http://www.danielpipes.org/15207/russia-middle-east-tour-dhorizon

特に1分20秒から26秒辺りの親子ツーショットが感慨深い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121231)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130104)。現在、お父様は91歳。
ドイツ語情報に通じていたため、第二次世界大戦直前にナチの迫害を逃れて去ったポーランド。この度、生まれ故郷のCieszynに戻り、親子で講演会。ご夫妻共に、合衆国での知的および政治的な貢献が認められてポーランドでの市民権を取り戻し、息子さんも孫娘さんも、今では晴れて立派なポーランドの市民(http://www.danielpipes.org/14259/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140327)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140707)。
この二日後、去って75周年の記念日に合わせて、ワルシャワを訪問されている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141101)。これも、ダニエル先生から、時差勘案の上、当日付のメールでうかがっていた。私達が交換したメールの一部を転写する。冒頭はダニエル先生、以下は私の文である。

> I am in Warsaw with him today, the 75th anniversary to the day that he escaped this city.


I immediately opened his book “Vixi” and found this sentence:

‘We were to depart at 5:49 A.M. on Friday, October 27, on the first train to leave Warsaw since the Germans had occupied the city.’ (p.11)

Vixi”については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141007)および映像(http://www.booknotes.org/Watch/179455-1/Richard+Pipes.aspx)を。
ちょうどその日、偶然にしてはでき過ぎなほど、本当に久しぶりに、ドイツ系ポーランド人のクリスチャン・ツィメルマンを聴きたくなって、ポーランドの作曲家ルトスワフスキhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090321)とバチェヴィチと合わせて、ずっとCDを聴き続けていたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141027)。
ポーランドの経済的文化的発展は、居住していた約300万人のユダヤ人の貢献なしにはあり得なかったと言われる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120827)。ポーランドでの資産も思い出も親戚友人も捨て去るを得ず、イタリア、スペイン、ポルトガル、カナダを経由して十代半ばでアメリカに渡り、ゼロから生活を築きながら「アメリカ人」となって、受け入れ国での人生を歩み始め、米国に多大な貢献をされたリチャード先生ご夫妻も凄いが、アウシュビッツ等のナチの負の遺産および共産ポーランド時代を克服しつつ、往年繰り返された反セム主義を深く反省して、新たな歩みを始めたポーランド側も本当に凄いと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20141029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20141110)。
家ではポーランド語を教わらなかったので(http://www.danielpipes.org/13558/)、ご長男のダニエル先生は、リチャード先生がポーランド語でおっしゃっている話を通訳で聞き取っていらした。私が「お父様のポーランド語を英語で理解したいのですが、字幕かトランスクリプトはありますか」と申し出たところ、「凄いアイデアだね、考えてみるよ」と、今朝早く、お返事が届いた。
ちなみに、パイプス家の歩みがきっかけとなり、かなり多くのアメリカ在住のポーランドユダヤ人が、ポーランド市民権の再申請を始めたそうである。恵まれた立場にあるパイプス家が模範として先導を切ることで、他の同じ境遇にあった人々にも便宜が与えられる道が開ける。
繰り返しになるが、エスポジト教授やミアシャイマー=ウォルト両教授が盛んに述べ立てていた、イスラエルとの二重忠誠は(http://www.danielpipes.org/11775/)(http://www.danielpipes.org/11825/)(http://www.danielpipes.org/14741/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120803)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130121)、これで全く誤りであったことがわかる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)。
ところで、このような重要な史実の理解と現代的な意義について、自分が日本人であることが、いかにプラスに働いているかは、実に計り知れない。
日本とポーランドの歴年の良好な関係。コルベ神父など、アウシュヴィッツに抵抗したポーランド人が長崎で活動していたこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)。枢軸国でありながら、戦時中はユダヤ人に対して、ナチ・ドイツとは異なる対応を自主的に選択した日本人外交官と市井の人々(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130703)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130907)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140802)。原爆を投下されたが、大方の予想に反して速やかに立ち直り、すぐに活発に復興を目指して尽力した日本人の活力。
それに、日本列島(国土)と日本語(国語)が日本人のものであることは、水や空気のように当然であり、独自の文化と長い歴史を有するために、ポーランドの複雑な歴史、ユダヤ人と土着のポーランド人の間の微妙な宗教的民族的経済的な関係、イスラエル建国に際しての問題などについても、私情を交えずに客観的にまっすぐ理解することが可能である。
これは、言葉で表現する以上に、非常に恵まれた条件である。