ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

膨大なインプットの蓄積から

ハフィントン・ポスト』(http://www.huffingtonpost.jp
文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい
2013年10月22日


・文章を書くというのは100を1にする作業。
ライトノベルでさえ、メガヒットの裏側にはきちんとした情報収集。
村上龍は綿密な取材:「取材ノート」出版。一本の小説を書くために、著者は目眩がするほど膨大なインプット。
・一朝一夕で身につくものではない。知識は、息するように吸収し、血液のように絶えず自分の中を循環。
・「ビジネスパーソン」:知識を軽視しがち。問題を効率的に解決する方法や、アイディアの出し方......マニュアル化された「頭の使い方」をマスターすることに夢中で、知識の蓄積を後回しにしがちなようである。
・人が行動を変えるのは、心が動いたときだけだ。読んだ人を行動させることができなくて、なにが文章屋だ。誰かの人生を変えることができない文章に価値はない。
・人を引きつける文章、誰かの心に響く文章。たくさんのひきだしから多彩な知識。知識は短期間では身につかない。
・すぐには役立たない知識を、毎日1ページずつ蓄積していったとする。1年で単行本一冊分になり、10年で辞書一冊分。
・数十年後に百科事典一式に匹敵する情報を身につけるために、毎日少しずつ知識を蓄積。体に刻み込んだ知識は、一週間やそこらでキャッチアップできるような種類のものではなくなる。
・インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能。ゼロを1にするスタイルでは、すぐに終わりがくる。本当に必要なのは、100を1にまとめる能力。
・人の感情に触れることができなくて、なんのための文章だろう。すべての単語、すべての文に論理性と情緒性の二面がある。
・言葉の持つ情緒面に注目し、細心の注意を払って配列を決めていく。文章を書くのは、読者の脳をプログラミングする作業だ。他人の書いたコードを研究しないプログラマはいない。他人の書いた文章を学ばずして、文章を書くのは不可能だ。

(部分引用終)