ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ユダヤ暦の新年に向けて

結局、コンスタントに継続だけは心がけてきた学会発表を、今年の9月はお休みして(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120710)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)、長らく気にかかっていた作業に集中しました。残念と言えば残念ですが、短くも長い人生、中休みも時には必要です。
今日9月16日の夜から、ユダヤ暦の新年が始まります。Rosh Hashanaと呼ばれるそうですが、しばらく前に、イスラエルから輸入されたユダヤ暦のカレンダー(2年分掲載)を購入してあります。ダニエル・パイプス先生と間接的ながらも密接な知り合いになった以上は、いくらアメリカ国籍で一見世俗的だとはいえ、非常に誇り高いユダヤ系でいらっしゃるので、敬意を表する意味でも、カレンダーは重要だと思ってのことです。
この新年からヨム・キプール(贖罪日)までの10日間は、悔い改めの日々で、とても大切な時期なのだそうです。
というわけで、4月や5月頃から訳し始めて、再チェックをペンディングにしてあった訳文を、何とかユダヤ新年前までには全部送ろうと思って、学会を欠席して頑張りました。ここ5日ほどで、22本送った計算になります。
結局のところ、ユダヤ教が母体になってキリスト教が生まれたわけですし、イスラエル問題は、ムスリム国のマレーシアでも非常に敏感かつホットなテーマであり続けているので、学会発表を一度休んだからといって、広い意味では、研究活動そのものをサボったり、中断したという意味ではないのです。
ところで、パイプス先生に「今年はユダヤ暦の新年第一日は9月17日ですよね?」と書き送ったところ、「ユダヤ暦は夜遅くから始まるから、9月16日だよ」と。(カレンダーによれば、‘Rosh Hashana Eve’が9月16日で、‘Rosh Hashana 1st Day’は9月17日、とあります。)
ただ、そこで「イスラエル直輸入のユダヤ・カレンダーによれば」と、異教徒のくせに私が意地を張るなら、それこそ角が立つだろうと考え、ふと思いついて、日米間の時差のせいにしておきました。「あら、どうもごめんなさい。えぇ確かに、ユダヤ暦の祝祭行事が夜から始まることはよく承知しております」と書き添えた上で、「でも、時々メールの連絡で困るのは、時差なんですよ。東海岸の時間と日本では、サマータイムで13時間の違いがありますよね?先日の先生のお誕生日(9月9日)の時のように(私がメールを書いたときには確かに日本時間で9月9日だったけれども、先生がメールを受け取った時には9月8日でしたよね?)」と、苦し紛れの弁解を(というより、パイピシュ先生のメンツを立てたつもり?)簡潔に述べました。
そして、「では、ヨム・キプールが過ぎるまでのこの10日間(の悔い改めの期間)、翻訳提出は一時休止にしましょうか?」とお尋ねしました。
さて、そのお返事。「ま、どっちでもいいよ。この頃では、皆がいろんな時間軸で生きているからね。レヴィ君は律法を遵守するから、ウェブの更新はお休みする。だけど、第一日目からヨム・キプールまでは仕事日だから、訳文を是非送ってきなさい。僕は律法を厳格に守らない(not observant)」。
レヴィ君(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120604)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120630)はカナダ生まれだったようですが、成長してから家族でイスラエルに移住したそうです。聖書的な名字からも歴然としているように、正統派(orthodox)だとフェイスブックには自己紹介されていましたから、このお返事はまさに宜なるかな。そして、パイピシュ先生に関しては、これまたいかにも、という...。ただ、律法を守らないから真っ当なユダヤ教徒ではない、ということでもないわけで、過去の論考文を見ると、現代ユダヤ教(および将来のユダヤ教)の問題について、いろいろと書物を読みながら、先生なりに一生懸命考えていらっしゃることは、よくわかります。ユダヤ系の人々も、皆それぞれに大変なんだなぁ、とつくづく感じます。
一方、日本の大学や学会だと、もともと専門家が少ない上に、どうしても研究者の好みに合わせる傾向があり、特に外国人だから余計に、現実以上に真面目に聖書伝統を重視するか、あるいは特異な事例を殊更に取り上げるきらいがあるのかもしれません。
パイピシュ先生の場合は、ポーランドのご家系が「穏健なユダヤ教徒」ということでしたので...。でも、シナゴーグでキッパ姿だったり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120731)、別のキッパのお写真もありますし、政治的に保守派だとおっしゃるだけあって、やはり、伝統や歴史の上に培ったあり方を模索されているようです。とはいえ、ムスリムとの関係では、「ユダヤ教も、18世紀頃、律法と現実の生活との兼ね合いで議論があった。今では、ユダヤ教信仰は個人的なもの。イスラームも個人の信仰にならなければならない」というお考えのようです。
ついでながら、ヨム・キプールについては、過去のブログをご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090404)。今更ながら、パイプス氏のお名前がちゃんと記されていることに、この度の出会いの伏線が用意されていたかのようで、驚きます。
ところで、昨日、パイピシュ先生から「とても上手に英語が書けるね。あなたのメール短信が一番楽しいし、意見展開(evolution of mind)を楽しみながら理解しているよ」というお言葉をいただきました。素直に喜ぶべきなのでしょうが、正直なところ、内心、ちょっと複雑な気分。
だって....英語を学校で習い始めてから、かれこれ34年も!平均的な日本人よりは、確かに「できる」のでしょうが、そうはいっても、マレーシアとの触れ合いで相当崩れてしまっていますし、今でも毎回、小さな語彙選択ミスや文法ミスがあったりするので、冷や冷やものです。きちんとしたネイティブから正規に英語の特訓を受けたことがないので、本当に、自分でも嫌になってしまいます。でも、表現しなければ伝わらないし、細かいミスを気にするよりは、内容で勝負、とお許しを願っている次第です。
(とはいえ、かの緒方貞子先生だって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120420)、「アメリカでは英語に苦労いたしました。本当に習得するというのは、難しいものでございますねぇ」とあっさりおっしゃっていました。これは、ご自身の体験談を文字通り語っているというよりは、我々一般日本人に対する慰めとエールだと理解いたしました。そして、あれ程の方がこういうことを率直におっしゃるからこそ、知性の輝きおよび誠実さを感じさせられるのだと思うのです。それと、かなり前に、五嶋みどりさん(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110622)が「細かな演奏ミスを気にするよりも、全体の音楽性に集中するように」と、ヴァイオリンを習っている人からの質問に対してアドヴァイスされていたことを、密かに励みにしてもいますが)。
それに、意見展開とは言っても、自分自身の経験に基づく、極めて常識的な話ばかりで、専門家や一部のブロガーにとっては、(今頃、何を言っているの?)程度なのでは...。例えば、パイピシュ先生が大嫌いな「アラブの春」という呼称が、1968年の「プラハの春」を、(前提も社会状況も異なるのに)誤ってもじったものだとは、古くは高校の世界史で習ったところでもあり、近いところではミラン・クンデラの小説を読んでいた以上、私でさえ、誰の解説にも寄らずに直観が働き、同意するのは当然だという...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120204)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120622)。
まぁ、パイピシュ先生も、あちこちで「私は日本についてもリサーチした」と吹聴(?)されていた割には、日本人のことをあまり深くはご存じないのでしょうね。だからこそ、私に関しては、実力不相応に好意的に評価(?)していただけているという特権を賦与されているのでしょうが...。
英語については、小松達也氏もおっしゃっているように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120314)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120315)、「国産」である以上、完璧なネイティブレベルを期待するのがそもそも間違いなのであって、しかし重要なことは、コミュニケーションの本質や内容そのものを、文脈から正確につかみ、母語で的確に表現できるかどうか、なのだと割り切るしかありません。そのためには、自分の専門以外もできるだけ広く深く読み、ことばノートなるものを作って、日々努力を積み重ねる以外に方法はないのだ、と。しかし、いわゆる国際結婚組や帰国子女が本当に言葉のプロなのかといえば、自分で「できます」と言っている人ほど、文化読解力の点で、実は慢心してしまって全く使い物にならない事例をしばしば見聞するところから、我々国産組だって、引け目に感じる必要は全くないのでしょう。
最後に。まだ寒さの残る春頃に二度ほど、「これを日本語に訳してもらえたらわくわくするよね」と、遠慮がちに慎み深く依頼があった原稿(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)を、やっとの思いで、ユダヤ暦新年前に間に合うよう、再チェックして昨晩提出。(パイピシュ先生は、他の方も書いていらっしゃいますが、自分の仕事としての主張は、書く文章も強くてメディアでもはっきりしているものの、自分を理解してくれていると感じる人達に対しては、かなり控えめな態度なんです。これは私もびっくりしている点で、そのコントラストがまさに魅力というか、おもしろいところです。)当初は随分、訳すのが困難だった箇所が、この数ヶ月で、すっかり楽になっていることも発見。
すると、「信じられないぐらい素晴らしい!もし、自分が書いたもので日本語で見たいという原稿があるとすれば、これがそれなんだよ」と。
やっと新年前に、遅れに遅れたお約束が果たせました。どうぞよい時をお過ごしください。