ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ブログのパラダイム転換

英語ブログを二つ持っている。
一つはテーマを幾つかに絞った英語ニュース・コレクション(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/)、もう一つは、私のリサーチ・テーマに関連した英文投稿記事のアップや好きなクラシック音楽の映像アドレス、そして、ダニエル・パイプス先生の訳作りを始めてから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)集中するようになった、ご本人やお父様のリチャード先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%EA%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C9%C0%E8%C0%B8)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Richard+Pipes)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=Richard+Pipes)やお仲間学者などの映像アドレスを列挙したもの(http://pub.net.jp/itunalily/) だ。
後者については、昨晩、特に『シャロームTV』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140625)へのアクセス数が異常増加していたのをデータ分析で確認して、毎日つけているノートに数値を記入したところだった。
毎月使用料金も支払っているので、当然のことながら、ずっと続くものだと思い込んでいた。お知らせが来ていたのかもしれないが、広告だと思ってあっさり削除していたのだろう。最近は、見出しを分類し直して、英文和文ブログの両方で参考としてわざわざ映像検索アドレスが出るよう、表示までしておいたのだった。つまり、みっともなくても読みにくくても、後で自家用に印刷書籍化する時のために、ハイパーリンクをあえて使用せず、アドレス明示をしていたのだった。
それに、映像アドレスを列挙してはいても、ところどころ全部見終わっていない映像も何本かリスト化してあった。特にダニエル先生のおっしゃっていることは、英語そのものは難しくないのだが、その解釈が常に一般世論の一歩先を提示しているか、戦略的に他の専門家とは異なる持論を出すので、自分なりの理解咀嚼にはどうしても時差が伴ってしまう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140622)。アメリカとの物理的時差の他、英語メディアと日本語メディアの焦点の相違もある。かなり後になって再度見直すと、(なぁんだ、そういうことをおっしゃっていたのか。それなら合点がいく)ということが多い。だから、リストを消化できる日を楽しみにしていたのだった。
ところが、先程、新たな映像アドレスをアップしようと後者ブログを立ち上げようとしたら、何としたことか、「2014年6月30日をもってエクスポート機能を除く一切の機能を終了いたしました」のお知らせ。もしも前から気づいていたら、せめてPDFに保存し、紙媒体にでも印刷しておきたかったところだった。
今、ブログ閲覧は不可能になってしまったが、別ブログに複写して再度立ち上げるために、エクスポート作業を待っているところである。
それにしても残念極まりない。最初の立ち上げは、2008年1月に主人がしてくれたのだった。あの緑を中心とした色調とレイアウトは、主人の作品だった。私が話したり書いたりしていることを、家や研究会だけに留めず、広く世間に公表したら誰かの目に留まるのではないか、と。(実際、その通りになった。だから、パイプス先生達とも知り合いになって、今がある。)
以前からお知らせが繰り返されていたのに、なんやかんやで見落としていたのかもしれない。しかし、こんなに大事な心理的損失になるとは思っていなかった。新たなサイトに移行するとしても、その時間ロスはバカにならない。また、ここまで書いてきた映像アドレスの参考が、全く役立たずになってしまう...。
気分転換に、再び池内恵氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)のブログから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140613)、励ましになる文章の部分抜粋を。

http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-146.html
「日本の中東論のパラダイム転換(人間社会は進歩しない─ただ変わるだけだ)」
2014-06-30(Mon)


(前略)
日本での中東言説という私のかつての一つの研究テーマに関わるので時々戻ってきて見ている。


思い出せば、2001年の当時は、中東・イスラーム学会の大部分の人は、「イスラームは寛容だ、テロなんてない」と現実の認識を拒否し、「対テロ戦争」をやるブッシュ政権アメリカの方に問題の原因があるのであり、アメリカに非がある(この二つは論理的に別物ですが、たいてい渾然一体になる)と論じていた。
(中略)


そして、『世界』とか『朝日新聞』は、「アメリカに非がある」という結論さえ一緒ならば「良識派」なのかと勘違いして盛んに取り上げるので、今やそういう主張がすっかり権威になってしまっている。
(中略)


私の上の世代もその上の世代もそのまた上の世代も、まったく実際にアラブ世界で出されている新聞も読まず、テレビも見ないで勝手に「アラブの民衆」を代弁していた。
(中略)


2001年当時は、中堅以上の中東研究の人はたいてい左翼だった。年代的には、団塊の世代より下の、東大や外語大に入って極左の先生にオルグされて、他の大多数の学生たちは政治離れしている時代に、ある種のマイナー文化のサークルのようにして遅れてきた学生運動をやっているような人たちが、私の一回り上の先輩方だった。そういう人たちがなぜ中東研究を選んだかというと、欧米中心主義への対抗軸のよりどころとして「アラブ」や「イスラーム」に期待をかける、というのが表面上の論理だったが、その大前提には、日本社会の主流派に対するルサンチマンが濃厚に感じられた。個人史的には、抑圧的な父(の世代)への反発といったものもあっただろう。
(中略)


アメリカに行ったこともない人が多く、認識がかなりヴァーチャルなのである。
(中略)


ところが、2011年以降は、私と同じぐらいか、少し下の世代の中東研究の人たちが出てきた。その世代はかなりネトウヨ的な性格を帯びた人たちが多くなっている。こちらは反米右翼的な立場から、アラブ世界によりどころを見出そうとする。そこではアメリカから発せられる民主主義とか自由主義の説教には虫唾が走る、といった感情的な反発が見られる。
(中略)


自分だけは真実を知っている、という全能感を得ることが初発の欲求なんではないか、という疑いを禁じ得ない言動が日々に漏れ出てくる。若い時はみんなそんなものかもしれないけど、そのまんまの意識で説を立てて、それが専門家が少ないがゆえにメディアを通じて社会に流れてしまうのは、日本社会の中東認識と政治判断を誤らせる
(中略)


世界の諸悪の根源は米国だと、何らかの理由で(つらい生い立ちとか、抑圧的な親への反発とか、志望の大学に受からなかったとか、モテなかった学生時代とか、そういったことから抱いた日本のエスタブリッシュメントへの漠然とした反感とか、あるいはとにかく米国・日本政府に文句をつけることが存在意義になっている業界や企業に就職しちゃったからとか)で固く信じるに至ったとしても、アサド政権が反米だからと言って、反米ならなんでも正しいというところまでは退化しないでほしいものだ。それともそこまで追い詰められているのだろうか。
(後略)

(引用終)

このようなことは、池内氏だから書けることでもあるだろうが、実はマレーシア研究に関して、もう少し中和された雰囲気ではあるものの、似たような傾向を私は長らく感じてきた。
特に「遅れてきた学生運動」「欧米中心主義への対抗軸のよりどころ」「日本社会の主流派に対するルサンチマン」などは、東南アジアに関わっている人達の中にも散見される傾向があった。
今でこそ珍しくも何ともないマレーシアだが、私の少し上の世代の研究者は、「人の知らない国を自分は研究している」ということがステータス・シンボルになっているかのようだった。だから、私のような立場の者は、いつでもはみ出し気分を押しつけられていた気がする。「うらやましいです」「気づかなかった」と言われて、何のことやらわけがわからなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140107)。あるいは、「こっちの知らないことばかり毎回出すな」「コメントのしようがないんだよね」と睨み付けられたこともあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100716)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130906)。
方や、今や隠退された世代や、80代90代か既に逝去された年齢の研究者は、さすがに風格が違っていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071211)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140305)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140607)。教養の幅が異なるというのか、研究するということそのものの社会的責任をしっかり認識されていた。そして、名古屋にいた頃、私はそのようなご年配の先生方に励まされ、引き立てていただき、貴重な資料をお譲りいただいていたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110519)。ここまで曲がりなりにも継続してきたのは、まさに恩義を捨てられないと思っているからだ。ただし、ここ最近は、体力気力の温存のために距離を置き、他に関心のあるテーマへと視野を広げている。
自分のテーマをまとめるには、業績のためにラット競争をしながらではなく、自分が納得のいくような、自分だからこそ表現できるような、後まで参考として残るような形にしたいのだ。
そして、まさに池内氏が述べていらっしゃることを地で生きて来られたのが、ダニエル・パイプス先生だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%CB%A5%A8%A5%EB%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9&of=150)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%CB%A5%A8%A5%EB%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%CB%A5%A8%A5%EB%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%CB%A5%A8%A5%EB%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9)。もちろん左翼オルグの対極に位置する立場である。東部エスタブリッシュの家に生まれながらも「抑圧的な親への反発」などなく、極めて自由主義的に育ったらしい。例えば、今年の4月の過越祭の頃も、「家族とボストンに行くところなんだけど、もしかして一緒に来る?」などと、メールをくださった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。今思えば、遠慮せずに便乗してしまえば、リチャード先生やお母様にもお目にかかれた可能性がある。(このお母様が会長を務めるユダヤポーランド研究会なるものが、これまた非常に興味深くて、本当はブログなんて書いている暇がないほど、いろいろと勉強になるのだ。)だが、恐れ多くも親しくさせていただいて、光栄というより圧倒されてしまい、ちょっと遠慮してしまった。一人旅だったので、もし疲れて体調でも崩したとしたら、誰にも迷惑をかけられない、とも思い込んだからだ。
ただ、パイプス先生のお仕事だって、池内氏が手際よくまとめていらっしゃる背景さえ把握していれば、あとは根気と胆力と誠実な観察力と文章力とメディア出演の意志で、何とかなる側面が大きいことがわかる。案外に、常識的で平易で筋の通った論考なのだ。(時々、日本認識が混乱しているけれども(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140615)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140617)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140618)。あれは、アメリカ人の立場としては、絶対に公には認めないでしょうねぇ。最近も、懲りずに別の角度から探りを入れてみたが、戦略的沈黙を保っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130925)。つまり、黙っている時には、内心は「ちゃんとわかっているよ」ということなのだと理解している。)

それに、きちんと仕事をしていれば、いくら白髪が増えても、しばらくお呼びでなかったメディアからも、ちゃんとお声がかかっている。来年の旅企画にしても、念のために参加者の平均年齢や職業を聞いてみたところ、「そんなこと、僕は考えたこともないね!」と非常に前向きで、女性比率を上げるためにも参加してくれたらありがたい、との強いお誘いだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140606)。
とにかく何事も意志が先立つ。行くなら行くと決めて、治安や情勢悪化などは最終段階で企画者が専門的に決定するから、あれこれ迷わない。健康状態を整え、金銭面の準備をしっかりした後は、揺らがずに待つ。このようにして、人生も経歴も逞しく切り開いて来られたのだ。
このような人々が中東情勢に具体的に関与してきたのが、アメリカだ。私のような者でも、温かく寛大にもてなしてくださったのが、アメリカ保守派だ。繰り返しになるが、ニューヨークでの4月8日と10日の会合は、現実をまさに生きている人々の切実な関心が集約されたものだったのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140613)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140615)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140622)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140624)。そこに何ら違和感はなかったし、日本で噂されているようなおどろおどろしさもなかった。
最後に、まとめとしてキャノン・グローバル戦略研究所のサイトの引用を。

http://www.canon-igs.org/blog/security/


今週は再びワシントンに来ている。今頃東京は集団的自衛権をめぐる議論で大騒ぎだろうが、ワシントンでは一部の「アジア村住民」を除き殆ど議論になっていない。国連憲章主権国家であれば当然の権利、今更その是非を議論する実益はないからだ。その意味で、日本での議論は重要かつ必要だが、若干「周回遅れ」の気がする。
毎回痛感することだが、ワシントンはこのところ内向きだ。(後略)

(引用終)
「ワシントンでは....殆ど議論になっていない」「主権国家であれば当然の権利」「今更...実益はない」「周回遅れ」は、言い得て妙。
それに、ワシントンが「内向き」なのも、最新のパイプス映像(http://www.danielpipes.org/14530/dire-situation-in-iraq)からも納得がいく。「10年前からアメリカは、することはしてきた。そして全く失敗した。数兆ドル相当を費やし、数千人の兵士の人命を喪失し、ここまで現地の再生に賭けてきて、なおイラクやシリアがそういう状態ならば、我々は圏外にいて関与すべきでない」とはっきりおっしゃっている。