ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

居座る外国人教員の再考

結局は、古い概念のようだが国民国家を標準とし、国力の総体を考え合わせて、当該地域の中心となるべき国を設定し、国際秩序を保つことで世界の安定に寄与しようということなのだ。1648年のウエストファリア条約云々を盛んに持ち出していた大学の先生がいたが、理屈はどうでもよろしい。アジアでは日本が真っ先に近代化を遂げたという実績があるのだから、たとえ「皮膚の厚さだけの近代化」だと揶揄されようとも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140322)、「あなた方の西洋化は、所詮その程度なんですね」と言い返しておけば良い。
前回のブログで書いたことは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140322)、実は個人的な問題というよりも、今の日本を取り巻く喫緊の社会問題だと考えている。それは、当該の外国人教員について、もう10年ぐらい前から、さまざまな評価や評判を聞いていたからだ。
1.学生も卒業生も現役教員も誰もが言っていたのは、「あの人は日本語がわからないから困る」ということ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120425)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140315)。そのニュアンスは、平仮名も漢字も読めないとか、日常会話もできないということではない。日本の大学で日本人学生にいわば特殊な分野を教える担当なのに、学生評価でも「全然駄目。日本語がわかっていない」と文句を言われていたのを数年前に見たことがあるぐらいなのだ。つまり、実質的に日本人の役に立っていないということだ。通訳係をつけているらしいが、80代ぐらいの(今ご健在ならば90近くだろう)元卒業生の牧師夫妻が私に「その通訳を頼まれている人から実情を聞いてみたら?」とアドバイスされたことがある。よくある話で、本人よりもタクシーの運転手とか住み込みの家政婦をしている人の方が内情に通じているというケースの応用編だ。
2.同じ学部で教授をしていた日本人の先生が、結局は学内政争か何かで辞職したらしいのだが、ご本人曰く「日本の大学も変わらないと駄目だねぇ」と私におっしゃったのは、つい一年ほど前のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)。実はその教授の辞任により、勉強熱心な院生や若い研究者のお兄さん達が、とてもがっかりしていたのを私は知っている。せっかく「あの先生と一緒に勉強をみっちりとやろう」と意気込んでいたのに、そして意欲的な学会も立ち上げて軌道に乗せようとしていたのに、ひとたび研究室が学内になくなると、学会維持は難しくなる。しかし、外国人教員が任期制で帰国する制度があれば、こんな悲劇は発生しなかったのだ。よく、アメリカやオーストラリアなどで働きたいといって飛び立つ日本人がいるが、「あなたのせいで現地人雇用が一つ失われるのですよ」という助言もよく耳にする。当然のことで、迫害難民や経済移民や頭脳流出でない限り、日本のような安定して繁栄した国の国民の場合は特殊技能でもない限り、日本に住み続けて日本社会の発展に尽くすのが筋だ。
3.主人や私も、1990年代前半にそれぞれ、アメリカとマレーシアに派遣されて勤務していたが、任期が終了すれば速やかに帰国した。「だって日本人だもん」。アメリカで最先端の分野を学ばせてもらい、隣の州で研究所を立ち上げて現地採用し、日本の派遣元の企業とアメリカの橋渡し業務をこなして、帰国した主人。マレーシア政府と日本政府の連携によるルックイースト政策のために(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100309)、マレーシアに派遣されて、きれいな表現を使えば「現地の若者達に日本の大学で学んでもらい、マレーシアの発展に役立ててもらう」という趣旨で、日本語を教えていた私。つまり、主人と私はそれぞれに、本音も建て前も、相手国のための業務だったのだ。ひいてはそれが、日本にも益することが多い(だろう)という期待だったのだ。(そして、今まで続けているリサーチ研究も、マレーシアの人々に役立てていただくためでもあったのだ。)それから考えると、当該の「失礼な外国人教員」は、何のために(私の知る限り)10年以上、日本に住み込んでいるのかわからない。
4.表面的には、日本の大学で日本人学生に自分の民族宗教を教える、という建て前である。しかしながら、10年ほど前のプロモーション・ビデオでは、その先生が紹介した別の女性教員が「イエスはふしだらで身持ちの悪い人だと思われている」と堂々と抜かしていたので、主催者は不機嫌な表情だった。実を言えば、現在の聖書学の知見によれば、イエスはラビだったという(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111004)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130521)。その方が、新約文書にあるイエスと弟子達やその他の人々との問答も合点がいく。当時の社会階級の厳密だったユダヤ教共同体において、貧しき人々や病める人々が見放されていたので、ユダヤ教の一種の改革運動のような働きをラビのイエスが開始したのだという。この解釈は非常に整合性がとれていて、ユダヤ教徒キリスト教徒の和解および相互理解にもつながる。したがって、「ふしだらで身持ちの悪い」という描写が、どこから出てきたのかは不思議だ。仮にそうだとしても、ではなぜ、西洋社会に根付いたキリスト教が、あれほど社会を動かす原動力になり得たのだろうか?また、それは素朴なクリスチャンの信仰に対する冒涜にならないだろうか?
5.その外国人教員の出身国を旅行した時、ガイドしてくれた日本人男性が即座に「その人、日本で何しているの?」と嫌そうな表情を見せた。大学で教えている云々は、その際、関係がないのだ。それはそうだろう。その国では皆(その日本人ガイド氏も含めて)、年頃の自分の子ども達を国防軍に献げて、時には自爆テロにいつ遭うかわからない生活を強いられてきたのだから。(何をぬくぬくと日本で暮らしているんですか?)と疑問に思うのは当然だ。逆に言えば、不思議がられること自体、問題なのだ。
6.振り返れば、その外国人教員が講演のために連れてきた外国人講師は、どうもパッとしないタイプばかりだった。肩書きや組織をバックにすれば、謝礼をふんだんに用いてそれほど人脈には困らないはずだとは思うのだが、(え?)という意外性が目に付いた。一方、辞職した日本人教授がお招きして、私も誘われたランチョンでは、非常に謙虚で柔和な近東専攻のアメリカ人聖書学者(ハーヴァード大学)が講演されていた。学ぶところの多い、よい会合だった。
7.日本には、民族主義的色調を帯びたキリスト教のグループが幾つかある。必ずしもカルト系ではない。無教会系といえばわかりやすい。主流派教会が、西洋の左派思想に侵食されて、おかしな政治運動に転化してしまっている現在、「日本のキリスト教」を訴える流れが出ても不思議ではない。しかしながら、その外国人教員は「あの人達は変なキリスト教なのよ」と憎々しげに私に言った。実は、その「変なキリスト教」グループの代表者は、その人の出身国からも在東京の大使館からも公に認められているのだ。私はそのグループと直接の関係はないが、言いたいのは、変なのはどちらだ、ということだ。
8.お土産物屋さんの話で、外国人観光客に対して安物を売る小さな店があるが、どこで買っていらっしゃるかと私が尋ねたところ、日本有数の老舗の百貨店では「嘘をついて売っている」という返答があった。これはいくら何でも、おかしな反応だ。その老舗は、きちんとした商品をルールに則って販売しているから老舗なのだ。そうでなければ、我々地元人がめざとく見つけて、そこで購入するのを止め、百貨店などすぐにつぶれていることだろう。あたかも、地元の我々が節穴であるかのような言い分だった。我々は普段、毎日のようにお土産を買って暮らしているのではない。しかしながら、年齢相応に分相応に肥えた目を持っているとは自負する。

今日の結論:7年ほど前に「どういう経緯で日本に来られたのですか?」「いつまで日本にいらっしゃるのですか?」と尋ねたことがあるが、途端に嫌そうな表情をされた。しかし、納税者の日本国民としては、尋ねるべき時に尋ねなければならないことはある。
前者については、今はもうご隠退状態であろう、ある有名な日本人聖書学者と海外の国際学会かどこかでお会いして、「それならうちで教えてください」ということになったと手短に言われた。しかし、その有名な先生との関係が、門外漢の私には今ひとつ明瞭ではないのだ。同じ分野ならば、日本でも少数派とはいえ、優秀な若手研究者がいないわけでもない。また、幼稚園みたいな今の大学では、本来、研究がやりにくいのではないだろうか?
後者については「ずっとここにいる!」と叫ばれた。日本に好意的だと言うことを示したかったのかもしれないが、私にとっては、日本が好きかどうかより、日本を深く正確に理解し、我々の益になるかどうかなのだ。だから、当時から私の反応はただ一つ。「それでは困ります。任期制でいらしてください。ここは日本の大学です」。