ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

優越感を抱かせることの醍醐味

フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)からの転載を。

shared Satoshi Ikeuchi's post.


ミンダナオのようなところは完全な逃避地だ。国境は穴だらけだし、マレーシアやインドネシアから容易に渡航できる。(引用終)


← 13年前の同志社大学上智大学イスラーム関係者とその取り巻き、直ちに釈明せよ!責任は予想以上に甚大である。
(1)国益を多大に損ねたこと
(2)日本の知的水準を著しく低下させたこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080519
(3)人間関係を壊破させたこと


今すぐ、弁償せよ!

(転載終)

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?hc_ref=ARRmgufHCXdfsbDOCkmEVlv9ld_Adunt9ZMd-oPQmqZnSZTpk-MvDGBNKCwzzCnDKkk&fref=nf&pnref=story


・外国語を「読めるけど喋れない」というのは日本ではある程度の教育を受けた人の間にかなり多いが、これを英語圏の人はまず理解できない。なぜならば、英語圏の人の大多数の人の場合、こういった記事を書いているようなエリート層の間でも、日本の大学入試程度の外国語の文章を「まとめに読める」人が極めて少ない

← ユーリ:本当か?どこにその証拠があるか、見せていただきたい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170414)。


・私自身は、頑張って英語を読んだり喋ったりするようになれば世界が広がる、ということは学生時代以来痛感しており、中東をテーマに、それを実例で示すために膨大な労力を払ってSNSなどで情報を日本語空間に提供して来ている。だが同時に、英語圏のメディアや大学・シンクタンク、そしてそれらの情報に依拠する政策エリートなどが、実は中東の現地語を介さず、英語を喋るエリートのみと付き合うことで、社会について肝心のことをわかっておらず、致命的な場面で間違いを犯すのもたびたび目撃して来た。例えばアメリカはイラク統治で、当初英語を上手に喋る人ばかりに依存して全く社会に影響を与えられない人たちを登用し、騙された。

← ユーリ:それはその通り(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140808)。でも、ダニエル・パイプス先生はアル・ジャジーラアラビア語番組に今でも出演されるし(http://ja.danielpipes.org/blog/11511)(https://www.youtube.com/watch?v=MB9CCiTgyQc&t=204s)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150413)、2015年春のネゲブ旅行の時、私はパイピシュ先生のきれいなアラビア語をこの耳で聞いたぞ!(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151020


・英語を理解しある程度喋れるようにしつつ、日本語話者でしか分からない部分を利用してグローバル化に適応すればいいのだ

← ユーリ:全く同感。我々の強みは日本語能力にある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170715)。英語は、読解力と聴解能力だけは抜群を目指せ!訥々と正確に話している方が、相手も誤って優越感を抱き、つい油断するから得なのだ。

(転載終)

余談だが、2015年春と2016年秋の二回、パイプス旅行を経験してみて、リピーターと知り合いになった。必ず聞かれるのが、「あなた、いつもメモ取っているけど、日本語で?それとも英語で?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161008)。私の答えは「両言語」。すると「へぇ?どうやって両方の言葉が書けるの?」と素直に驚いてくれるのが、実にありがたい。
聞き取ったことを全部アルファベットで綴っていたら、時間が持たない。理解したポイントを漢字の単語で書き取っておくだけでも、後で理解に役立つ。漢字が時間的に間に合わない時には、平仮名でもよい。自分用のメモだから、私がわかれば充分なのだ。
なぜそれが可能なのか。日本の大学の外国人講師をお招きしての講演会や研究会等で、一度も通訳機を使わずに訓練してきたからでもあるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120314)、元々、パイプス訳文作業の補強のための旅行参加なので、パイプス先生が事前に提示されるリーディング・リスト(テーマに即した過去のパイプス・コラム集)を訳しておけば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170317)、内容がある程度、把握できるからである。
とはいえ、パイプス先生の中東フォーラムを資金的にも知的にも支援し、協力して、時間とお金を割いて旅行にまで参加するような人々は、アメリカ人やオーストラリア人やカナダ人とはいえ、その点、実に謙虚で率直。
「あなたには皆、ゆっくりした英語で話しかけているわね」と言ったのは、唯一、カラチ夫人のみで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170320)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170325)、実はそれは正確でもない。公平に観察している限り、誰もが容赦なく(つまり、特別扱いせずに)私に話しかけてくる。返答に困る質問には、「私の英語は、それに答えるには充分ではありません」とでも返しておけば済む。第一、パイプス先生の手前、私に意地悪をしかける人は皆無なのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161026)。
そもそも「日本人は英語が下手で理解できない」という通念が前提として存在していると、こちらは心理的に、最初から楽勝気分である。一方、マレーシアでは、それに加えて「日本人はマレー語ができない」という思い込みで高飛車に出る人々が最近の都会には多くなったので、それには一言でギャフンと言わせてやる。(念のため、従来のマレー人は、よそ者にマレー語が片言でも話せると、ものすごく無邪気に喜んでいたものである。この愛すべき素朴なマレー文化を破壊したのは、どこの誰なのか?)
ともかく、パイプス旅団は、積極的かつ情熱的な知的活動を楽しんでいる人々である。引率リーダーの知的情熱に感化されているのか、もともと素養が似通っている人々が自然と集まってくるのか、それはよくわからないけれども...。