ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

これが私の歩む道

前回のブログで「毎日のように判断力を訓練」と書いたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180731)、このブログ書きも、実は一種の判断力の訓練のつもりである。
決して暇つぶしや趣味ではない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170709)。
公表できるように書くことで、自分達の生活が少しは整うことを期待している。また、いい加減な出まかせを言う人達からの自衛策でもある。
混乱した自分を立て直し、自身の特徴がわかるようになってきたという意味で、意義はあった。読んでくださる方々も増えてきて、ツィッターやフェイブックやメールで反応があると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170621)、世間への極僅かな貢献ができたような錯覚が起こり、満更でもない気分ではある。
以前にも書いたように、2007年6月当初のブログ書きの目的は、勉強ノートと生活記録だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160412)。2013年2月半ばに亡くなった父が読んでくれていたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080111)、こちらでの暮らしを伝える意味もあった。
かなり長らく躊躇していたが、始めるきっかけは、何よりも、主人が度重ねて勧めてくれたからだった。
「僕だけが家で聞いているのは勿体ないぐらいおもしろいから、ホームページを作って書いてみたら。そんな狭い研究会で変なこと言う奴のことは気にしないで、もっと舞台を世界に広く求めてさ」。
今思えば、主人もまだ元気で前向きだった。

結婚して金銭問題が一旦安定してからは、毎年のように研究会や学会で発表を心掛けていた。あの頃は、20分か30分程度の口頭発表では、いくらレジュメをきちんと作ったつもりでも、奇妙な質問をしたり、失礼な言動をしたりする同世代の仲間が少なくなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180728)。
懇親会の時等は、さらに不愉快だった。
「まだそんな所に住んでいるの?私の住んでいる場所は都内の一等地で…」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160108
「何が言いたくて、そんな研究しているわけ?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161205
「ね、ね、マレーシアに住んでいた人が、どうしてクラシック音楽を聴いているの?無理しなくてもいいんだよ」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101105
「この人、わざわざこの発表のためだけに、マレーシアから飛行機で飛んできたんですって…」(←これは嘘で、勝手に話をこしらえられたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170809)。)
こんな調子だったので、普段何を読み、何を見聞しているかを自分から発信しなければ、わかってもらえないだろうと思った。
一方、もう亡くなった先生方や、今では80代から90代ぐらいの名誉教授陣は、最初から「着眼点がいい」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111031)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130906)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161229)「発想がよろしい」「よく気づかれましたね」「そういう時こそ頑張るんですよ」と褒めてくださってはいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070714)。
だからこそ続けてきたのだが、やり甲斐を覚えながら気持ちよく研究を進めていくには、まずは同世代に味方を作らなければ話は進まない、と思い込んでいたのだった。
今から思えば、本当に若かった…..。

上記の各種発言の理由は、今では大凡見当がつく。意図的か無意識的かはともかくとして、文化的な左翼思想に立脚しているか、染まっている人々の言だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180724)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=akizukieiji)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%B0%A5%E9%A5%E0%A5%B7)。そうでなければ、大学に職を得て出世することが難しいと、薄々誰もが感じていた。また、メディアの影響も大だった。第一、朝日新聞NHK岩波書店を代表とする、日本の「知識人」を支える言論界が軒並み信用を落とし、批判の的とされている昨今である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171219)。

大学に入った頃から、自分の専門分野以外の社会科学系書籍を図書館で借りて読む度に、視野が広がる刺激はあったものの、自分には実践不可能だと感じたり、あまりにも抽象的で高度過ぎて理解不能だったり、何かと違和感があった。フランス物は、特に大変だった。

このブログでは、マレーシアやイスラーム問題や聖書翻訳やキリスト教の講座等の話題から、徐々にクラシック音楽のこと、読書記録、国内外の旅行の感想等、暮らしの一コマを含むようになり、その後は社会問題や個人ブログ引用や思想やイデオロギー面にまで範囲が広がった。私が綴ることは、長年、違和感を抱いてきた諸問題を一つずつ解きほぐすといった感覚で試みているものである。

お陰様で、この頃はかなり合点がいくようになり、落ち着いてきた。

(実際にはあり得ないが)もしも「輝く女性」路線に乗って、「結婚してもイキイキと仕事を続けている私」をプライドとしていたならば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151207)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161230)、疑問を持ったとしても、ここまで調べたり考えたり文章に綴って公表したりすることは、時間的に不可能だった。

成り行き上こうなったとも言えるし、自分で選択した結果だとも言える。

今年は思いがけず、いろいろな意味で一つの人生の転換期を迎えた半年となった。後半期も大きな節目が待っている。

この暑ささえなければ、近隣地域で見に行きたい場所は数多い。

ここ数年来、皇統史に関する本をかなりまとめて読んだこともあり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170708)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180723)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180725)、やっとこの辺りの古代史から近代までの歴史地理学の基礎のようなものが理解できるようになってきた。
学生時代には、何事も「批判精神」で取り組むように指導されていたこともあって、どこか半信半疑だった。しかし、過去20年間で相当に発掘作業が進み、文献資料の真偽もかなり明らかになってきた意味は想像以上に大きい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180717)。
戦後しばらくはこのような基本がないがしろにされてきたので、いい加減なことを書いたり喋ったりしていても、お金や地位になるような砂上の楼閣を築いてしまったのかもしれない。
先月中旬より、近所の図書館から借りたり複写したりした読み物を、以下に。

・中村直勝『水無瀬・山崎附近京阪電気鉄道(1939年)
・田巴二枝『隠岐後鳥羽院』海土町役場(昭和46年/平成17年 9刷)
大山崎史談会『山崎・水無瀬−懐古と巡歴』(発行年不明)
島本町文化の会短歌部『短歌みなせ野』第二巻・四巻・六巻(昭和54年)
・奥村寛純『水無瀬野をゆく−島本町の史跡をたずねて』郷土島本研究会(1988年)
島本町教育委員会わが町島本−目で見る歴史』(1996年)
高槻市教育委員会(編)『継体天皇と今城塚古墳吉川弘文館(1997年)
・奥村寛純『水無瀬野の伝説と昔話』郷土島本研究会(2001年)
・『長岡京市の史跡を訪ねて−緑豊かな自然と文化のまち−NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会(2001年/2017年)
・『宮都のロマン−長岡京発掘50年の成果京都新聞出版センター(2005年)
・呉座勇一『応仁の乱−戦国時代を生んだ大乱中公新書2401(2016年)

最後の「応仁の乱」が我が町とも関わりがあることを知ったのは、ごく最近である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180624)。著者の呉座先生のご講演も、ついこの間のことのように思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170927)。また、継体天皇の今城塚古墳については、過去ブログに記述がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180628)。
どれも非常に興味深く、おもしろい。国文学科の卒業生であることの意味と誇りを改めて感じる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100214)。日本国民としての血が沸々と蘇ってくる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170723)。
但し、『みなせ野』第六巻の短歌の中には、次のようなものもあって、ぎくっとさせられた(p.5)。
「若山の宮居の裾の竹山は半ば伐られて高層団地建つ」
これは、私共が今暮らしている敷地全体を指している。地元の一戸建てに代々住んできた人々にとっては、昭和50年代の大規模集合住宅の開発は、町の景観を一変させるものであり、複雑な心境であったことだろう。しかし、その歌のお陰もあってか、大変に快適で、皆さん「環境がいい」「居心地がいい」と喜んで、長く住んでいらっしゃるようだ。
二十年前の居住当初から読んでいればよかったのかもしれないが、それではリストの後半の文献は存在していなかった上、地名も上滑りの理解だったことだろう。今だからこそ、実感できることも多い。
このリストを作成しながら、しみじみと感じたのは、主に農業立国であった日本では、地元の神主さんやお寺さんや地主さんが古文書として自宅に地域の歴史資料を保管しており、だからこそ小中学校の教員や校長となって、その土地で生まれた子供達の知育を助けていらしたのだという成り立ちである。それ故に、「三歩下がって師の影を踏まず」という言葉が、文字通り生きていたのだった。教育委員会に連なる人々は、地元の名士や地主等の家柄が多かったことも、改めて納得する。
戦後のGHQ政策や社会主義思想の普及、そしてベトナム戦争日米安保をきっかけとする学生運動を機に「でもしか先生」が出現するようになってから、日本の教育はおかしくなり、現在の国力低下に至っている。
上記の奥村寛純氏は既に故人となられたが、行基に由来する近くの神社の神主さんの家系に連なる方である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080419)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110928)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180703)。代々、この土地を愛されていたことがよくわかる。簡潔にまとめられているが、文章がしみじみと深い。また、一語一語に関して、どこまでが史実であり、どこまでが伝承なのか、広く古典を調べ上げた上で、一般向けに易しく解説されている。
関連資料として、以下の冊子を自宅に持っている。この地に移り住んで三ヶ月目の1998年2月中旬、自転車に乗って社務所で買ったことを思い出す。

・『水無瀬神宮と周辺の史跡水無瀬神宮社務所(昭和54年)
・水無瀬忠寿『水無瀬神宮物語水無瀬神宮社務所(平成4年)

夕食の時、主人に見せたところ、「学会で発表したら駄目だよ」と冗談を言った。今だから告白できるが、その当時は、正直なところ、(この資料では物足りないのでは?)と生意気なことを感じていた私だった。
簡潔に書いてあるが、その一文を正確に記述するには、どれほどの水面下の努力や積み重ねが必要だったか、若い時には頭の中でしか知らない。
それにも関わらず、実力重視や男女平等雇用の社会主義政策が取られるようになってから、世の中が軽薄に澱むようになった。
「まだそんな所に住んでいるの?私の住んでいる所は、部長級以上の人達が多くて...」と言った女性は、戦後教育の落とし子だったのであろう。
PS:研究者から変な発言が飛び出したのは、大学改革の2003年前後の数年に集中している。それまでは、もっと落ち着いた雰囲気だった。その辺りの事情は、以下の池田信夫論考文に集約されている。
そして、おのろけではないが、なぜ結婚前から主人が私の勉強について応援してくれていたかも、垣間見える。それが当然の環境で勤務し、選抜されて米国東岸に留学し、帰国後も元の職場で働き続けてきたからである。

http://agora-web.jp/archives/2034033-2.html


「なぜ大学教師はサラリーマンより生産性が低いのか」
池田 信夫
2018年8月1日


文部科学省2019年度から、国立大学の教員に年俸制を導入し、業績給を拡大する方針だ。これに対して大学教師から反発の声が上がっているが、年俸制なんて普通の会社では当たり前だ。
・引用数の上位10%のシェアでみると、図のように日本はほとんどの分野で主要国の最低である(科学技術振興機構調べ)。
・日本の研究者は生産性が低いのだ。
・日本のサラリーマンの生産性が低いとよくいわれるが、これほどひどくない。特に製造業では、主要国の上位である。
・サービス業には国際競争がないが、大学の教師には国内の競争もない。
・日本のサラリーマンに競争がないというのは神話で、頻繁な転勤や出世競争は強烈なインセンティブになっている。
・研究はチーム生産の利益が小さく、成果が個人の能力に大きく依存するので、雇用保証する意味がない。日本の大学には転勤も出世もないので、競争原理がまったく働かない。
・日本の教員の半分が非常勤になり、常勤の教員も任期つきだから、テニュアに相当する任期なしの専任教員は36.9%と、ハーバード大学を下回っている
・昔入った教授は何も論文を書かなくても自動的にテニュアを取り、若い研究者だけが業績競争にさらされる
ここ20年、文科省が「大学院重点化」と称して大幅に大学院の定員を増やしたあと、予算を絞ったため研究者の「非正規化」が進み、大量の「高学歴フリーター」が発生した。
・学生からみると、5年も無給で徒弟修行したあげく、身分保証のある職につける確率が4割に満たない研究者のコースを選ぶリスクは非常に高い。
・大学は日本の雇用慣行の悪い部分(年功序列)にアメリカの悪い部分(不安定雇用)を継ぎ足した最悪の労働市場

(引用終)