ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

急激な人口移動から学ぶこと

アメリカの移民研究センターが発表した最新データを見た(http://cis.org/immigrant-population-record-2013)。
・2010年から2013年までの移民の送り出しの増加地域は、南アジア(37万3000人で16パーセント増加)、東アジア(36万5000人で5パーセント増加)、カリブ海地域(22万3000人で6パーセント増加)、中東(20万8000人で13パーセント増加)、サハラ以南のアフリカ(17万7000人で13パーセント増加)である。
・2010年から2013年までの移民の送り出し国が多いのは、インド(25万4000人で14パーセント増加)、中国(21万7000人で10パーセント増加)、ドミニカ共和国(11万2000人で13パーセント増加)、グアテマラ(7万1000人で9パーセント増加)、ジャマイカ(5万5000人で8パーセント増加)、バングラデシュ(4万9000人で32パーセント増加)、サウジアラビア(4万4000人で97パーセント増加)、パキスタン(4万3000人で14パーセント増加)、イラク(4万1000人で26パーセント増加)である。
追加説明として、2000年から2013年の間に、東アジア発では韓国と中国出身者の移民増加率が高く、それ以上にムスリム地域(特に中東のエジプト・サウジアラビアイラク、南アジアのインド・バングラデシュパキスタン)からのアメリカ移住が増えたと知った。
この中で、欧州や日本からの移民率が低い点は、注目に値する。つまり、わざわざ移住しなくても充分に自分の国で暮らせるという意味だからだ。
この急激な人口動態の変化には、さすがのアメリカでも保守派が非常に懸念して、活発に啓蒙活動を展開している。その気持ちは充分に理解できる。特に米国の場合、憲法で「国語」規定が明示化されているわけではないからなのか、自由の国を標榜して、多文化主義や多言語主義を合い言葉に、南部の中南米スペイン語はもちろんのこと、カリフォルニア辺りでは、東アジアや南アジアの諸言語が各文書にも堂々と表記されるようになって、当惑気味のようである。
その昔、私もマレーシアの多言語社会に興味を持って少し調べようとしたことがあったが、当時は、日本育ちの目で見ていたのと、内実を知らなかったために、現実の表層面が新鮮で面白かっただけだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130106)。若気の至りだったと思う。今ならば、現象はともかくとして、その背後にあるイデオロギー性や思想がわかるだけに、早々に観察をあきらめて中止したことは、経歴上はともかくとして、人生の意味づけやエネルギー配分としては妥当だったと言える。
当時、「英語帝国主義」やら「英語一辺倒ではいけない」という主張が、大学の一部でも席捲していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070808)。だから、「日本人は日本らしい英語でいいのだ、アジア英語の実態と促進を」という、無責任な主張もあった。それは承認し難かったが、そういう勢いの人が上に立つ組織に紛れ込むと、私のような者は到底、勝ち目がない。
振り返れば、ここ二十年ほどの日本の一部の文系大学の思想的な混乱は、ひどいものであった。今も、それが続いている。
多文化主義や多言語主義は、表面的には麗しいことを述べているようだが、結局のところ政治的で、社会主義の一面だと思う。左派思想である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070823)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130927)。
だから、少数言語の維持保存の問題と、当該社会の中における位置づけの問題は、分けて考えるべきである。人権や言語権など、いわゆる「権利」を前面に出すと、社会主義的な地馴らしになってしまい、果てしなくエネルギーも時間も金銭面でのコストも分散してしまう。当初の理念とは裏腹に、争いが続発する。あるいは、停滞や低下が起こる。もし、主流集団への「義務」を伴うと明言して実践するならば、人間の能力には誰しも限界があるので、少しは歯止めが利くのかもしれない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110512)。
残念だが、世の中は力関係が歴然としている。文化は高いところから低いところへ流れる。魅力があれば自然とそちらに人は惹かれる。でも、メリットがないと判断されたり、価値があっても理解できない人が増えれば、当然、少数派に落ちてしまう。差違が生じることも、一律には扱えないということなのだろう。
多文化主義に対する批判が昨今、欧米で出ている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140717)。理想を高々と掲げて、一通り実験してみてようやく、やはり、時の試練に耐えて残った伝統的な考え方に軍配が上がっているということだと思う。だから日本でも、中国語や韓国語の表記に反対する声が大きくなっているのだ。日本の国土なのに、地名などで中国語や韓国語表記を増やすと、当然、歴史観などの相違から摩擦が出てくる。そうなってからでは遅いのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131105)。芽が小さいうちに、目的や制限をはっきりつけておくべきだ。
いろいろな文化が混じると豊かになると、一方的に安易な主張をする人がいるが、とんでもないことである。区切りは大切だ。日本のアイデンティティは、日本人が決めること。日本で生まれ育った日本人は、日本のやり方に沿った時、最も力を発揮しやすく、安定して繁栄する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140514)。それは、狭い島国根性ではない。世界史を紐解いてみれば、どこでも同じ法則が見られる。無知な人の馬鹿な主張まで、「多様性を認め合って」などと受け入れてはならない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110824)。一言でばっさり落とすべし。
最近、大手企業のトップに外国人や他業種からの人材を入れたところが、軒並み赤字続出だとか、低迷して従業員の首切りが増えた、というニュースを目にする。かつてのブランド名からすると、ちょっと信じられず、非常に淋しい。それもこれも、先に書いたように、ここ二十年の低迷期に出た発想を実践した結果だ。「外の風を入れよ。風通しをよくせよ。その刺激によって競争力を活性化せよ」との仰せだった。しかし、日本には日本のやり方があって、表には見えなくても、空気のようになじんだ不文律や長年の知恵というものがある。それを受容して実践した結果、安定成長が可能になり、長持ちしたという面もあるのだ。トップをやり手の外国人にすると、一時的にはいいかもしれないが、理解できなかったり、無視したり、結局はつぶしたりするので、どこかぎくしゃくしてうまくいかない。細やかなサービスや、人間関係の調和や、お互いを察し合って融通し合う無碍や、ちょっとした一言でスムーズにいくとか、そういう気風は、非常に誇りにすべき日本のよさなのだ。薄利多売の大量生産や効率一点張りでは、うまくいかない。
コツコツと、小さな細かな面も大切に、根気よく注意深く作業しながら丁寧に物作りをしてきた日本の伝統文化、一生を長い目で見て考えた末に、年功序列で安定した秩序を作り上げてきた日本社会を、決して「今はそういう時代ではない」と、一時的な表層的な世の流れだけで変えてしまってはならない。必要なものが過不足なく整っていて、普段は控えめに質素な暮らしを尊んできた日本社会、長持ちを大切にしてきた日本人の態度、そうした文化を尊重すべきだと思う。
考えてみれば、日本は閉鎖的で困る、と外国人に文句を言われていた時期こそ、日本国内が充実し、文化も経済も漲っていて、平和で安定していたと思う。昨晩もカントの『永遠平和のために』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081228)を読み直してつい笑ってしまったが、江戸時代など鎖国をしていた時、ただの外国人嫌いというのではなく、戦争続きだった当時の欧州からやってきた西洋人を、隣国中国の事例から学び、それを上回って叡智で追い払った日本を、「賢明であった」とカントは褒めていたのだった(岩波文庫版(1985/2008年)pp.49, 132)。3年前のツィッターにも書いている。

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ポール・クローデルは「滅びてほしくない国は日本」と記したという。昨晩読んでいたカントには、日本や中国が欧米列強から自国を守るために鎖国したことに賛意を示す記述があった。これは、既にしばらく前のドイツ語講座で読んでいたので知っていたが、改めて慧眼だと思わされる。ありがたいことだ。
1:00 PM - 21 Nov 2011

それもこれも、当時の日本の支配者層が、中国情報から学び続けていたからだった。
1980年代半ば頃までも、そうだった。日頃は倹約してお金を貯めて海外旅行をしたり、翻訳書を盛んに読んだりして、海外からせっせと学び吸収し、よいところだけは取り入れ、自分達に合わない点は却下していた。そうやって、海外から文句を言われながらも、今から振り返ると懐かしいようないい時代を過ごしてきたのだった。
今、欧米で移民排斥が起こっているのも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130522)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140627)、世界思想史の流れの中で、どの思想が生き残り、どれが害悪を及ぼすかを最初から知っていれば、何もニュース報道で右往左往することもないのだと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130917)。
昨日、米国主導のイラク戦争の失敗によって、勝利したのは中国だというイスラエル発の長い論文を読んだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20141003)。保守系研究所の出版物なのにと、戸惑いながら読んでいたが、最後の結論に至って、ストンときた。要するに、それもこれも短期的に見れば、という条件付きであって、結局は、というニュアンスを漂わせていた。そういう風に中国が見られているという現実は、日本としてもよく承知していなければならない。喜んだり蔑んだりしている場合ではないのだ。