ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

異文化間コミュニケーション

ウェブに上がった訳文は全部印刷してありますが、しばらく時間が経って見ると、部分的に漢字の一部が抜けていたり、変な文章になっていたりすることに気づきます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121121)
時間を置いて何度も見直した上で送信しているため、もちろん、ネイティブの日本人なら普通はあり得ない表記です。つまり、日本語のわからない人が操作しているために、作業しているうちにおかしくなってしまうのでしょう。
気づく度に訂正を申し入れていますが、(細かいねぇ)と思われてもいるかもしれず、悩ましいところです。日本人にとっては、そこが大事なのですけど。
日本語担当は全部自分でやった方が、責任の所在も明確で、訂正もやりやすいのですが....。

今朝判明したのは、新しいコンピュータを入れ替えた日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130929)から故障判明の日まで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131003)のデータがすべて壊れたということ。つまり、20数本の未提出訳文の文書も壊れた可能性があります。
そして、今はノートパソコンを使っているものの、メールの受信はできても送信が不可だということ。ワードも印刷機能も使えません。(しかたなく、エルサレムフィラデルフィア宛には手書きのファクスを送りました。)パイプス先生宛の連絡には、フェイスブックの個人通信を初めて使わせていただきました。

そんなこともあるだろうと思い、必要な文書は、面倒でもいつも印刷して紙媒体で保存するようにしていますし、大事な要件は手書きメモノートに書き込んであります。

一つ、おもしろい話がありました。カリフォルニアに住んでいるユダヤアメリカ人女性のメッセージです。「私は、エヴァンジェリカルの人達が何を信じているか、本当に気にしていない。なぜならば、その行為によって真のイスラエルユダヤ人の友だと証明してきたから」と。
でも、中にはメシアニック・ジューのような、ユダヤ人をキリスト教に改宗させる運動が、日本やシンガポールやマレーシアにもあります。キリスト教化されたら、もはやユダヤ人とはみなされないので、結局はユダヤ人口減少運動だとも呼べるのでしょうが、その点はいかがお考えでしょうか?

私の立場は極めて単純明快で、個人が自発的に望むのではない限り、宣教活動によって相手を無理に変えようとするな、ということ。聖書を生み出したユダヤ人国家は、現在のところ地球上でイスラエル一国にしか存在しないのだから、干渉したりボイコットしたり非難したりせず、あるがままのユダヤ人国家をそのまま理解して受け入れるべきだということです。ユダヤ教の実践もユダヤ共同体内部の話であって、決めるのは当事者の権限。外部の我々は、ただ長い歴史を学び、理解しようと努めることができるに過ぎません。あの地がパレスチナとの「共存」によってアラブ・イスラーム化されたら、再び歴史の書き換えが起こらないとも限らないので、本当にイスラエルユダヤ人国家であり続けてほしいと願っています。
それでもイスラエルは差別主義だと呼びますか?