ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

隠された意味を探る

昨日の9月9日は重陽節句でしたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070909)、ダニエル・パイプス先生のお誕生日でもあります。ウェブ上で公表されているので、私も昨年冬に訳業を依頼される前から存じ上げていましたが(と言ってもご自身ではなく他人がしたもの)、イスラエル建国の1948年の翌年、1949年生まれということで、考えてみれば九九=四十九、さまざまな意味でうまくできていると思います。ユダヤ暦に従えば、もっと深い意味が出てくるのでしょうねぇ。
公私混同を厳しく排除されているようなので、新たな訳文1本と同時刻に、昨年と同様、メールで短くお祝いの言葉のみお送りしました。「(新著のご出版も含めて)望みがすべてかないますように!」と添えると、素直に喜ばれました。子ども時代からお父様似で本の虫だったお嬢さんの一人が、初めての本を書く準備を整え、カバー写真もできているとのこと、お父様としても負けてはいられない、というところでしょうか。
昨年の騒々しかった今頃に比べると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)、今年はシリア情勢の緊迫感があり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130831)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130909)、オスロ合意二十周年を回顧しての昼食会もワシントンであるそうですが、パイプス先生の文筆業としては意志明白で落ち着いているので、その間、私の方も今後の方針を立てるのが楽です。それに、オーストラリアの新首相に、パイプス先生がファンだと賛同されていたトニー・アボット氏が選出されたこともあり、少しは希望が見えてきたようです。
このアボット氏は親イスラエル派で、イスラエルとオーストラリアの関係修繕に尽くすと公言されているとの由。労働党が与党だった時には、オーストラリア最大のモスクで何かあったそうで、国内のユダヤ系にとっては気が気ではなかったとか。考えてみれば、労働党を率いる人そのものは必ずしも労働者階級出身ではなくとも、労働党が政権を取ると、どうも世の中が安易に流れがち。その理由はイデオロギーの質にあるのだろうと思います。リベラル派のいわゆる反戦平和論は、結局のところ、論のための論であって、都合の悪い点や自分が知らないことはあっさり無視、現実を真っ直ぐに見つめた上での主張ではないらしいことも、繰り返し実感させられています。
8月には二週間、ニュージーランドとオーストラリアに滞在して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130828)、知識人会合やテレビとラジオ出演何本かをこなされたパイプス先生。私が思うに、カナダを含めた北米よりも、ニュージーランドやオーストラリアのメディアの方が、遠方から客人をお招きしていることもあってか、落ち着いていて、中東情勢もよく勉強されているという印象を受けます。(数年前に左派論陣がパイプス虐めをしていた変な番組もありましたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)。)そして、アジア太平洋に近い移民国だから多様性を重視する政策を打ち立てているのかと思いきや、実はユダヤキリスト教的価値を重視する有力な保守系雑誌があるのだとか。パイプス先生をお招きしたタイ・スーツ着用の晩餐会は、実はその雑誌が企画したものだったようです。
2001年の9.11同時多発テロ事件以降、本格的な学術論文ではなく、メディア出演や国内外の大学講演や討論会などに超多忙となったため、コラムニストに転向されたパイプス先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130212)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130522)。昨晩、1994年から発行を始めたジャーナル『季刊中東』誌を全巻チェックしてみたところ、一年半以上たった今、やっとパイプス先生の方針とジャーナルの変遷および執筆陣の傾向が、目が開けたように楽に把握できるようになった自分を見出しました。本業その他を脇に置いて、ここまでなりふり構わず没頭しただけの意味があったと思います。最初の頃は、初めて目にする人名も少なくなく、その人のご専門や思想背景も調べないとわからず、パイプス先生との人間関係がどうなのかも知らなかったので、ちょっとしたことでも、一つ一つの背景理解や確認作業は膨大なものでした。訳業を始めた2012年3月下旬から、コクヨの6ミリ×17行か21行サイズのメモ帳に、新たに知ったことや混同しがちなこと、後で気づいたマイナーミスなど、こまめに何でも書き込んでいますが、今では早くも24冊。パソコンの横に積み上げ、必要に応じて取り出してめくってみると、感慨深いものがあります。
できあがったものを見て批判するのは簡単ですが、組織立ち上げのご苦労とジャーナルを軌道に乗せるまでの大変さ、一見さんも含めた膨大な執筆陣リスト、および雑誌の隅っこで控えめに顔を出している茶目っ気と巧まざるユーモアが、大変におもしろいです。
短い書評がやたら多いことにも初めて気づき、まるでパイプス書斎ではないか、と何だか微笑ましく思いました。私にとって日本語に訳すのが最も楽で好きなのは、実は一神教イスラエル・アラブ問題に関する書評。読んだことがある本や手元にある本と重複していることが結構あったり、著者を知っていたり、訳しながら読んでみたいという気にさせるからです。つまり、共有する関心事と知識が基盤にあるため、理解しやすいのです。もちろん表現力は、パイプス先生の方が遙かに雄弁かつ大胆。ドイツ語とフランス語の著作に対する批評もあります。
そして、昨晩計画を練っていたのが、要人インタビューの翻訳。パイプス先生が「自分の評判は無視されていた」とご自分でおっしゃっている(http://www.danielpipes.org/13270/)9.11前の雌伏の時代に相当します。9.11後は他の人が時折担当されていますが、明らかに質が変わっていますから、「無視されていた」時期にこれができたというのは、やはり隠された意味があってのことなのではないでしょうか、先生!
もっとも、全員ではなく興味を惹かれる要人に絞って、おいおい訳出できればと思っています。ムスリムの場合は、インタビューがだらだらと長く続いて要領を得なかったり、前後で矛盾することが多いのに対して、イスラミストが案外にはっきり単純明快、ということもあります。逆に西洋人の場合は、短くとも中身が詰まっていたり、率直で鋭い質問にも受けて立つという姿勢が見られます。イスラエル人の場合は、人によりますが、余計なことは口にしないで簡潔要領に、といった感じです。訓練されていることと、危機意識文化の違いが大きいと思いました。
いずれにせよ、インタビューする側の背景にある資料が尋常ではならぬほどに膨大で、全部が表に出ているわけではないので、余計に驚かされます。使用言語は英語、フランス語、アラビア語だそうですが、もちろん、表に出ているのは英語のみ。(ということに気づくようになった自分にも、我ながら驚いています。)
たまに試しに機械翻訳にかけると、変な日本語が飛び出してきたり、否定と肯定がまるで逆になっていたりして、ほとんど信頼はできません。やはり、個人的にネイティブとして依頼された以上の役割を果たさなければと日々思っています。実際には、力のない人ほど「これは日本語としておかしい」などケチをつけると聞きますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130605)、流麗な美文に無理矢理仕立て上げるよりは、基本思想や背景をどのぐらいくみ取れるかの方が、もっと大事ではないかと思います。日本語らしくきれいに整えるのは、後からいくらでもできること。ミスはその都度直せばいいのであって、順序としては、まずは(なぜこの一文あるいはこの語が使われているのか、この用例は何が背景なのか)を理解することだろうと思っています。
パイプス先生の場合は、恐るべきことに三十代半ばの1980年代までには、基本的な思想と骨組みがきちんと出来上がっていて、多種多様に雑多なことを書き連ねているように見えながら、実はすっと一本の筋が通っていて、今でもお考えは変わっていないとおっしゃいます。しかも、複雑多岐に及ぶ現象を、史的感覚と思想路線に沿って非常に簡潔に表現されるので、一見、単純化して見えるだけで、これを公表し続けるとなれば、水面下での作業がどれほど膨大なことか、彼我の差違をまざまざと感じさせるプロセスです。