ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

大統領選という祭りの後で

自分の国のことではないのに、今回の米大統領選の結果には、表面的な意識以上に落胆したというのが実感。
これもパイプス効果ですね?(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121018)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121021)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121024)もし、今年の1月中旬に私の英語ブログが、目敏いダニエル・パイプス先生によって突然引用されず、私の方もお礼がてら連絡を取らなかったとしたならば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)、多分今頃は、(我々日本人にとっては民主党ですよね)みたいな曖昧な感覚だったのかもしれません(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)。
中東外交についても、ブッシュ政権イラク・アフガン戦争の失態(?)についても、メディア報道と大学での講話程度で理解したつもりになっていたことでしょう。しかし、2月上旬に、パイプス先生の方から「僕の書いたものを翻訳してみない?」と依頼があり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)、戸惑いながらも2ヶ月、メール交換によって人柄や物の考え方を理解するように努めて、さまざまな言質も取った上でやっとのことで了解し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120404)、それ以降は夢中になってここまで来たという経過があります。
日米関係についても中東問題についても、全くの素人なので引き受けてしまったというところもありますが、逆に、素人なので、先入観も立場もなく、(え!実際にはそういうことだったの?)という驚きや発見の方が大きく、(メディアも大学も、世論形成のために、結構いい加減なことを言っているんだなぁ)と目覚める思いでした。
確かに、没頭するだけの魅力や引力があります。普通、いわゆる‘政治的正しさ’や礼儀作法みたいな暗黙の了解によって、正面切って語られないテーマ、しかし非常に本質的で重要な問題について、まっすぐに切り込んで論陣を張っていたのがパイプス先生でしたから。さまざまな抵抗に遭い、ひどい批判や中傷にもまれながらも、「自分は、学生時代から迫害や少なくとも孤立には慣れている」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121107)と(実は密かにブツブツと愚痴をこぼし、涙ぐみつつ)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120926)表向きは平然と果敢に振る舞い(?)、膨大な読書や資料分析や自分の目で観察した直観や経験知に基づいて、とにかく大量に書き続けてきた人生。
今から思えば、レーガン政権の1980年代は、私も思春期かつ学生時代だったこともあり、最もエネルギーに満ちて活気があり、社会全体が前向きだったような感があります。「がんばれば報われる」みたいな素直な明るさがあり、方向性や目標が明確だったように思われます。冷戦期だったので、特に恐怖と共に克服すべき対象がはっきりしていたからでもありましょう。
ところが現在では、気がついたら、長年、経済技術援助した方が疲弊して停滞し、受け手側が犠牲者精神を前面に出して他者の実りを享受するという図式ができているように思うのです。
例えば昨日も、たまった新聞の整理をしていたら、ある大学で開かれた会合で「どうして相手を理解しようともせずに拒否するのか」と、ムスリム移民に対するフランスの態度を非難する記事が写真付で出ていました。これこそ逆行と我々の伝統や知性に対する侮辱の最たるもので、それでは、「(穏健だとされるマレーシアを含めた)イスラーム社会全体の非ムスリムに対する抑圧や差別や暴力は、一体どのように説明されるのか」ということの反論にさえなっていません。こういう話は、10年以上前ならば「非常識だ」と断罪されていたか、「一部の変わった人が言っているだけでしょう?」と無視されていたと思うのですが、大学の光景がすっかり変わってしまったと言われる2002年頃から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)、確かに堂々と台頭するようになりました。
アメリカや西欧やイスラエルの保守と呼ばれる人々の学的業績を拝見すると、それはそれは、日本のそんじょそこらのレベルじゃないことに改めて驚嘆させられます。こういう誠実かつ厳しい学的積み上げや、長い接触と考察の歴史があった上で、現在の知見および態度に至っているのに、そこを簡単に断罪するなどとは、それこそ、パイプス用語で言うならば「野蛮な文明の破壊者」ということになります。
それとも、私達はオールド・ファッションなのだろうか?でも、単に「世の中は変わっていくものだから賢く対処すべきだ」という処世術に従うばかりが能とは言えません。現に、古い文献や事物を見ると、(昔の人はすごかったなぁ)と感じることがあるので、たとえ表面的には負けようとも、時流に乗っていなくても、己が信じるに値すると考える価値観と原則に従って生きている方が、結局は実り多いかとも思うのです。
では、今回の大統領選の結果によって、早速、中東情勢とイスラエル動向に関する懸念が出ている中で、パイプス氏は何とおっしゃっているでしょうか。

http://www.danielpipes.org/blog/2012/10/romney-stumbles-on-foreign-policy#latest

Nov. 7, 2012 update: Republican party loyalists claimed that Romney did a get job in this final debate. I guess they were wrong and Romney really did stumble.

訳者の一人として贔屓目に見ているわけではないにしても、パイプス先生の特徴は、発言当時、周りから浮いたような、人の気に障るようなことを言っているようでも、後で振り返ってみると、実に的確な鋭い「愛の鞭」を放っていることです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)。もっとも、ちょこっと間違えている時もなきにしもあらずですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)、全体として、(この時期にここまで見通せているなんて凄いな)と思わされることが多いのです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120514)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120827)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121031)。だからこそ、昔からの論考文をウェブで公開されているのでしょう。訳者として醍醐味を感じるひとときです。