ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

パイプス先生とギドン・クレーメル

いつの間にか日付けが変わり、今日から早くも11月です。
今、西宮の兵庫県立芸術文化センターで購入したギドン・クレーメルマルタ・アルゲリッチのデュオでプロコフィエフを聴いています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121031)。ヴァイオリン・ソナタの1番と2番は好きな曲で、いろいろな演奏家で聴いてきましたが、「ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディ 作品35 bis」は(買って良かった)と思える曲です。
今年は、資料整理と今後の方針を固めるつもりだったのが、突然のように舞い込んだ、精力的なパイプス翻訳のおかげで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)、すっかり日常生活が中東とイスラーム一色になってしまいました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120710)。とはいえ、世界史および現代史の一端を担う部分に触れているという意識から、与えられた仕事は感謝して受けとめています。
本当はもっとパイプス先生と、いろいろなことをゆっくりとお話ししてみたいのですが、双方のスケジュールもあり、そうも言っていられません。気難しくも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121024アメリカ人らしく、茶目っ気があって単純で子どもっぽい割には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)、立場上、極めて口の堅い方ですし、時間管理をきちっと厳しくされているので、無駄なことは一切省くようです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)。
たまたま昨日、毎月のグーグルレポートを作成していて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121003)発見したことには、この10月13日の土曜日には、ミネアポリスに「家族行事」で来られていたとか。ばったり出会った読者の一人が、手持ちのビデオか何かで早速、表現の自由イスラーム問題の関係について、曖昧な質問をされていました。茶系の模様の入ったシャツにこげ茶色のベスト姿のパイプス先生、突然のインタビューにも「こちらこそ」と短く挨拶された後は、1979年のイラン革命の際、厳しく対処したのではなく、むしろ融和的態度を取った西洋人の対応のまずさが今でも尾を引いていることを背景に、1989年のラシュディー事件の時の沈黙と恐れをなした西側の問題点、昨今のムハンマド映像に対するムスリム世界全体に及んだ大暴動に関する二分した見解の対立、などを手短にお話しされました。2分半ほどでしょうか。翻訳を100本以上仕上げた身にとっては、考え方も発想も話し方の特徴もかなり慣れてきた頃なので、よくわかりました。
質問した方は、突然お目にかかれて光栄だったという気持ちが表われていたものの、やむを得ず、あまりにも準備不足だったために、あっさりした回答のみで、ちょこっとニコリとして終わってしまったため、「曖昧な問いかけでごめんなさい」という状況だったようです。
それにしても、テレビでは、ネクタイ姿に背広でドーランか何かでお化粧されているからか、ライトの関係もあって多少は若くも見えますが(http://www.danielpipes.org/11992/us-policy-toward-middle-east)(http://www.danielpipes.org/12026/elected-islamists-dictators)、普段着の表情では、すごく老けられたなあ、とびっくり。ゆるくカールの入った髪の毛はほとんど真っ白で、顔にもしわが入り、目の下などたるみがありありとしています。60代前半の同い年の日本人なら、もっと若々しくて髪の毛も黒っぽい人が結構いるのに、と。
9.11前からの活動の延長線上に拡大された継続であったとはいえ、あれだけ外国および国内を飛び回って講演し、テレビやラジオにも週に何度か出演し、発言する度にひどく抵抗され、対応にも困難を極めたとなれば、50代の前半では、スマートで知的でハンサムな感じで黒々とした茶系の髪に黒っぽい目だったとしても(http://www.danielpipes.org/8084/middle-east-issues)、日々の疲労感も並大抵のものではなかったでしょうね?2008年の春頃には手術もされたようですし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)、急に白髪が増え、目が腫れぼったいままでテレビに出演されていた姿も、まだ映像に残っています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120713)。

何だかんだと言っても、大統領選を控えてご多忙だろうからとメール送信を控え、訳文のウェブ掲載が滞っている以上は煩雑になるしと、こちらも10日ほど提出せずに待っていると、パイプス先生の方も淋しいのか気にされているのか、ご自分からメールを送って来られるタイプだとわかりました。
10月30日付のメールには、こうありました。

あなたって最も思慮深いねぇ。でも心配しないで、訳文ができ次第、送ってね。お願い」。

最後の「プリーズ」って何でしょうねぇ?前にもそんなことがありました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120519)。こういうちょっとしたところが、何だかかわいいパイピシュおじさまなんです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)。
お仲間先生の一人であるスティーブン・エマーソン氏の公式ウェブサイト(www.investigativeproject.org)によって、ムスリム同胞団ハマス系統の各種イスラミスト集団が1980年代頃からアメリカに来て、一見、穏健で対話志向のように見えるものの、実は内部でどういうアラビア語文書を作り、どんな恐ろしい荒唐無稽な思想を抱いて実践しようとしているかを私が知ったのは、その前日のこと。私など、日本の小さな町でおとなしく暮らしているので、別段、何ら害はありませんが、彼らが、中東で騒いでいるならともかく、アメリカに来てまで「シオニスト」「ユダヤ人」を標的にしているとなれば、さぞかしストレスもたまり、フラストレーションとイライラの日々だったことでしょう。「中東、イスラーム主義、米国のイスラミスト達のトピックを扱いつつ、先生が著述やメディア出演や講演旅行を始められてから、どんなお気持ちだったか、今ではずっと深く、より詳細に、はっきりと理解しています」という私の言葉をそのまま引用された上で、「報いもあるよ。僕は大丈夫だ」と。エマーソン氏については「彼は、実にとても重要な仕事をしている。あなたが彼を見つけて、うれしいよ」。
私にとっては、英語とドイツ語のキリスト教の論文でもなじみのあるイスラーム・トピックではありましたが、勇気ある文書公開などのお仕事のために、エマーソン氏も「暗殺すべき8名の一人」に挙げられているとの由。元々住んでいたコンドミニアムから名もないアパートに引っ越されたのだそうです。(1979年にパイプス先生がご自分の論文を送ったことがきっかけで意気投合し、1993年には共同研究で連名論文を書いたモロッコ系のリベラルなムスリム学者の方も(http://www.danielpipes.org/232/muslims-in-the-west-can-conflict-be-averted)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120516)、「今、自分が生きていることが奇跡のようだ」と自ら書いているほど、相当陰湿な嫌がらせと死の脅迫に直面しているようです。)
私自身つくづく思うのは、「一体全体、ユダヤ民族の歴史とは、なぜこのようなのか」ということです。中東で敵国に囲まれた小さな土地に住むイスラエル人が、アラブ人にとって「抑圧者で植民地主義の占領者で人種差別主義者」であるから、そのシオニスト国家を援助している同盟国のアメリカおよび西洋諸国をやっつけなければならない、ユダヤ人も見つけ次第殺さなければならない、これがクルアーンハディースにもある教えなのだ、と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090530)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090611)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121028)。70年にローマ軍に第二神殿を破壊されて、国を追われてから1800年ほど経って父祖の地に戻り、1948年にやっと国家建設を宣言したかと思うや否や、周囲のアラブ人から暴動を起こされるという...。もちろん、ユダヤ人と言ってもさまざまな考え方や思想の傾向がありますが、パイピシュ先生はどうお考えなのでしょうか?

充分に考えた主題じゃないね。そのテーマについては、数少ない論考の一つとして『ユダヤ教の将来』(http://www.danielpipes.org/2370/the-future-of-judaism)があるよ」。

何ともあっさりした素っ気ないお返事です。いかにも、らしい...。まだ会ったこともないので、メールでは安易なことを書きたくないということでもあるのでしょうか。
それでも、いろいろな話題について訳文を作りながら考えていることは、パイプス先生は、1970年代の初め頃、2,3年をエジプトのカイロで過ごし、当然のことながら、イスラエルの動向も充分意識されていたかと想像されますが、「イスラエル国家を取り巻く‘敵国’によって直面させられている長期間の苦難や脅威と同様に、現在のイスラエルの繁栄と驚異的な達成を予見されていましたか?」という点。
その私の問いに対して、相変わらず素っ気なくも「いや、予見したとは言えないね」の一言。メールは面倒です、所詮、議論はできないツール。
もっとも、この問いには前提があり、「2008年のフーバー研究所でのインタビューで、『プライベートでは私はかなり快活で楽観的ですけど、中東やイスラームのことになると、悲観的になるにはいいキャリアだということがわかりました』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)とおっしゃっていましたね。それではお伺いいたしますが」を踏まえてのことです。
最後の問いは、ちゃっかり省略されて答えがありませんでした。それは「中東や米国内で、ユダヤ系やイスラエル人にとっての悪いニュースを知る度に、どうやって心的振幅の最中で自己統制されているのですか」というものです。「企業秘密です」というところでしょうか。テレビでは、顔に感情が表われやすいタイプだと拝見しているので、「自己統制」ではなく、文章に書いていくか、その場で議論して相手を押さえ込むか、だという返答を期待していたのですけれども。

すっかり長くなってしまいましたが、ここで10月30日のギドン・クレーメルとクレメラータ・バルティカの演奏会について書き添えます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121031)。
クレーメル氏は1947年生まれ。ダニエル・パイプス先生の2歳年上です。出自は、ラトビアのリガ生まれのドイツ系北東欧ユダヤ・ロシア人ということになります。演奏会で目の前で拝見していると(今回は前から6列目のA席。向かって右側の真ん中寄りという非常にいい席でした。なぜか私の左の一席のみポツンと空席でしたが、もったいないことと思います。30代から60代ぐらいが客層のようで、案外に若い人々も目立ちました)、「国には何から何まで世話になって」とソ連に感謝しながら演奏活動を続けた師たるオイストラフ氏の姿が彷彿として(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071005)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100430)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101106)、何とも不思議な気分になります。もちろん、パイプス親子は、共産ソ連なんて大嫌い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120924)。しかし我々日本人にとっては、政治は別としても、芸術面で極めて優れたソ連演奏家達が来日してくださったことを、素直に感謝し、驚嘆しつつ感動し、同時に享受してもいたのです。
で、ダニエル・パイプス先生が老けたと先に書きましたが、クレーメル氏も随分老けた感じに見えました。(お疲れなのかもしれない)と舞台に出て来られた時には感じましたが、白い長シャツの裾を黒ズボンの外に出し、上からフロックコートのような燕尾服を羽織ってご登場。指揮者なしの演奏会だからでもあります。ちょっとお茶目な遊び心一杯の印象。
楽譜を見ての演奏ですが、クレーメル氏のみ立ったまま。指揮者なんていなくても、また、指揮振りなんてしなくても、本来、心と技術を合わせればここまで演奏できるんですよ、とさり気なく披露されているような表情。相変わらず口を軽く開けて、時に顔をしかめ、厳しそうな表情で、ある場合には両膝を曲げての奏法。お辞儀は非常に丁寧に深々とされます。ここがクレーメル氏の人柄で最も印象的な点です。
プログラムは次の通り。

シューマン「チェロ協奏曲」イ短調 op.129 (ルネ・ケーリングによるヴァイオリン、弦楽合奏ティンパニ編曲版)
(7:00-7:25)
モーツァルト「ピアノ協奏曲」イ長調 K.488(ピアノ:カティア・ブニアティシヴィリ
(7:30-7:55)
アンコール:ショパン「プレリュード 4番」ホ短調 op.28-4
(7:56-7:58)
(20分休憩)
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」ニ長調 op.61(アルフレート・シュニトケによるカデンツァ)
(8:20-9:05)
アンコール:梅林茂 映画「夢二」より「夢二」のテーマ

(9:09-9:14)

アンコールの「夢二」以外は、おなじみの曲ばかり。繊細かつ感情の抑制の利いた洗練された音の波にたゆたうような、あっという間の時間を過ごしたというのが実感。ピアニストは、若くて愛らしい美人で溌剌とした感じの女性ですが、ピアノの音といい奏法といい、演奏そのものは何の欠点もないものの、唯一気になったのは、合間にソバージュっぽく垂らした前髪を両手で触ること。その手で鍵盤に触れるので、どうしてもよい印象は与えません。片方の胸のふくらみが脇から少し見え、背中が非常に開いた大胆なドレスでしたが、舞台態度としては、どうなんでしょうねぇ。でも、「ウォー」という雄叫びも聞こえましたから、感動的ではあったのでしょう。
ベートーヴェンは、長い前奏のトッティで、部分的にクレーメル氏も合わせて弾かれていましたし、何と言っても、何度も繰り返し出てくるカデンツァが、いかにもシュニトケ風。クレーメル氏にぴったり合っています。それに、音が枯淡の域に達していて、しかも何とも品がいいんです。氏の風貌は全体的に飄々としていらっしゃるのに、です。
最後の拍手の時には、うなり声と共に、私の前の列の男性二人がスタンディング・オベーションをしていました。

パイプス先生、私、何も近代化するためにベートーヴェンを聴いているんじゃないですよ(http://www.danielpipes.org/11975/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)。スケールが大きくて重厚な構成なのに、底辺に温かいものが流れているのがベートーヴェン。年を取れば取るほど、味わい深く内面に染み込んでくる曲。だから聴くんです。
と思いつつも、クレーメル氏の著作には「どうして日本人はあれほど熱心に我々の音楽を学ぼうとするのだろう?」と不思議がっている一文があったことも想起します(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080926)。でも、だからこそ、クレーメル氏も日本を気に入ってくださり、今回もアンコールで「夢二」を演奏してくださったのですね。
考えてみれば、今年は演奏会が、2月(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120226)、4月(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120423)、6月(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120610)と続き、国内旅行も5月の伊予と広島(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120504)、7月下旬の長崎(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)と、訳業で忙しかった割にはコンスタントに充実していたのでした。
いい演奏会とは、ホールにいる瞬時だけでなく、時間を置いた今でも、音楽が自分の中で甦ってくる経験ができるものです。下手な奏者だと、こうはいきません。今日一日、これを書き綴りながら、何度も曲が耳元で聞こえてくるような思いがしていました。