ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラエル・アメリカ政治

10月25日の夕方は、西宮へギドン・クレーメルhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%AE%A5%C9%A5%F3%A1%A6%A5%AF%A5%EC%A1%BC%A5%E1%A5%EB)とその仲間達の演奏を聴きに行った。記念として、いつものようにCDも一枚買ったが(ツィッター転載(https://twitter.com/ituna4011)"New Seasons" (Glass; Part; Kancheli; Umebayashi) Deutsche Grammophon (http://www.amazon.com/dp/B00U8UZCBE/ref=cm_sw_r_tw_dp_JyfQwb1Z4E4AF …) was bought on 25 Oct 2015 in Nishinomiya.)、コンサート用のパンフレット(500円や1000円が恒例)は、今回は別売りされていなかったのも良かった。
昔のように、ホールから帰宅した直後、興奮冷めやらぬままにパソコンに向かって感想や印象を書き付けるのではなく、この頃では数日置いて余韻を楽しんでから、というパターンが常態化しつつある。そこで、今日はこの辺りに留める。
さて、エルサレムでは、先月辺りからまた、パレスチナとの抗争が激化している。日本の一般向け報道は、日常や悠久の歴史を報道せずに、何か発生した時のみ、唐突に対立に焦点を当てがちである。これでは、あたかも「抵抗」するパレスチナ側に同情を寄せるよう、読者が誘導されているかの如くだ。しかし、それでは問題の解決には至らないし、国益にとっても利するところが少ない。
「ムフティとヒトラー」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151023)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20151023)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20151025)の第二弾を考えてワードに下書きを作っておいたのだが、昨日はブログを書けずに終わってしまった。それに、今朝は早速、パイプス先生から、トルコに関する新たな著述がメールで届いたのである(http://www.danielpipes.org/16242/turkey-on-the-path-to-rogue-dictatorship)。
もう、テンポが早いんだから!
...と思いきや、エルサレム抗争を巡る一文までアップされていた(http://www.danielpipes.org/16243/century-palestinian-rejectionism)。
何という敏捷さだ!
では、前座として、以下の点をまとめておこう。
過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)では、今年4月下旬から5月上旬にかけての中東の旅について、次のように書いた。

クネセトでお会いした方や講師の中には、訳文で既知だった方々も何名か含まれていて(http://www.danielpipes.org/12286/)(http://www.danielpipes.org/13242/)(http://www.danielpipes.org/12227/)、それこそ「今回の旅は満足の行くものだと思うよ」と言ってくださったシリンスキー氏(この方も、風貌は今でこそ気さくなおじさん風だが、実は国防総省勤務以外にも凄い経歴の方だった)の言葉に、全く偽りはなかったのが実感である。

(抜粋終)
シリンスキー氏についての過去ブログはこちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150522)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150530)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150823)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151020)。

その「既知だった方々」のリストを、実名を挙げて列挙する。

ドロン・アルモグ氏:(http://www.danielpipes.org/12286/


アナト・ベルコ博士:(http://www.danielpipes.org/12227/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150127


ダニー・ダノン氏:(http://www.danielpipes.org/13189/)(http://www.danielpipes.org/13242/)(http://www.danielpipes.org/14053/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150817

アルモグ氏は、お子さんが障害を持って生まれたが、前向きにとらえ、とても大切に慈しんで育てていらっしゃる。その様子は、ビデオを通してプロモーションにも使われているようだ。イスラエル国防軍(IDF)での目覚ましい活躍ぶりのみならず、家庭人として、父親としての人間的な側面にも触れられて、ネゲブのホテルの会議室で、数メートル先で生き生きとしたお話をうかがった時は、本当に感慨深かった。この生き様は、まさに、イスラエルの初代首相ベングリオンのメッセージにあったヘブライ精神の発露である。
ベルコ博士にも、2015年5月4日の午後、クネセトでお目にかかった。ご著書出版の後、アメリカでの講演活動が認められたのか、何とネタニヤフ首相からご指名がかかり、クネセトのメンバーに迎えられたとの由。クネセト内の別室で、ベルコ博士が急ぎ足で登場されると、パイプス先生がいきなり大胆にもぎゅっとハグしていた姿も印象的だった。「ダニエルと私はいい友達で...」と、ベルコ博士もハスキーな声で元気よく自己紹介されたが、序文を書かれただけに、このような形でのベルコ博士の抜擢が、相当に嬉しかったのだろう。
国会中の忙しい合間を縫って、我々旅団メンバーに短くご挨拶と自己紹介をされた後、慌てて控え室へ戻られたベルコ博士に、隣に座っていたシリンスキー氏と一緒に小走りして、名刺をお渡しし、握手もしていただいた。私がご著書の序文を日本語訳したこと、日本のアマゾンでご本を紹介したら(http://www.amazon.co.jp/Smarter-Bomb-Children-Suicide-Bombers/dp/1442219521/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1445914320&sr=1-1&keywords=ANAT+BERKO)、旅行前まで「人気」印がついていたこと、序文の訳文は、日本語セクション(http://www.danielpipes.org/languages/25)の拙訳中でトップを占めていることをお伝えした。
ご自分にもタリバンのご著書があるシリンスキー氏(http://www.amazon.co.jp/The-Taliban-Afghanistans-Insurgents-Terrorists/dp/0313398976/ref=tmm_hrd_title_0?ie=UTF8&qid=1445917871&sr=1-1)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/comment/20150515)は、「そういう話は、後で、と思っちゃだめなんだ。機を狙って、できる時に即座に実行に移さないと」と早口でおっしゃり、「名誉なことだ」と、快諾して付き添ってくださったのだ。お陰様で、緊張もせずにお話できた。本当に、アメリカ人はオープンで親切だと、今でもありがたく思い出すことである。
ベルコ博士も、国会の始まる時間を気にしながら早口で「あら、私の本全体が日本語になるの?」と、先走って勘違いして喜ぶ辺り、いかにもイスラエル人らしくて楽しかったが、気取りも嫌みもない、気さくで自信に満ちた明るい感じの先輩女性だった。イラクで先祖が裕福なユダヤ家庭だったことを誇りにし、イラクアラビア語を話し、三人のお子さんを育てながら、IDF将校として長年、イスラエル国家に奉仕し、パレスチナの自爆女性達に直接、刑務所に入ってインタビューを試みるなど、女性ならではの面目躍如といった感じだった。ご主人はアシュケナージイスラエル人なのだが、セファラディー系の自分とも結婚生活で何ら問題なく、「夫もアラビア語に堪能で、アラブ人の慣習をよく知っているのよ」と、ご自慢の様子だった。

ダニー・ダノン氏に関しては、国防副大臣をお務めになったこともあり、若手ホープだ。国連大使として任命されたニュースも、まだ記憶に新しい。これまた、ネタニヤフ首相のお声掛けによるものだ。概して平等意識の高いイスラエルとはいえ、年長かつ目上の首相に対して異議を唱えることは、勇気がいることのようだ。しかし、ダノン氏は信念に忠実で、ご著書“Israel:The will to prevail”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130408)に書かれた如く、率直にそのまま行動されている。
本来は、我々の旅の最終日の晩餐時にスピーチをしてくださる予定だったそうだが、国会の仕事で忙しくてキャンセルになり、これまた合間を縫って、急遽、クネセトで姿を現してくださったようだ。
ダノン氏には、私が日本でフォックス・テレビを見た時に直感したように、確かに旅団メンバーにも熱心な女性ファンがいた。クネセトでダノン氏の突然の登場に興奮して喋っていた、カリフォルニア出身の方である。
実は、エルサレム嘆きの壁の後、シリンスキー氏達と合流して、旧市街のキリスト教地区近くの小さなレストラン(と言っても屋台風だった)で、6人掛けテーブルに座って中東風の軽い昼食を楽しみ、のんびりと喋ったり、ブラブラと散歩したりしていた間も、その女性はどうやら、一足先にクネセト準備をされていたらしいパイプス先生と、ご一緒だったようだ。
今にして振り返ると、あの時、平然とエルサレムの旧市街でお昼ご飯を食べられたことが、ほとんど奇跡のように思われる。もっとも、滞在中、仮に暴動が発生したとしても、経験豊かなパイプス旅団は、それもまた好機と捉え、抜け目なく行動されるのであろうが。
日本では、森まり子氏らが、このような人脈動向に関して、ジャボティンスキー流の「イスラエル右派」と著述されている(2012年4月16日付ツィッターhttps://twitter.com/ituna4011)『シオニズムとアラブ:ジャボティンスキーとイスラエル右派 1880〜2005年講談社選書メチエ 418)。そのような研究分析を踏まえながらも、私としては、降って沸いたような出会いと遭遇に驚きつつ、自分の感覚に従って得られたものを大切にしたい。
これからのイスラエルアメリカ政治が楽しみである。