ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレー語 宗教文化の視点から

以下の文章は、2003年5月23日に書いたまま放置してあったものです。(ユーリ)

 先頃、名古屋で催された記念行事に出席する機会があった。70代の仏教系の研究者が中心となった会合である。そこで話題にのぼったのが、現在の大学改革に対する痛烈な批判であり、知的伝統の崩壊を憂える嘆きであった。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」と徒然草(第五十二段)にもある通り、高度経済成長期に学校時代を過ごした私のような者には、襟を正して傾聴すべきお話であると痛感した。
 この先生方は、1960年代半ばからマレーシアを含めた東南アジア地域の実証研究をなさっていたグループである。複雑多様なマレーシアについてほとんど何も知らず、きちんとしたマレー語の基礎訓練を受けることもなく、突然、大学院推薦という形で国際交流基金の采配によりマレーシアに派遣され、ルックイースト政策に奉仕せざるを得なかった二十代半ばの私にとって、帰国後、この先生方が長年苦労して積み上げられてきたお仕事に触れた時には、ある衝撃のようなものを感じた。事前に講義を受けていたならば、マレー人に日本語を教える仕事も、もう少しはましだったかもしれない、と思ったのである。
 もっとも圧倒されたのは、重厚な思想基盤に立った東南アジア全域の人々に対する深い理解である。会長を務められた先生は、パーリ語文献学の権威であり、サンスクリット系の語彙が多く含まれるマレー語は、わかりやすかったとおっしゃる。今でもマレー語文学を読み続けているという先生もいらっしゃった。95年頃、この先生方の集まりで、無謀にもマレーシアの言語問題という題目で二時間以上もお話させていただいた際、最後に一言静かに諭されたのは「マレー語で『地獄』は今でも‘neraka’ですか」であった。ぎょっとしたのは言うまでもない。英語とマレー語の競合関係だの、華語問題をどうするかだの、抽象論ばかりえらそうに述べ立てても、結局のところ、こんな基本的なことについてさえ、配慮が及ばなかったのである。しかも私は、語源の知識を授けられた国文科出身なのに、である。
 考えてみれば、人々の暮らしを支え、時空を織りなす文化的基盤は、何をおいても宗教である。ここでいう宗教とは、空気のように自然になじんだものであり、包み込むような伝統に支えられたものを意味する。見方を変えれば、あらゆる世界宗教は人類叡智の積み重ねである以上、どの宗教文化においても何かしら底流において琴線に触れる共通項があるはずである。
 この先生方が実証調査を始められた昭和40年代ならば、イスラーム圏とはいえ、基底にはヒンドゥ的要素を基盤とし、仏教的なものも混じったマレーシアがまだ息づいていたのではないかと想像される。だからこそ、仏教系の先生方には、サンスクリット系マレー語彙が身近なものと感じられたのだろうと拝察する。
 しかし1980年代以降、イスラーム化政策に弾みがつき、最近ではアラビア語学習がより奨励されるようになったと聞く。そうなってくると、筆者がテーマとするアラビア語系のマレー語宗教語彙がクローズアップされるわけである。筆者の場合、たまたま長年、聖書の物語になじんでいたことが幸いして、パラレルにイスラームを理解することができた。実際、マレー人学生に日本語を教えていた頃、ムスリムはクリスチャンと随分よく似た習慣を持っているのだなあ、と親近感すら抱いていたのである。
 キリスト教は西洋の宗教あるいは植民地支配者の宗教だと固定観念的にとらえてしまうならば、イスラームキリスト教の橋渡し的役割をするアラビア語系語彙の存在が、見えにくくなる。極端な場合には、マレー語訳聖書に‘Allah’が用いられていると公にされるや否や、「それはムスリムを混乱させる目的の陰謀だ」という主張になってしまう。しかし、へブライ語から同じセム系言語のアラビア語が借用した宗教語彙がマレー語に受け継がれているのだという文化史的な流れを知れば、そのような対立型発想の空しさに気づかされるのではないだろうか。
 宗教文化の視点から見た場合、マレー語は、実に興味深い言語である。ヒンドゥ教、仏教、イスラームキリスト教といった世界有数の伝統宗教の根本的要素を包み込むおおらかさを持ったことばである。それは、マレー語文化が誇りにしてよい豊かさだといえよう。
 残念ながら、現在のマレーシアは、エスニックの社会的分化を強める方向に流れているように見える。本来は助け合って何となくまとまっていた関係ですら、互いに不安と脅威を感じ合う雰囲気に変わってしまっている。表向きは共生しているように見えても、一皮めくれば、誰もが満足しているわけではない状態なのである。
 このような現状で、振り回されずにしっかりとマレーシアを理解するには、やはり何らかの伝統に基づいた基盤が必要なのだろう。先に挙げた知的伝統の崩壊を嘆く先生方は、仏教的(一部神道的)なものが根底にあった。お話の仕方一つとっても、細やかな敬語の使い分けや謙譲の姿勢がことば使いに表われていて、上下関係の厳しかった昔の学生時代を思い出したほどである。それは、緊張感を伴うものであったが、同時に、黙っていても理解していただいているという安心感もあったのである。この頃は、人の移動が頻繁になり、人間関係も平板化され緊張感も減った。その代わりに、相互理解も基本的なところから崩れていっているかもしれないという気がする。
(2003.05.23)