ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

断食明けのお祝い

昨日は、マレーシアを初めとするムスリム諸国で「断食明け」をお祝いされていたことと思います。一ヶ月の断食月ラマダーン)を、マレーシアでは‘Bulan Puasa'と呼び、断食明けは‘Hari Raya Puasa'と祝されます。
最近では、ハラール食品の研究も進むなど、日本も着々と、近い将来の国境を越えた人の移動を見込んだ体制に入りつつあるようです。食べ物や行事や日々の習慣などは、相互の配慮のうちに何とか共存できるでしょう。ムスリムが口にしない食品は、私にも適応可能です。
しかし問題は、相容れない思想やイデオロギーの対立が表面化した場合にどうするか、ということです。例えば、少しでも「あるべきイスラームの姿」に相対する見解が出されるや否や、即座に言動で抗議してくるような人の存在に対しては、どう対処すればよいのでしょうか。もっとも、抗議する側は、一種の抵抗ジハードのつもりなのかもしれませんが。
ささいな件ですが、日本で私が経験した事例の一つに、マレー女性の民族服である「バジュ・クロン」「バジュ・クバヤ」を実物で示した時、「それはイスラーム服です」と何度も訂正されてしまったことがあります。せっかく固有の名称がついているのに、正直なところ、(頑固で意固地だなあ)という印象がぬぐえませんでした。しかも、服の持ち主は、過去四年間マレーシアに在住していた私であるのに、です。ちなみに、90年代初頭には、華人やインド系の非ムスリム女性でも好んで着ている姿を、時々、見かけました。
他にも、なぜそこまで、と感じさせられるような「かたくなな」事例が幾つかありました。例えば、マレー語にはアラビア語由来の外来語のみならず、サンスクリット系の外来語もかなり含まれている、と説明した途端に、「イスラームの国なのに、どうして!」と食ってかかるように反論され、その後のサンスクリット関連の話には、一切、手で耳を塞がれてしまったこともあります。当事者にとっては、「多神教的」要素を含む語彙など、聞きたくもない、ということなのでしょう。でも、このマレー語の特性は、好むと好まざるとに関わらず、言語学的事実なのです。そして、極力アラビア語風に置き換えようとしたり、ローマ字からジャウィに表示を転換したりする傾向は、どうやら昨今のマレーシアでも見られる風潮のようです。(同種の別件については、2007年10月18日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071018)をご参照ください。)

これでは、相手を尊重するなら、一定の距離を置くしか方法がない、ということになります。

「寛容になれ」「偏見を持つな」と、数年前までメディアでも頻繁に語られました。ただ、もし、自分の宗教的信念に反するからという理由で、こちらの築き上げた価値観を否定してくる場合には、なかなか困難でしょう。マレーシアでは、そういう事態が積み重なっていることが多く、多民族多宗教社会における「国民統合」と、世界的なイスラーム復興に伴う「イスラーム化」という、非ムスリムにとっては一種相矛盾する方策が同時進行するので、まじめに考えれば(やっかいだなあ)というのが正直なところです。
断るまでもないことですが、個々人のムスリムに、さまざまな見解があることは、もちろん承知の上です。また、日本のような国に移住する場合には、それ相応の適応性を持っているであろうことは、前提の上でです。