「神の名」裁判の延長
今日は七夕。町に出ると、笹の飾りが目につきました。
そしてマレーシアでは、本日がカトリック新聞『ヘラルド』の「神の名」問題に関する裁判の日だったのですが、結局は10日後に。つまり、カトリック側にとっては、延長されたわけです(参照:‘Lily's Room’(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090707))。よくあることです、マレーシアでは。だから、気長に資料だけは集めておかないといけないのです。調子よく、その場だけでインターネット情報から話題作りをしようとしたって、そう簡単にはいきません。
さて、午後にはまた民博図書室へ。借りている本の返却日だったので、更新手続きをしました。その後は、書庫に入って、古い『モスレム/ムスリム世界』のジャーナルを読み直していました。
先週の後半には、マレーシアから、ハシム・カマリ先生とオスマン・バカル先生が来京されていたのでした(参照:2009年7月4日付「ユーリの部屋」)。改めて英語版ブログで確かめてみると、「神の名」問題について、お二人はキリスト教の側にも配慮する発言をされています(参照:‘Lily's Room’(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090312)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090316))。アブドゥラー前首相の発案である‘Islam Hadhari’(文明的イスラーム)については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20081009)、非ムスリムからは「理論だけだ」と批判も出ていますが、教養あるムスリム知識人としては、何とかイスラームのイメージアップと諸文明との共存を図りたいという工夫なのでしょう。
それにしても、ハシム・カマリ先生は多作です。本を書くのがお好きなのでしょうか。恐らくは、アフガニスタンのイスラーム学者家系のご出身なのでしょう。
そうしてみると、『モスレム/ムスリム世界』の初期時代(1910年代)とは、いわば立場が逆転したような感もあります。あの頃は、イスラームが「弱い」ように見えたので、キリスト教宣教師達もムスリム地域に出て行ったのですが。
ただし、先生方の書かれた出版物の問題点は、イスラームの枠内からの思考と記述なので、非ムスリムの立場から見ると、枠組みやフォーマットはとても美しいのだけれど、中身は何かが足りないような語られていないような感じがしてしまうことです。
ところで、昨日届いた本は、H-M・ロータームント(著)佃堅輔/佐々木滋(訳)『シャガールで読む旧約聖書』図書新聞(2008年)です。とても興味深く読めそうです。