ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

同床異夢?

北米での「ムスリム改革運動」の実態について、メディアでは有名なものの、実はあまりうまくいっていないという話を、過去ブログで綴った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170227)。
それに関して、昨日、2016年秋の欧州旅行で知り合ったオーストラリアの旅団メンバーの一人(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161023)が設立(と言っても、閉じられた有志グループを形成してフェイスブックでニュース報道を共有して議論する形式)したグループ・コメントを見ていて、これはなかなか厄介だと感じた。
その人は、上記の「ムスリム改革運動」を支援しており、一緒に旅行した「カラチ夫人」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20161005)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20161021)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20170225)を特に応援している。そして、一言でも誰かがムスリムに対して中傷めいたことを書き込むと「私達の規約に反しますから、そういう憎悪的な言葉を書くならば、出て行ってください」と注意をする。実際、出て行った人も名指しで報告されている。
このようなことは、フェイスブックと言えども、立ち上げた主催者の責任でもあり、グループをまとめていくのに必要な手段だとは言える。
だが、昨晩のコメントの場合、同じく「出て行ってください」と書かれたのは、実は2015年春のイスラエル旅行で知り合った人(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161205)の発言だった。
ムスリム改革」なんて、本当にできるのか?ムスリムは、イスラーム信仰を守るために、‘Taqqiya’を使って嘘をつくから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120301)、「改革」と言いながらも、実はこちらを騙しているのではないか?
凡そ、そういう内容の発言だった。
二つの旅行に参加し、計三人の当事者を知っている立場として、私は一種の「仲介」に入らざるを得なくなった。
「カラチ夫人」の「ムスリム改革運動」に対して、私は何ら異議はない。欧州旅行記についても(https://raheelraza.wordpress.com/2016/10/11/a-tour-of-europe/)、参加者人数には加えられているものの「日本」国名が抜けていることも、私は既に指摘した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161027)。だから、フェイスブックの閉鎖グループ設立者の活動にも、私は基本的に同意している。(というよりも、正確には、参加するよう旅行中に誘われたのだ。)
一方、昨夜「(そういう発言をするなら)出て行ってください」と指名された人は、エジプトのコプト出身者で、今は「カラチ夫人」と同じくカナダ在住だが、イスラームムスリムの諸問題については、故国でのズィンミー経験があるため、鋭い感覚を持っている。概して否定感情だ。だからこそ、思い切って発言してみたところが、「炎上」寸前になってしまったようだ。
私はと言えば、逐一、一連の議論を見ていたのではなく、自分のフェイスブックを開いたら、その話がたまたまトップに出てきたので、偶然、知ったまでのことではあった。

私からフェイスブック主催者への返事:

「2015年春のネゲブ・イスラエルの旅で、私はMさんに会いました。彼はコプトで、故国のエジプトでひどい経験をされました。ですから、イスラームについて自分なりの見解を持っているのです。2016年秋の欧州旅行で、私は「カラチ夫人」に会いました。ムスリム信仰を維持しながら、移住した西洋文脈に非常に適応されているように思えます。今でさえ、それができるムスリムもいます。残念ながら、全てのムスリムがまだ「カラチ夫人」のようではありません。でも、1980年代に日本の母校で、多くのムスリムが「カラチ夫人」のようだったことを、私は覚えています。ですから、時間が経てばわかるでしょう」。

これには、主催者も即座に同意し、特に反論も追加コメントもなかった。
しばらくしてから、私のフェイスブックの方へ、まだ不満の残るMさんが意見を書いてきたので、私は上記返事をそのままコピーしてから、以下のように追加した。

「西洋人の側にとっては、「ムスリム改革グループ」は受容可能で奨励されるものなのです。でも、全てのムスリムが、あの人達のようではないことを私は知っています。今ではまだマイノリティなのです」。

「1980年代に、私の大学でムスリム留学生が勉強していました。当時、彼らの大半は「カラチ夫人」のようにもっとリベラルでした」。

「パイプス博士も、イスラームは改革され得るという考えです(http://ja.danielpipes.org/article/13899)。この話題は、今なお論争可能です」。

「どう感じているか、理解していますよ、Mさん。だから、この話題は、まだエンドレスに討論可能なのです」。

実は、5年ほど前に「イスラームは平和の宗教ではない」と公開討論会で鋭く言い放って、脚光を浴びたダグラス・マレイさんだが(https://vimeo.com/15646170)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170316)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170317)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170318)、彼は学問的に正しい。というのは、「イスラームとはアッラーへの(絶対)服従」を意味するためである(『岩波 イスラーム辞典』(2002年 p.73)(http://ja.danielpipes.org/blog/15269)(http://ja.danielpipes.org/blog/15308))。
それに、「平和の宗教ではない」と非ムスリムのダグラスさんから言われて、逆上して襲撃するムスリムがいたとすれば、それこそ「平和の宗教ではない」ことを自ら証明することになるため、暴力防止の言説にもなる。
だから、この討論は、最初の設定からダグラス組の勝ちが決まっていたようなものだった。
それに、ダグラスさんは昨年、私達の旅行の前後で、「カラチ夫人」と別の会合で一緒に発言をされている。「伝統的な英国文化、欧州文化を守るためにも、ムスリム移民はもう要らない」という主張を堅持されながらも、同時に「西洋の法を遵守するムスリムならば、我々の仲間だ、友人だ」というポーズなのである。
ただ、実のところ、イスラーム法と西洋近代法は、相互に矛盾する項目が少なくない。だから、西洋法を遵守しつつ、敬虔なムスリムであることは、本当に両立可能なのか、という意見が出るのも当然である。
それに、ムスリム圏内でクリスチャンがいかに悲惨な目に遭っているか、という視点から、コプトアメリカ人二世が毎月レポートを出しており、それを何年も続けて本にまとめて出版もしたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Raymond+Ibrahim%22)、同じくコプトのMさんのような人達による故国での経験を重ね合わせて、「イスラームは非ムスリムを抑圧するのだ」という合意が広く形成されつつあることも、また事実である。
結局のところ、同じ塹壕に位置しながらも、相互に矛盾葛藤する側面を持ちつつ、それぞれが自分達を守るために行っている言論なのである。フェイスブックのグループ主催者やダグラスさん達は、西洋人として自分達の伝統文化を守りたいから、西洋化した少数派ムスリムを仲間に引き入れて、一緒に言論活動をする。一方、西洋に移住したムスリムは、母国よりも西洋社会の方が居心地が良いので、過激なイスラミストや西洋に馴染もうとしないムスリムの存在が疎ましく、「自分達はそうではありません」と言い続け、理解と賛同を求めなければならないのだ。
この辺りは、パイプス先生も援用するテクニックで、だからこそ何かと論議を招きやすいのだが、我々日本人としては、よく心した方がよいのかもしれない。
25年以上、マレーシアを始めとするムスリム世界の情報に触れてきた者として、イスラームほど語りにくく、同時に、あらゆる立場から語り続けられる現象はないのではないか、と思わされる。
問題は、いつまでこれが続くのか、どこで線引きをしていくべきなのか、ということだ。
パイプス先生やダグラスさん達が、討論会でもパネル講演でも、ムスリム側が途中で口を挟もうとする度に、それを無視して「私が話し終わるまで待ってください」と、堂々と早口で語り続けることが時々あるが、それは、ムスリム側が話の腰を折るからである。相手を尊重してムスリムの話をまともに聞こうとすると、大抵グルグルと回り、無関係な話題までいつの間にか広がって、時間の浪費だということが最初からわかっているからである。