ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

変化への第一歩

メムリ」(http://memri.jp)
Special Dispatch Series No 2324 Apr/26/2009

キャンプ・デービッド合意はイスラム法上、有効である
イスラエルとエジプトが(1978年)キャンプ・デービッド合意に調印してから30年。(エジプトのイスラム原理主義組織)「イスラム集団」(Al-Gama’a Al-Islamiyya)の幹部は、同合意はシャリーアイスラム法)によって認可されており、エジプトの利益に役立ったと述べた。この声明は、イスラム集団が長年イスラエルの承認と平和的な関係の樹立に猛反対してきた点に照らして注目される。
イスラム集団は80年代と90年代、エジプトで数多くのテロを引き起こした組織だが、近年その立場を決定的に転換した。エジプトで長く服役してきた指導者たちは暴力の放棄を誓約し、過去のテロ活動を陳謝するとともに、現在、政権との共存を主張する新たなイデオロギーを表明している。※1
以下は、イスラム集団の創始者でムフティ(イスラム法解釈者)のナジー・イブラヒーム(Najie Ibrahim)の声明の抜粋である。この声明はwww.islamonline.netに掲載された。※2
ムフティ:「イスラエルとの平和条約はイスラムの宗教法に従って有効である」
イスラム集団のムフティ、ナジー・イブラヒームはwww.islam.online に対し、イスラエル・エジプト間平和条約はイスラムの宗教法に照らして有効であると語った。彼は(1981年の)エジプト大統領アンワル・サーダート(Anwar Al-Sadat)暗殺事件に連座し、共謀罪で25年間服役した。イブラヒームはフダイビーヤの先例※3に拠って、こう主張した。「シャリーアは、ムスリムムスリム間であろうと、ムスリムユダヤ人、キリスト教徒、他の宗教グループのメンバー間であろうと、両者間の協定(調印)と平和関係を認めた。条件は、それがムスリム諸国の利益になることだった」。さらにイブラヒームはこう付け加えた。1970年代から今日までイスラム集団の一部若者たちが行ってきた、ユダヤ人との和平が禁止されているという主張はシャリーアに相反する、と。
イスラエル承認は、取り巻く環境への、一時的で実用的な譲歩
イブラヒームは続けてこう述べた。「キャンプ・デービッド合意は多くの欠点があったが、当時エジプトが採り得た最善の(選択)だった。とりわけエジプトを取り巻いた国内、地域、国際的環境の中で、イスラエルとの軍事抗争の継続は不可能だったからだ」。
彼はこう付け加えた。「エジプトには、パレスチナ全土を解放する軍事、政治、経済的能力はない。また、(エジプトが行った)いかなる戦争も、パレスチナ全土解放の達成が目標ではなかった・・・エジプトが望んだのはエジプト(だけの)政治、軍事、経済的目標(の達成)だった」。イブラヒームはまた「イスラエルパレスチナ占領は宗教上違法だが、現実の一部である」と強調した。同時に、こう付け加えた。「この現実に立ち向かい、イスラエルを(主権)国家として承認することは、イスラエルに宗教上の合法性を与えるものではない・・・」
イブラヒームは自分の立場を歴史に基づいて、こう正当化した。十字軍(戦争)時、2人のムスリム指導者━当時のムスリムの偉大な王たちのひとり、サラーフッディン・アイユービ(Salah Al-Din Al-Ayoubi)とザンギー朝の最後の支配者ヌールッディン・マフムード(Nour Al-Din Mahmoud)━は、十字軍と和平協定およびフドナ休戦協定に調印した。イブラヒームは、こう主張した。「(十字軍時代の)宗教権威は誰もこれらの協定に反対しなかった。ただ、これらの協定が十字軍によるムスリム領土の占領を宗教上認可することには反対した・・・だが、これらの協定は利害と力のバランスの違いが命じた一時的な妥協だった」
キャンプ・デービッド合意の反対者には、それに替わるより良いものがない
イブラヒームはまた、こう主張した。キャンプ・デービッド合意に反対するアラブ諸国、とりわけイラクとシリアは、「同合意に代わる、より良い政治的、軍事的代替案を提示していないし、また、欠陥はあるものの、キャンプ・デービッド合意ほど注目されるものは達成していない」
注:(1) メムリ調査・分析シリーズNo.309、Y.CarmonとY.FeldnerおよびD.Lavによる「イスラム集団の暴力停止:イデオロギーの転換」を見よ。
(2) www.islamonline.net 2009年3月27日。イブラヒームはイスラム集団のウエブサイトwww.egyig.com に類似の声明を行い、個人的意見であって同組織の公式な立場ではないと強調した。
(3) フダイビーヤ休戦協定は628年、預言者ムハンマドと、敵であるメッカの多神教崇拝のクライシュ族との間で調印された。期間は10年間だった。預言者は、自分の軍勢がメッカの軍勢より劣勢であることを理解して、同協定に調印した。こ2年後、ムハンマドはメッカを制圧した。

(引用終)

時間は相当かかるものの、変われば変わるものですねぇ。しみじみ感慨深く思います。もちろん、陰で黒子のように根気強く説得したりなど、努力した人々の存在を忘れてはなりませんが。(ユーリ)