以下は、昨日見つけたサイトからの拙訳です。原文は‘Lily's Room’(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090430)をご覧ください。部分的に意訳した箇所があります。また、固有名詞などの誤訳については、ご教示いただけると幸いです。無論、いかなる誤りも私の責任内にあります(随時訂正中)。
『アジア・ニュース』のために書かれたこのエッセイの著者Fr. Prof. Dr. Samir Khalil Samir, sj.は、エジプト生まれのイエズス会司祭で、教皇とムスリムの両方に非常に通じている方です。イスラーム学とアラブ文化史がご専門で、現在、レバノンのベイルートにある聖ヨセフ大学とローマの教皇庁立東方研究所の教授でいらっしゃいます。キリスト教アラブ学の国際研究会の会長であり、アラブ・キリスト教文献資料センターの創設者です。フランス語とアラビア語および英語での著作が多数おありです。2005年9月には、ガンドルフォ城でベネディクト16世とのイスラームにおける神概念に関する私的会合に出席されました。
私は以前から、この司祭の発言に注目しており、何度か引用もさせていただいています。また、このところ夢中になっていて、ちょうど今日読み終えた、アメリカのカトリック大学教授Fr. Prof. Dr. Sidney Harrison Griffith "The Church in the Shadow of the Mosque: Christians and Muslims in the World of Islam", Princeton University Press, 2008 でも、論文が頻繁に引用されています。
2006年5月という時期に書かれた以下のエッセイは、その後、世界中で大騒ぎとなった同年9月のレーゲンスブルク大学における教皇の講義内容を一部予見させているという意味で、貴重だと思います(参照:2007年10月24日・11月10日・12月6日・12月21日・2008年4月21日・6月16日・2009年3月15日付「ユーリの部屋」)。当時の教皇発言に対して、ムスリムのみならず、非ムスリムの特にプロテスタントの方からも批判が挙がったことは、留意すべき点です。ただし、以下を読めばわかるように、以前の繰り返しになりますが、その批判がいささか筋違いであったということも併せて含みおくべきではないかと思われます。このエッセイは、カトリック家系3代目に連なるエジプト人司祭によって書かれたもので、自国でも「差別的」経験に遭遇し、アラブのキリスト教に関する詳細な資料に基づくパイオニア的実証研究をされたという背景を考慮するならば、単なる教皇崇拝、おべっかやすり寄りでもないことは理解できるかと思います。
私が日本の某研究会で聞いた話では、ヴァチカンの人々は、内部に閉じこもっているために、世間一般の事情に疎く、非常に保守的な考えに傾いているとのことでした。この発言は、日本のカトリック系大学の外国人司祭によるものでした。しかし、マレーシアのようなイスラーム圏では、マレー・ムスリムとの関係でカトリック側に困難が生じた際、助言を仰ぐのはヴァチカンであり、年に一度は世界中のカトリック教区が表敬訪問と報告をする慣習があることから、その意味ではヴァチカンも、少なくともある程度は、事情通であるはずなのです。その他の教義面では、確かにプロテスタントの主流派とは見解が異なる面も多少あることは確かですが、イスラーム問題については、私も自分のリサーチ上、大いに参考にさせていただいているのが、このヴァチカンの見解です。
この文章からは、ヴァチカンは、キリスト教の中心的な信仰事項を否定する教義を信じているムスリムとの間で、もはや神学的議論をしないことに決めた模様です(参考:2009年1月9日付‘Lily's Room'(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090109))。それよりも、誰もが共有している人間性の良心に基づいて、文化的な対話をすることで、互恵的尊重を目指しているようです。その際、一方的な理解ではなく、相互関係を重視するよう促している点、このベネディクト16世の確固たる姿勢がうかがえると思います。では、本文をどうぞ。
「諸文明が出会う時:ジョセフ・ラッツィンガーはどのようにイスラームを見ているか」(http://www.chiesa.espressonline.it)
2006年5月4日 by Samir Khalil Samir, sj.
ベネディクト16世は恐らく、現代のイスラームが議論される中で、その曖昧さと現代社会で場所を見つける苦闘を深く理解している数少ない人の一人であろう。同時に彼は、イスラームにとっての、世界的な共存に向けて諸宗教と共に働く道を提案している。宗教間対話に基づくのではなく、理性、人の洞察力、イデオロギーや宗教以前の人間性による諸文化や諸文明の間での対話に基づいてである。この選択は、教皇庁諸宗教間対話評議会をより大きな文化機関に吸収させた決断に現れている。
教皇は、イスラームに文化や人権や暴力の拒否に基づく対話を求める一方で、西洋に対しても同時に、人間性の洞察力や宗教的次元を排除しない理性に立ち返るよう求めてもいる。恐らくは、この方法でのみ、文明間の衝突が避けられ、むしろ諸宗教間の対話へと転換できるのだろう。
ベネディクト16世のイスラームについての思考を理解するために、その展開を検討しなければならない。真に本質的な文書が1996年に書かれた彼の本に見いだされる。その時彼はまだ枢機卿であったが、Peter Seewaldと一緒に『地上の塩』と題する本を書いた。その中で、イスラームとキリスト教と西洋の間におけるさまざまな相違に焦点を当て、考察している。
第一に、イスラームに正統性がないと示している。なぜなら、誰もが権威者ではないし、共通の教義的教導権を持たないからである。これが対話を困難にする。対話に関与する時、それは、「イスラームと共に」ではなく、集団と共に、なのである。
しかし、鍵はシャリーアの取り扱いである。彼は次のように指摘している。
「コーランは、政治社会的生活のすべてを規定する全宗教法である。そして、生活の全秩序がイスラーム的であることを主張する。シャリーアは、最初から終わりまで社会を形成する。この意味で、我々の憲法が与えるような自由を活かし得るのであるが、最終目的ではあり得ない。今や我々も権利を持つ体なのであり、社会の中でカトリックだとかプロテスタントだとかのように存在している。このような状況の中で、イスラームは、内的な性質と一致する地位に到達しないだろう。それ自身から孤立しているのである。
この孤立はただ、社会の全イスラーム化を通してのみ解決されうる。例えば、あるムスリムが西洋社会で己を見出す時、特定の要素から利益を得たり、それを活かしたりはできるだろう。しかし、己を非ムスリム市民だと同定することはできない。なぜならば、彼はムスリム社会において自分自身を見出しているのではないからだ」。
ラッツィンガー枢機卿は明らかに、ムスリム世界と社会政治的関係を結ぶことの本質的困難さを見ていたのである。それは、イスラーム概念の全体化からくるものであり、キリスト教とは深く異なっている。この理由のために、彼は政治と宗教の間の関係についてのキリスト教的展望をイスラームに提案しようとすることはできない。これは大変に難しいのである。イスラームはキリスト教や西洋社会と全く異なった宗教なので、共存は容易ではない。
2005年9月1日から2日までガンドルフォ城で開かれた非公開のセミナーで、教皇はこれと同じ考えを主張し、強調した。この機会に、彼は神学的見解から初めて、イスラーム的啓示概念の説明に入った。
コーランはムハンマドの上に「下った」。それは、ムハンマドへ「霊感された」のではない。この理由で、ムスリムはコーランを解釈する権威を持つとは考えていない。しかし、7世紀のアラビアで生じたこのテクストに結ばれているのである。これは、以前と同じ結論につながる。コーランの絶対的性質が対話をさらに困難にしている。なぜならば、全くではないにせよ、解釈の余地がほとんどないからである。
我々も承知のように、枢機卿としての彼の考えは、教皇としての展望の延長線上にある。すなわち、イスラームとキリスト教の間には深い相違があるという点に焦点を当てるのである。
7月24日、イタリアのアオスタ渓谷地域に滞在中、イスラームは平和の宗教として描写されうるかどうか尋ねられた。それに対して彼が答えたには、「私は一般的な用語で話そうとは思わない。確かに、イスラームは、その他の要素を含んでいるように、平和を好む要素を含んでいる」と。明確ではないものの、ベネディクト16世が示唆するのは、イスラームは、さまざまな事例において正当化される暴力と向かい合っているという曖昧さに苦しんでいることだ。そして彼は付け加えた。「我々は、よりよい要素を見つけ出す努力を常にしなければならない」。別の人がその後、テロリストの攻撃は反キリスト教的と考えられ得るかどうか尋ねた。彼の答えは明快だった。「いや、その意図はもっと一般的なものであって、ただキリスト教に向けられているものだとは思えない」。
・宗教間対話よりも文化間対話の方がもっと実りがある
8月20日に、ケルンで、教皇ベネディクト16世は、ムスリム共同体の代表者達と最初の大きな出会いを持った。比較的長いスピーチで、彼は次のように述べている。
「テロリズムの広がりのような我々の関心事の一つを取り上げる時、あなた方自身の思考を反映するだろうと確信しています」。
私は、彼がここで、彼らに我々が同じ関心事を持っているのだと述べることでムスリムと関わるやり方が好きだ。彼は続ける。「あなた方の多くが、特に信仰とテロの関連を堅く拒否したこと、そして公にも、非難したことを知っています」。さらに続けて言う。「いかなる種類のテロリズムも人命の聖なる権利への非難を示し、すべての市民的共存のまさに基盤を低下させるという邪悪で無慈悲な(彼は3回この語を繰り返した)選択です」。そして、再び、イスラーム世界に関わっていく。
「もし、あらゆる形式の不寛容に抵抗することで、そして、すべての暴力の現れに反対することで、怨嗟の跡を心から取り除くことに共に成功できるならば、あまりにも多くの人々の命を危険にさらし、世界平和への進歩を押しとどめる無慈悲な狂信主義の波を押し返すでしょう。この課題は難しいですが、不可能ではなく、信仰者はこれを成し遂げることができます」。
私は「怨嗟の跡を心から取り除く」と強調したやり方がとても好きだ。ベネディクト16世は、テロリズムの原因の一つは怨嗟の感情にあると理解したからだ。さらに続ける。「親愛なる友よ。我々の間で否定的な圧力を生じさせないようにしなければならないと深く確信しています。しかし、相互尊敬や連帯や平和の価値を確信しなければなりません」。そして、「我々には、基本的な道義的価値の奉仕において、共に行動すべき多くの領域があります。権威を付与する人の尊厳や権利を守ることは、すべての社会的努力や実りをもたらすあらゆる努力の目的を示します」。
ここで重要な文を見出す。
「このメッセージは、静かな、しかし明らかな良心の声によって、間違いなく我々に届けられるものです。人の中心部の認識によってのみ、理解の共通基盤が見出されるのです。文化的な衝突を越えて、イデオロギーの破壊的な力を中立化させるよう我々を動かし得るのです。それゆえ、宗教の前でさえ、良心の声があるのであり、道義的価値のためにすべてが戦わなければなりません。人の尊厳、権利を守ることのために」。
だから、ベネディクト16世にとって、対話は人の中心性に基づいてなされなければならない。それは、文化的イデオロギー的対比に優先するものである。そしてイデオロギーの下で、宗教が理解されうることもあるのだ、と私は思う。これは、教皇の展望の柱の一つである。なぜ、諸宗教間対話と文化委員会を統合したのかを説明する。これは、皆を驚かせたのであるが。この選択は深い展望からくるもので、多くが認めるに値するMichael Fitzgerald大司教を「取り除く」圧力によるのでもない。それは一部分であったかもしれないが、目的ではなかった。
本質的な考えは、イスラームやその他の宗教との対話は、広い意味での道義的価値を除いて、神学的あるいは宗教的対話ではありえないことだということである。それは、文化や文明の対話に代わられなければならない。
1999年を思い起こす価値があろう。ラッツィンガー枢機卿は、ヨルダンのハッサン皇子、ジュネーブのダマスキノス大主教、2003年に亡くなったサルドゥリン・アガ・ハーン王子、フランスの大ラビであるレネ・サムエル・シラットとの出会いに参加した。ムスリム、ユダヤ人、クリスチャンが諸宗教と諸文化の対話基金によって招かれ、文化的対話の基礎を作り出そうとしていた。
この一歩は極めて重要である。ムスリム世界でなされるいかなる種の対話でも、宗教的話題が始まると、議論はパレスチナ人、イスラエル、イラク、アフガニスタン、すなわち、政治的文化的衝突の問題に移ってしまうのだ。洗練された神学的議論は、イスラームとの対話では決して可能ではない。例えば、三位一体、受肉などについて語れない。
1977年にコルドバで一度、預言概念についての会合が開かれた。ムスリムに見られるキリストの預言者的性格を扱った後で、あるクリスチャンがキリスト教的見地からムハンマドの預言者的性格について発表を行った。そして勇敢にも、教会は彼を預言者と認めないと言ったのだ。ただ一般的な意味においては、最大限、そのように定義できるかもしれないが。ちょうどマルクスが現代の「預言者」であると言われるように。その結論はどうだったか?この問題は、本来の会合を差し替えて、続く三日間の会話の話題になった。
最も実りがあったと思ったムスリム世界との議論は、学際的な文化間の問題が議論されたものであった。ムスリムの招待で、ムスリム世界の各地での宗教間会合に何度も参加したが、話は常に諸宗教や諸文明や諸文化との出会いについてだった。
二週間前、イランのイスファハンで、「諸文明や諸宗教との出会い」と題する会合に出た。次の9月19日には、ローマのグレゴリアン大学で、イランの文化省がイタリアの当局と共に組織した会合があるだろう。そしてこれも諸文化の出会いであろうし、前イラン大統領ハタミ師も参加されるだろう。
教皇はこの重要な側面を理解していた。神学に関する議論は少数の間でのみ起こりうるが、今や確かにイスラームとキリスト教の時期ではないということだ。その代わりに、具体的な時期における政治や経済や歴史や文化や習慣の中で、共存問題を取り扱うことが問題となる。
・理性と信仰
別の事実は、私にとって大切だと思われる。2004年10月25日に、イタリア人歴史家のエルネスト・ガリ・デラ・ロギアと当時のラッツィンガー枢機卿との間で意見交換がなされた。後者は、ある点で「ことばの種」を思い起こし、哲学において見出された真実の探求の達成として、教父達によって見られるキリスト教信仰における理性の重要性を強調した。ガリ・デラ・ロギアはその時、皆に言った。「信仰と同定される希望は、ロゴスをもたらし、このロゴスは他者へ伝達できる弁証、返答となることができます」。ラッツィンガー枢機卿は答えた。「我々は権力の帝国を造りたくはありません。しかし我々は、伝達されうるものを持っているし、理性の期待はそちらへ向かうのです。これは伝達しうるのです。なぜなら、我々が分かち合った人間性に属しており、真実と愛という宝物を見出した人々の側にとって、伝達の義務があるからです。合理性はそれゆえキリスト教の要求であり、条件だったのです。それは、平和的に積極的に、イスラームや偉大なアジアの諸宗教と比較するヨーロッパの遺産であり続けます」。
それゆえ、教皇にとって、対話は、理性に基づくレベルなのである。そして続けてこう言う。「この理性は、我々の存在という偉大な諸価値が主観性や相対主義へと減ぜられるような実証主義者になるなら(ここで彼は西洋を非難している)、また、人類の切断法になるなら、人類にとって危険で破壊的になります。我々は、誰にもただ自由に受け入れられうる信仰を押しつけることは望みませんが、ヨーロッパの理性を鮮明化する力として望んでいます。それは、我々のアイデンティティに属するのです」。
それから、本質的な部分が来る。
「ヨーロッパ憲法では、神について語ってはならないと言われてきました。なぜならムスリムやその他の信徒に無礼であってはならないからです。その反対が真実なのです。ムスリムやその他の信徒に無礼であることは、神や我々のキリスト教ルーツについて語ることではなくて、むしろ、我々を他文化から引き離す神や聖なるものに侮蔑の態度を見せることであり、出会いの機会を作ることではなく、理性を縮小させ削減する傲岸さを表現することです。それは、根源的な反応を刺激します」。
ベネディクト16世は、すべてが相対化された西洋とは対照的な、信仰に基づく確かさを持つイスラームを称賛している。また、西洋ではむしろ消えてしまったように見える、イスラームにおける聖なるものへの感覚を称賛してもいる。彼は、ムスリムが宗教的象徴である十字架によっては不快にならないことを理解した。これは実は、社会から宗教者を除外する努力という世俗的な論争である。ムスリムは宗教的象徴によっては不快にならないが、世俗化された文化によっては不快になる。神と神に結び付く諸価値がこの文明から欠けているという事実によってである。
これは私の経験でもある。イタリアに住むムスリム達と一緒だった間、時々おしゃべりしたが、彼らはこう言ったのだ。この国は何でも提供してくれる。好きなように暮らせる。でも、不幸にも、「諸原則」(これが彼らの用いた言葉だ)がない、と。これは、教皇によって最も感じられているものだ。「人間性へ戻ろうじゃないか。人権の考えを与える理性に基づき、良心に基づいて。一方で、不毛な何かへ理性を引き下げないようにしよう。宗教者を理性のうちに統合しよう。宗教者は理性の一部なのだから」。
ここにおいて、私は、ベネディクト16世がヨハネ・パウロ二世の展望をより正確に述べたと思っている。前教皇によって、イスラームとの対話は、すべてのものに関して祈りのうちにでさえ共同へ開かれたものである必要があった。ベネディクト(16世)は、より本質的な点を目している。神学は考慮されるものではない。少なくとも、歴史の現段階においては、そうではない。考慮されるものは、イスラームはより発展中の宗教であり、西洋と世界にとってますます危険なものになりつつあるという事実である。危険は、一般的なイスラームの中にあるのではなく、暴力を公に決して放棄せず、テロリズムや狂信主義を引き起こすイスラームの中のある展望にある。
一方、彼はイスラームを社会政治的現象に引き落としたくはないとしている。教皇は、時にはある役割を果たし、他方では違った働きをするという、イスラームの曖昧さを深く理解してきた。そして、彼の提案は、もし共通基盤を見出したいならば、この対話に人間的な基盤を与える宗教的対話から抜け出さなければならない、というものだ。なぜなら、これらのみが普遍的で、すべての人類によって分かち合われているからだ。ヒューマニズムは普遍的要因だ。信仰は、衝突や分裂の要因になりうる。
・相互依存関係はイエス、「善をなせ」にはノー
教皇の立場は、決してテロリズムや暴力の正当化へと落ちてはいない。時々、教会の人物になると、人々は一般的な種の相対化へと陥りやすい。結局のところ、あらゆる宗教には、キリスト教徒の間でさえ暴力がある。あるいは、暴力は他の暴力への応答としては正当化される、など。いや、この教皇は、決してこの種の引喩をしたことはない。
しかし他方、「善をなせ」によって、自責の念の複雑さによって特徴づけられる、西洋のあるキリスト教グループで見出される態度にも陥ってはいない。最近、何人かのムスリムが尋ねてきた。教皇は十字軍、植民地主義、宣教師達、戯画などについて赦しを求めているか、と。彼はこの罠には陥っていない。なぜなら、彼は知っているからだ。彼のことばは対話を築くために用いられるのではなく、対話を破壊するために用いられることがあると。これはムスリム世界について持っている我々の経験である。大変寛大で深い霊性を伴うものであるが、過去の歴史的出来事に対する赦しを求めるためのあらゆるこのような姿勢は、ムスリムによって食い物にされ、一つの説明として表現される。つまり、ここで彼らは言うのだ。あなたはそれを自分自身でさえ認めている。あなたは罪を犯した。このような姿勢は決していかなる種の相互依存関係も誘発しない。
この点で、教皇がモロッコの大使に対する2006年2月20日の発言を思い出すのは有益であろう。彼はこうほのめかしたのだ。「自由に選ばれた宗教実践が真にすべての社会における皆に保証されるよう、互恵的やり方で、他者の確信や宗教的実践を尊重しなさい」。
西洋とイスラーム諸国の間で、イスラームでは禁止されている、宗教を変える自由について、あるいは信教の自由の権利に関する相互尊重について、これらは二つの小さなしかし非常に重要な証言である。すばらしいことは、教皇があえて言ったことだ。政治の、そして教会の世界では、人々はこのことに言及するのをしばしば恐れるのであるが。サウジアラビアで存在している信教の自由の侵害ということになると、沈黙が支配することを挙げれば充分であろう。
私は本当にこの教皇が好きだ。彼の調和の取り方、彼の明晰さが。彼は妥協というものをしない。理性の名において福音を宣べ伝える必要性を強調し続けるからである。だから彼は、恐れる人々や、いわゆる改宗に反対して語る人々によっても、影響させられない。教皇は常に保証を求めている。キリスト教信仰は「提案され」うるものであって、「自由に選ばれ」うるものであることを。
(拙訳終)