ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新しい「マレー語訳聖書」の内実

昨日書いたマレー語訳聖書の件ですが、大凡の状況がつかめてきました。
マレーシア聖書協会からも、お返事をいただき、「これは、インドネシア聖書協会もマレーシア聖書協会も出版していない版ですから、ここから販売に出すことはありません」とのこと。
では、この訳は一体どこから来たのかと言えば、ジャカルタの‘Yayasan Lentera Bangsa'という団体のようで、代表者の名には、Jay P.Green, Sr.という人が挙がっています。どうやら、文字通り主義的に聖書を翻訳したい立場のようで、それがわざわざ表示されています。
電子版が見つかったのですが(http://issuu.com/sahabatilahi/docs/ks-ilt-edisi2/57)、旧約は‘Amsal'(箴言)のみ、新約はロマ書のみで、それに、語彙説明のような「辞書」と、地図などが入っているようですが、地図は省略されていました。確かに、‘Elohim' 'YAHWEH'が使われており、‘Allah'は省かれていますが、「主」に当たる‘Tuhan'は、新約で用いられています。
何語においてであれ、聖書翻訳にはさまざまな見解があり、どの版にも一長一短があるので、多様性が出てくるのはやむを得ないことですが、問題は、この版がなぜ、クアラルンプールのワールドトレードセンターの書籍展に混じり込んでいたのかということです。誰が、そのようにしたのでしょうか、これはまだわかっていません。
一方、この版について、カトリックの編集長もちょっと神経質になってしまって、ニュース一面で騒ぎ過ぎかもしれません‘Bible without "Allah" promoted in Book Fair: Bible not approved by the Bishops' Conference' by Fr. Lawrence Andrew, SJ.'(Herald: The Catholic Weekly, 26 April 2009, Vol.16, No.15, p.1)。
プロテスタントの方では、今のところ、何ら大きな反応は見られないようです。聖書翻訳には多種多様あるということを、恐らくは経験的に知っているからでしょう。カトリックはその点で統制がきいていますから、過剰反応してしまうのかもしれませんね。ただ、このようにしっかりした見解を出していただくと、こちらも非常に助かります。
実は、英語版ブログ‘Lily's Room'の2008年1月8日付で、‘Allah'を用いないインドネシア語訳聖書について、既に扱っています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080108)。といっても、私が直接関与していたのではなく、カイロス調査研究センター所長のDr.Ng Kam WengのブログにMohammad Faudzee氏がコメントを寄せ、その文中で紹介されていたものです。もちろん、Mohammad Faudzee氏はインドネシア聖書協会がこの版を認めていないばかりか、聖書協会の立場を明らかにする声明まで出していることを承知しています。そして、クリスチャンがムスリムの‘Allah'を認めることを喜んでいるのです。ただし、そこで言及されている版と上記の版とが同一かどうかは、不明です。団体名が違うようにも思うのですが、実物を見ない限りは何とも言えません。
この分野、なかなか複雑でやっかいで、結論には至りませんが、リサーチのテーマとしては、おかげさまでネタが尽きることなく、その点では幸いなのかもしれません。

(ps)この聖書版に対するカトリック新聞編集者の反応は、‘Lily's Room'(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090429)をどうぞ。