ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『メムリ』掲載記事から

メムリ』(http://memri.jp
Special Dispatch Series No 2624 Nov/3/2009

「国交樹立から30年―対イスラエル正常化の是非をめぐる論争―」

 キャンプデービッドの平和成立から30年。エジプトの週刊誌Roz Al-Yousufが30周年特集号を発行した。政治、経済及び文化的側面から対イスラエル正常化を論じた内容である。次に紹介するのは、特集記事とインタビューの概要である※1。

・正常化は犯罪行為か強迫観念か

特集の論説は次のように主張する。
「キャンプデービッドの平和条約調印以来、エジプト・イスラエル関係という橋の下を水が滔々として流れたが、我々は(イスラエルとの)関係正常化について、明確な立場をまだ持つに至っていない。この問題は政治目的のため、まさにすり切れる程利用されてきたので、その意味と恐らくはその価値すら失ってしまい、対イスラエル正常化は犯罪行為なのかそれとも強迫観念なのか、判らなくなっている…。
 正常化拒否は…イスラエルに本当の譲歩をせまるための有力な武器として、まだ使えるものなのか、それとも効力をなくした武器なのか…。
 字義通りに解釈すれば、正常化は存在する。それは、(キャンプデービッドの)平和合意、QIZ合意※2、イスラエルへの(天然)ガス輸出に具現され、イスラエルと関係を持つ数十人のエジプト人或いはイスラエル人と結婚した人が体現している。しかしながら、社会レベルと感情の風土に関する限り、エジプト人民は、まだアラブの領土を占領している国と関係を築くには、心理的抵抗がある。(アラブ)大衆の心にはイスラエルはまだ敵に見える…」。
・平和はイエス、正常化はノー
Roz Al-Yousuf編集長ガベル(Karam Gaber)は次のように主張する。
「最近起きたエジプト・イスラエル関係がらみの諸事件が、特集発行の動機となった。それには、イスラエル人が書いた本の翻訳出版が含まれる。これは反対意見がいろいろあった※3。更に、カイロのオペラハウスでユダヤ人指揮者ダニエル・バレンボイムに演奏を許すかどうかでは、大騒ぎになった。更に又、行政裁判所が、イスラエル人女性と結婚したエジプト国民の市民権剥奪の判決をくだした※4。まだほかにも、エジプト社会で二つの対立陣営間に論争をまき起した事件がいろいろある。
 エジプト国民の大半は平和を望み、それに代るものを求めてはいないが、それでも正常化には反対である…しかしながら、アラブ諸国は、関係正常化を含む平和を、イスラエルに提示している。このような平和は、完全な関係正常化と同じように、無理なように思われる。しかしそれで、エジプト国民とアラブ大衆が、この問題に対する立場を固める必要はない、ということにはならない」。
・アリ・サーレムのエルサレム訪問をめぐる論争
 サダトエルサレム訪問から32年、(キャンプデービッドの)平和条約調印から30年たつ。しかし、(正常化)問題はまだ決着がついていない…この問題を議論することは大切である。しかし、このような討論のドアを開くことが、即正常化の呼びかけというわけではない。この30年間(エジプト)社会がもがき続けた精神分裂状態から脱出せよ。これが呼びかけの趣旨である」。
 特集の大分は、エジプトの知識人でジャーナリスト、作家、劇作家のサーレム('Ali Salem)にさかれている。「正常化の炎に焼かれた人々のなかで最も有名な人物」として紹介される人である※5。インタビューのなかでサーレムは、15年前のイスラエル訪問について再び語り、イスラエルとの平和と正常化を支持し、自分の見解の故に高い代償を払った、と述べている。サーレムは、エジプトのメディアと演劇界からまだボイコットされたままであるが、「善行に後悔なしである」から後悔していない、と言っている。
 特集はサーレムのケースを再点検し、エジプトの著名知識人達に正常化に関するコメントを求めた。知識人達は、アリ・サーレムはスケープゴートなのかそれとも正当な理由で排斥されたのかについて、議論している。アレキサンドリア図書館のアラビア語文献センター長である哲学者、研究者のゼイダン博士(Yousuf Zeidan)は、サーレムのイスラエル訪問に対する反撥が極端で非常に攻撃的であり、サーレムがエジプト作家協会から追放される前に弁明の機会も与えられなかったと言った。更にゼイダンはサーレムの旅行を「無茶で向う見ずの冒険」と呼びながらも、これに対するエジプト知識人の反撥は筋が通らないとし、作家協会から追放するより、もっと良い解決法があった筈とコメントした。
 一方、エジプト人作家ムーニム(Muhammad 'Abd Al-Mun'im)は、本件の主たる敗者はサーレムを中傷した人々であると述べ、自由と民主々義を拒否して、己の素顔を暴露してしまったと語った。更にムーニムは、知的専門機関がメンバーに機関の意志を押しつけ、メンバーの自由を剥奪するのは、とんでもない行為であるとし、このような団体が、人民議会の批准した平和条約を拒否するのは、間違っていると主張。そして「彼等は一体どこの国に住んでいるのだろうか」と問うのである。
 エジプトの作家協会理事長サルマウィ(Muhammad Salmawy)は、アリ・サーレム問題についてコメントすることを拒否するが、「正常化に関する作家協会の立場は明確であり、不動である。この件について我々は既に立場を決めている。即ち、正常化がらみで(イスラエルと)関係を持つメンバーに対しては、厳しい処置をとるということである」と言っている。
 エジプトの著名作家カイド(Youssef Al-Qaid)は、「イスラエル社会は普通の社会ではない。ギャング団そのものであるから、自分は正常化に断固として反対する」と明言する。
・エジプトの農民にとってイスラエルは悪の根元

 エジプトの有名詩人アブノディ('Abed Al-Rahman Al-Abnodi)は、半官紙Al-Akhbarの常連寄稿家であるが、イスラエルに対するエジプト農民(fellah)の態度は、正常化が不可能であることを物語ると述べ、次のように語っている。
 「エジプト農民の集団意識のなかでは、当然のことながらイスラエルは悪と破壊の象徴である。一方アラブの一般大衆にとって、イスラエルは力で自分達に押しつけられた国であり、従ってそれとの関係は違法である。
 エジプト農民は、肥料が値上がりし、畑と作物に打撃を与える劣悪殺虫剤を使わざるを得ないのも、ユダヤ人のせいであると考えている。エジプトは1973年の戦争が最後の対イスラエル戦争と宣言しているが、農民は違う。エジプトの不幸、災難は、今尚続くイスラエルの対エジプト戦争にすべて起因する、と考えている」。
 アブノディは独特のリリカルな言葉で、次のように付記する。
「無学文盲の農民は、自分の鍬、自分の曲がった背中、そして一杯の茶のことしか知らないが、イスラエルがエジプトの動脈に侵入し、血を汚していることを、ひしひしと感じている…エジプト国民は、(イスラエルが)ガザを破壊し、ひいては我々エジプト人を弱めた非人道的行為を目のあたりにした。ムスリム共同体を弱める者は、エジプトも弱めるイスラエルに対する政府の立場など関係ない。私は平和のハトが好きではない。エジプトが(平和のハトの)役廻りを演じる時、私は平和のハトを憎む…」。
イスラエル国籍者と結婚すれば市民権剥奪
 女性ジャーナリストのバラカ(Iqbal Baraka)は、エジプト人男性とイスラエル人女性の結婚がアラブのためになる、イスラエルのアラブ人口が増えるからだ、と論じる。そして「行政裁判所が結婚したエジプト人男性達の市民権剥奪の判決をくだしたことは、思想の死刑判決に等しく、処刑より重く苛酷である…我国の青年が、大使館を持ち大使も常駐する国で働き或いはその国の女性と結婚する。その人物を結婚の廉で何処処罰しなければならないのか」と主張する。
バラカは「宗教を悪用する者」を批判し、次のように論じる。
エジプト人イスラエル人の結婚はシャリーアに抵触するというが、コーラン或いは、ハディースにその根拠を求めることはできないムスリム法は、啓典の民の女性との結婚を認めている。つまり、ユダヤ人やキリスト教徒との結婚は許されている。更に、この結婚は通常エジプト人イスラエルのアラブ系女性との結婚である。イスラエルユダヤ人女性との結婚ではない。つまり、宗教上からも全く問題はないのである。
 私が為政者のひとりであるならば、私は青年にイスラエルの国籍を持つパレスチナ人との結婚を奨励するイスラエルでアラブ人口が増え、イスラエルが極度に恐れるアラブの人口爆発をひき起す。更にユダヤ人との血が混じれば、��ユダヤ人国家�≠ニいう神話もなくなる」。
・カイロ証券取引所イスラエルとの通商に反対
 経済関係を扱った記事によると、カイロ証券取引所は、イスラエルとの正常化に絶対反対であり、イスラエルと取引する企業は5指に満たないという。その企業も投資を失うのが恐ろしいので、秘密の取引に終始する。取引きが明るみにでると、株価がさがるとある。
 その記事は、著名実業家アサード('Imad As'ad)のプラスチック工場を一例としてあげる。歴史の古い大きいプラントであるが、イスラエルと輸出契約を結んだという噂が流れ、株価が急落した。会社が必死になって取引きを否定したにも拘わらず、株価の回復は微々たるものという。
 この記事は、二つの繊維会社の事例も指摘する、別の企業3社と合わせて、5社で、QIZの枠組で扱われる輸出の25%を占めるが、イスラエルと協力しているため、規模や影響力が大きいにも拘わらず、株価は低迷し、それも極めて低い、と記事は主張する。
・ジャーナリスト協会はイスラエルの協会と協力しない
 正常化をめぐる議論が特に激しいのがメディアの分野である。ここでは、正常化とジャーナリストとしての職業上の義務とを画す線は、余りにも細く、存在しないに等しい。エジプト・ジャーナリスト協会のアフマド会長(Makram Muhammad Ahmad)は、この点を強調する。会長の説明によると、例えばエジプトの外相がイスラエルを訪問する時、エジプトの報道記者達が決まって随行する。過激派のなかには、これを正常化とみなす。しかし、ほかのエジプト人は違った風にうけとめる。
 半官週刊誌Octoberの副編集長サラグ(Hussein Sarag)は、最初の訪イはサダト大統領の暗殺直後で、以来イスラエルへ25回行ったと述べ、汝の敵を知れという意味で、ジャーナリストにとってイスラエル訪問は重要であるとし、次のように主張している。
イスラエル問題を専門にするジャーナリストにとって、イスラエル社会を内部から観察することが、判断力向上の点で重要である…自分の敵を知ることが絶対必要である。編集室に坐っていても可能であるとか、イスラエルの新聞やウェブサイトからの引用で間に合うというのは、間違いである…我々は正常化を促進しているのではなく、職業上の任務を遂行しているのである…」。
 エジプトの半官紙Al-Ahram副編集長ガーネム(Yahya Ghanem)は、イスラエル国内外で著名なイスラエル人ジャーナリスト達に会い、ぺレス大統領を含む閣僚や政界要人達にインタビューしている。しかしながら、本人は正常化に反対であり、イスラエルとは協会間の正常化、或いは会員同士の交流を禁じた1987年のエジプト・ジャーナリスト協会決議、を支持する。この決議は大いに誤解されていると主張するガーネムは、すべての分野とレベルに適用される、と強調する。即ち、組織レベルでは、協会はイスラエルの協会と関係を持たない。実務レベルでは、エジプトのジャーナリストはイスラエルの報道機関のために働かないし、エジプトの新聞はイスラエル紙と協力しない。個人レベルでは、イスラエル人と関係を持ってはならない
イスラエルへ行くジャーナリストは下水道にもぐる秘密工作員
 アルアハラム政治戦略研究センターの副センター長であるマジッド博士(Dr.Wahid 'Abd Al-Magid)は、ジャーナリストのイスラエル行きは、ジャーナリストの思想的背景と記事内容を考慮に入れ、訪問のメリットで判断すべきでると述べ、通常ジャーナリストは、イスラエルのためにPR活動をやったり行事に参加するためではなく、イスラエルのネガティブな側面をあばくために行くのであり、従って「イスラエルへ行くジャーナリストは…下水道へもぐりこむ秘密工作員のようなものである。そうしなければならぬ。それが仕事だからだ」と主張した。
・競技はスポーツではなく戦争―スポーツ分野での正常化問題
 エジプトの運動選手が国際競技でイスラエルの選手と対戦する時、ジレンマに直面する。対戦を拒否して不戦敗になるか、対戦してエジプト及びアラブ社会から激しい批判を浴びるかである。試合は正常化の一歩と解釈される。
 特集記事のひとつに、エジプトの匿名カーレーサーの話がのっている。沢山の国際試合で優勝したレーサーとして紹介されているが、2008年1月のパリ・ダカールラリーの時大騒ぎになったと話す。イスラエル人レーサー達の参加が判ったからである。多くの人が本人に棄権を求めた。イスラエル人レーサーと一緒になる競技参加で、正常化促進の廉で糾弾されてはいけないので、棄権せよというのである。エジプトで開催されたファラオラリーでも、同じことが起きた。
 このレーサーは、正常化には絶対反対であるが、その理由でレースを棄権する考えは、受入れられないと主張、「ファラオラリーはエジプトが主催したのに、私に参加をやめろというのか。そんなことができるか。これまで猛訓練をやってきたのだ。どうしてくれる。たまたまひとりのイスラエル人が参加したからといって、私に優勝の夢をあきらめよというのは、正しいことなのか」と言った。
 この記事は、別のスポーツ事件を指摘している。やはりエジプト国民が大騒ぎをした例である。エジプトのサッカー選手ザキ('Amro Zaki)が、リバプール・サッカークラブに誘われたのであるが、このクラブにイスラエル人選手ヨッシ・ベネヨンがいた。ザキは、ひとりのイスラエル人選手の存在が、私の著名クラブ参加を阻止することなどできないと述べ、「このような(大きい)提示を拒否するなど論外だ。イスラエル選手がやめればいいだろう」といきまいた。
 ほかの運動選手達は別の見方をする。例えば、エジプトのサッカーチームのキャプテンで現在ベルギーのアンデルレヒトチームでプレイしているハッサン(Ahmad Hassan)は、UEFA(欧州フットボール協会連合)の対イスラエル戦参加を拒否し、「私はこのような試合には絶対でない。その結果どうなっても構わない」と言った。
 この記事は、1992年にスペインで開催された世界ハンドボール選手権大会の模様にも触れている。エジプトとイスラエルのチームが対戦した時、エジプトチームのゴールキーパー、アイマン・サラフがイスラエル人観客を殴打し、イスラエルの旗をもぎとると、足で踏みにじったのである。1996年、両チームは再びオランダで対戦した。親善試合であったが、エジプト側選手がイスラエルの選手5人に傷を負わせた。この記事によると、エジプトの選手のひとりが片手でボールを持ち、“アッラーアクバル”と叫びながら、残る片手でイスラエルの選手を殴った。
 ゴールキーパーのアイマン・サラフは、イスラエルチームとの試合について、次のように言っている。
「試合を棄権する人は、負けた場合エジプト社会、いや恐らくはアラブ世界全体の反撥が恐ろしいので放棄するのだ。これはスポーツの試合ではなく、戦争だ。敗北すれば未来永劫苦しむことになる」。
・正常化の一環で知り合った人物の本質を憎むとどうなる?
 コラムニストのルトフィ(Wael Lutfi)は、今日の正常化観、それを支持する政府と反対派の二分割を総括して、次のように述べている。
「反対とは反対のための反対ではない。はっきり言えば、それはエジプト社会に底流するものの反映である。つまりエジプトの一般大衆は、イスラエルを関係正常化に値しない、と考えている。
 政府も、一部では正常化に熱心と言われているが、正常化を促進しているわけではない。キャンプデービッドの合意文書付則には、正常化計画が含まれ、教育、保健衛生、文化等の分野で30の二国間協定が書かれている。実際には農業分野だけで正常化が実行された。これは、必要最低限のものとしてエジプト側が選択したのである。正常化がいくつかの政府機関だけで促進されるなら、それで充分ではないか。ひとつの機関が正常化に取り組むなら、ほかの機関はその必要がない。
 イスラエルとの関係正常化促進非難が、政争の具となり或いは個人攻撃に使われ、或いは又反対派と政府との馬鹿げたゲームになるのは、如何なものか。正常化拒否は、高尚なゴールから��汚い武器�≠ノ変質してしまった。
 正常化の概念自体あやふやになっている。正常化とは、個人的理由或いは職業上の理由で、イスラエルへ行くことを意味するのか。ひとりのイスラエル人と知り合いになることを意味するのか。そして、ひとりの人と知り合うが、その人の本質を憎むとしたら、どうなるのだろう」。
※1 2009年7月18日付Roz Al-Yousuf(エジプト)
※2 2005年エジプトとイスラエルが調印したQIZ(Qualifying Industrial Zones 加工産業団地)で、ビジネスパークが設置された。これは自由貿易ゾーンとして認められ、エジプトとイスラエルの合同製造プラントが設けられている。生産品は関税なしでアメリカへ輸出される。
※3 2009年9月18日付MEMRI I&A No.548「イスラエルの作品をアラビア語に翻訳するエジプト文化省のプロジェクトをめぐる論争」を参照。(http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=ia&ID=IA54809
※4 2009年5月20日付エジプト紙Al-Masri Al-Yawmの報道。エジプトの行政裁判所が、政府による検討を目的に、イスラエル国民と結婚したエジプト人の市民権剥奪に関する提案提出を、内務省に命じた。エジプト国外の諸新聞及びウェブサイトによると、行政裁判所は、夫婦特にその子供がエジプトの国家安全保障に脅威を及ぼすとの理由で、イスラエル国籍者と結婚したエジプト人の市民権の剥奪判決を既にくだした。2009年5月20日付Al-Quds 'Al-Arabi(ロンドン)。
※5 サーレムは1994年にイスラエルを訪れ、その後「イスラエルへのドライブ」と題する本を出版、イスラエルの印象を書いた。この問題についてサーレムは2009年4月にクウェート紙Al-Naharのインタビューをうけた。インタビュー概要は2009年9月22日付MEMRI S&D N0.2555「エジプトの知識人劇作家アリ・サーレム:イスラエルへの旅は憎悪克服が目的だった」を参照。(http://www.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP255509
(引用終)