ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「湾岸諸国の教会論争」

この時期になると、ベトレヘムにあるアラビア語使用の教会を訪問した2007年3月を思い出します。クリスマスには、全世界に向けて平和のメッセージを告げるミサの様子が放送されるのだそうです。この頃は、ムスリムも、経済状況悪化から、クリスチャンと協力して観光収入を得るよう努力しているそうです。もっともこれは、実利を考えての行動でもあり、当地のクリスチャンは、土地に代々住んでいる末裔として、ムスリムとアラブ民族の紐帯と重視するそうなので、この状況について安易に喜んでいいものかどうか、慎重さが求められるでしょう。
ところで、いささか古い記事ですが、アラブの土地におけるキリスト教会の問題について、興味深い議論が展開されているので、ここで「メムリ」を再びご紹介いたしましょう。

メムリhttp://memri.jp
Inquiry and Analysis Series No 460 Aug/16/2008

「湾岸諸国の教会論争」
E.B.ピカリ(MEMRIの研究員)
・はじめに
 2008年3月、カトリック教としてカタール初の教会「ロザリオの聖母マリア教会(Our Lady of the Rosary)が、首都ドーハで落成した。カタールの首長が寄贈した土地に建てられたが、これからカタール在住のクリスチャン10万が礼拝する場所となる。教徒の殆んどは外人労働者で、教会がないばかりにこれまで学校や個人宅で礼拝せざるを得なかったのである。最近カタール政府はさまざまな教派に都合五つの教会建設を認めている。「ロザリオの聖母マリア教会」はそのひとつで、母教会はアブダビにある。許可にあたっては、布教活動と教会シンボルの表示禁止が条件であった。
 湾岸諸国のなかで教会の存在を認めているのは、アブダビ、バハレーン、クウェート、イエメン、アラブ首長国連邦オマーンであった。カタールが新たに仲間入りしたのである。
 湾岸地域で初めて教会が建てられたのはバハレーンで、現在30ほどの教会があり、キリスト教徒住民約3万と外人労働者多数が礼拝している。クウェートには教会が10ヶ所ほど、キリスト教徒は住民約200と外人労働者40万である。3年前クウェートが教会の追加建設用地として広い土地を2ヵ所割当てた。しかし議会のイスラミスト議員達の反対で、市当局は建設計画の実施を遅らせている※1。
 湾岸諸国のなかではサウジアラビアだけが、非ムスリムの礼拝所建設を禁止している。バチカンの圧力にも拘わらず、頑として認めようとしないバチカンの湾岸地区代表によると、サウジアラビアには300-400万のキリスト教徒が住んでいる。しかしながらサウジ当局はこの数字を否定している※2。
・誰が教会建設の認可権限を持つのか
 アラビア半島で教会の存在を許してよいのかどうか。カタールの動きは、この論議に再び火をつけた。次に紹介するのは、その主要論点である。
 アラビア半島で教会の存在を許せるかどうかについて、その判断は宗教当局者しかくだせないと主張する者、統治者の権限内にあると考える者など、意見はまちまちである。後者には、国際ムスリム法学者協会の会長カラダーウィ師(Sheikh Yousef Al-Qaradhawi)が含まれる。現在カタールに居住し、カタールの教会建設許可決定を支持している。最近カラダーウィ師は、イスラム諸国に教会建設を許すファトワをだしておりムスリムがその建設に関わることも認めた。師は、宗教上の観点からみて教会問題はマスラハ(maslaha、利益、福利、一般的な善)の範疇に入る、と説く。これは統治者が一手に握る責任と権限であるとし、師は次のように論じている。
 「ムスリム法学者がズィンミー(Dhimmi, ムスリム以外の啓典の民)の地位を与えた住民と、キリスト教徒のために、ムスリム諸国で教会を建てるのは、それが本当に(教会の)ニーズにこたえ、且又統治者の許可を得ているのであれば、罪ではない…住民ではないが、(合法的に)ムスリム諸国に入国した非ムスリムに対しても、これが適用される…。
 これは双務関係にかかわる問題である。キリスト教徒が)自国にモスク建設を許しムスリムの礼拝を認めるのであれば、(ムスリムは)そのお返しをしなければならない。私の意見では、カタールキリスト教徒に教会建設を許すのは、このカテゴリーに入る。シャリーアの目的を保持しつつ公共の利益を守るというのが、国家に関するイスラムの考え方であるが、この考え方をベースとして考えれば、(教会建設の許可は)統治者の特権である…ムスリムは(教会)建設に参加してもよい」※3。
 この見解に反対する者は、ムスリム諸国における教会建設が公共の利益とは何の関係もないと論じ、従って統治者の権限内にはないと主張する。サウジのシェイクでリヤドのサウド大(Imam Muhammad bin Sa'ud University)前講師バラク(Sheikh 'Abd Al-Rahman bin Nasser Al-Barrak)は、ファトワで「(ムスリム)が(キリスト教)国でモスクを建てることができるという理由で、ムスリム諸国に教会を認めることが許されるわけではない…」と述べた※4。やはりサウジのシェイクで同じ大学のシャリーア研究科長ファニサン(Sheikh Dr. Sa'ud bin 'Abdullah Al-Fanisan)は、インタビューで「全ムスリムを代表するカリフであろうと地方の政権であろうと、如何なる政権といえども(教会建設禁止の)原則を変えることはできない。ハラム(haram、メッカの聖域)の境界を変えたり、アラビア半島の禁制事項を変えたりすることができないと同じである」と語っている※5。
 
紀元7世紀に非ムスリムが何故アラビア半島から追放されたのか。第2の論争がこの問題である※6。宗教上の動機によるものであるから、聖職者が扱かう件であると主張する者がいれば、安全保障上からの追放であり、今日の教会建設問題と同じように、政治統治者の権限内にあると論じる者もいる。
後者の意見を支持するのがカタール人改革派でカタール大前法学・シャリーア学科長アンサリ(Dr.Abd Al-Hamid Al-Ansari)※7。サウジのシューラ評議会メンバーで法務省顧問のオビカン(Sheikh 'Abd Al-Muhsin bin Nasser Aal 'Obikan)もそのひとりである。オビカンはサウジの週刊誌Rayat Al-Tawhidに、「非ムスリム追放命令は統治者からきた。(初代カリフ)アブバクルはユダヤ人達を追放しなかったし、預言者の伴侶達も彼にそれを求めなかった。これは、統治者の権限内にある問題に市民は介入する権利がないこと(を意味する)…追放は、(中世の著名なムスリム学者)タイミヤ(Ibn Taymiya)が述べたように、マスラハにかかわる問題である。これは、預言者ムハンマド(自身)が(ユダヤ人を)追放しなかった事実で明らかである…」と書いた※8。
一方ファニサン師は、アラビア半島からの非ムスリム追放は宗教的義務であると述べ、初代カリフが追放しなかったのは、現実的理由からとし、「追放遅延理由は、イスラム住民の利権とかかわりがあった。彼等は農業(労働者)や(物品、サービスの)供給者として必要とされたのである預言者多神教徒の半島追放の必要性を説き、死ぬ前にこれを繰返し強調した」と言った※9。
アラビア半島にはイスラム以外の宗教の存在を許さぬというハディースがある。先の論議でこれも問題になった。バラク師は最近だしたファトワで、「アラビア半島イスラム諸国で邪教徒の教会建設要請に同意したムスリムがいる。実に悲しむべき話である…ハディースによると、ユダヤ人とキリスト教徒の宗教はムスリムの宗教、と倶にあってはならないのである…」と書いている※10。
アラビア半島にはイスラム以外存在してはならぬ―ハディース
数年前サウジの錚々たるイスラム法学者達がグループでファトワをだして、この禁制を詳述した。グループメンバーには、サウジアラビアの上級聖職者会議々長シェイク師(Mufti Sheikh 'Abd Al-'Aziz bin 'Abdallah bin Muhammad Aal Al-Sheikh)、上級聖職者会議及び常設科学研究・法的見解会議メンバーのグーディアン師(Sheikh 'Abdallah bin 'Abd Al-Rahman Al-Ghudian)及びファウザン師(Sheikh Salah bin Fawzan Al-Fawzan)が含まれる。そのファトワによると、「アラビア半島イスラムのハラム(ムスリムのみに限定された聖域)である。そこへの浸透を許す宗教上政治上の許可を、邪教徒に与えてはならない。教会建設は言うまでもなく、市民権や不動産の取得を認めてはならない」※11。
ジャジラット・アル・アラブ(Jazirat Al-Arab, アラビア半島)の領域も論議のひとつである。バラク師とファニスタン師は、紅海、アラビア海、そして現代イラクの南へ至る水域に囲まれた地域で、現代の湾岸諸国をすべて含むと述べている。それに対しアンサリ師、オビカン師及びカラダーウィ師は、ヒジャズ、メッカ及びメディナだけの地域と主張する。オビカン師は「ムハンマド多神教教徒の追放を命じた地域は、メッカとメディナの地域であった。聖域だからである…」と書いている※12。
アンサリ師の論調も同じで、次のように論じている。
アラビア半島でほかの信仰がイスラムと併存してはならないという原則は、カタールにおける教会(建設)問題にはあてはまらない。宗教学者達が、該当するのはヒジャズ、メッカ及びメディナだけ、と考えるからだ。これは(非ムスリムの)礼拝所が今日に至るまでイエメン、ナジラン及びタイマに存在する事実、イスラム史に一貫して非イスラーム一神教アラビア半島に存在してきた事実から明らかである」※13。
アンサリ師によると、宗教上の判定で有効な法源コーランとスンナだけである。ファトワは人間のくだす判定で時代や状況を反映し、従って間違いがないとは必ずしも言えない。アンサリ師は、イジュマ(Ijma'、合意、特定の問題に関する宗教学者の意見の一致)は、非現実的で受入れられないと主張、次のように書いた。
「我々は(アラビア半島における)教会建設を禁じるファトワを尊重する。しかしそのファトワは、昔の宗教上の(判定)を自分のなかにとりこみ、いわば模倣したものである。それもだされた頃のアラブ社会の政治情勢、社会及び治安環境をベースにしたものである…この種の宗教上の考察は人間がおこなったものであり、聖なるものではないし、時にあやまりなきにしもあらず、である。批判的吟味をうけなければならない…ファトワは、確固たる宗教上の原典をベースにしたものではない…我々が依拠するのは、コーランとスンナのみでなければならない。この二つのテキストだけが、常に拘束力を持つ…イジュマ(の概念については)、歴史的批判に耐えなければならない」※14。
アンサリ師は、宗教上の判定で有効な法はコーランとスンナのみとする自説をベースに、ムスリム世界を二つに分けるイスラムの見解を拒否する。ひとつはダール・アルイスラームイスラムの家)。ムスリム支配下にある地域で、ズィンミーはオマルの契約のもとでいくらか信仰の自由を持つ。もうひとつがダール・アルハルブ(戦争の家)。ムスリム支配下にない地域で、ジハードの手段で征服するのが宗教的責務とされる。アンサリ師は、ダール・アルイスラームを三つに小分類することにも反対する(ムスリムとの平和的合意によって取得した地域が第1。ここでは非ムスリムの礼拝所が許される。非ムスリムとの戦争で取得した地域が第2。第3はムスリムが築きあげた地域。第2と第3では非ムスリムの礼拝所建設が禁じられる)。アンサリ師は「ダール・アルイスラームとダール・アルハルブに分けるのは、行政上の区分であり、宗教上の区分ではなく…コーランとスンナのいずれにも指摘されていないから、シャリーアでは何の根拠にもならない。根拠になるものは、預言者或いはその伴侶達の行動にも無い。区分は、政治及び治安上だけの考慮によるものであり、拘束力のあるシャリーアの判定として扱ってはならない」と説明する※15。
ズィンミーの地位
ズィンミーの地位問題も論争のまとになった。つまり、彼等は邪教徒かどうかという問題である。バラク師は自分のだしたファトワのなかで、現代のユダヤ人とキリスト教徒はズィンミーではなく邪教であり、従って邪教徒を対象としたシャリーアの判定が適用されなければならない、と明言する。つまり、彼等はイスラムに改宗する機会を与えられるが、拒否すれば処刑されなければならない。バラク師は「現代のユダヤ人とキリスト教徒は邪教徒である…彼等が邪教徒で、彼等の宗教が偽物であることを信じない者も、邪教徒であり、邪教徒に関するムスリムの判定に従って、処置しなければならない。モスクは神の家であり、そこで我々は神を讃え神に感謝する。一方教会は邪教徒の家である…そこで彼等はイエスとその母親をあたかも神の如く崇拝する…」と書いている※16。
一方、アンサリ師は全く逆の立場にたち、ズィンミー邪教徒ではないと主張する。アンサリ師は、「イスラムは常に彼等の信仰の妥当性を認め、その教えと礼拝の性格を充分認識しながらも、彼等を保護する義務があると考えてきた」とし、「イスラムはその立場上ユダヤ人とキリスト教徒を人間とみなし、その観点から彼等に自由と権利を認めた」と述べ、次のように主張している。
「明言しなければならないが(コーランとスンナは)非ムスリムの礼拝権に一切制限をもうけていない…教会は邪教徒と多神教徒の礼拝所という論法で、(国家間の関係における)互恵主義の欠如を正当化できるものではない。キリスト教徒の教会建設権を拒否する理由にもならない。イスラムは、その起源から他者(の信仰)の妥当性と彼等の生存権を認めていた。そのベースにあるのが?お前らの宗教、わしにはわしの宗教?(コーラン109:6)である。預言者と伴侶達は(非ムスリムの)礼拝権を保証し、(非ムスリム)とその祈りの家を保護した。その教えと礼拝の中味、性格を充分認識しながら、そうした。保護される資格のない邪教徒の神殿、とみなさなかったのである。(第2代カリフの)オマル(ビンハッタブ)は、ユダヤ人が礼拝できるように(神殿丘の)ユダヤ教神殿跡をおおっていた土砂を除去した。オマルはそこを異端の地と呼ぶこともなかった。
我々の見解では、他者とその信仰の権利を認めることは、その宗教を真理として受入れることを意味しないイスラムの重要な原則に立脚して認める点はある。つまり、人間として(非ムスリムは)自由と権利を持つ資格があるということである。それには自分の信仰を守り尊ぶ権利が含まれる。彼等の信仰の中味を説明するのは我々ではない…。我々は彼等の後見人ではない。最後の審判の日に審判するのはアッラーのみである。そしてまた、教会は邪教徒の礼拝所という理由でムスリムが(非ムスリム)に禁じることなど、我々の歴史ではどこにも言っていない…。
モスク(のみが)が(真の)教えと信仰の家とする主張は、ムスリムの立場に立って述べていることであり、(非ムスリムは)自分の信仰の家をそう考えている。人間は自分の信仰こそ真理と信じている。しかしだからといってこの信念が他者の信仰を否定する言い訳にはならない…従って、異端の手助けをしてムスリムを侮辱するという理由で教会建設を禁止するのは、イスラム(の精神)、社会常識、(カタール憲法、人権等に反する…」。
 アンサリ師はこの意見はユダヤ教キリスト教のみならず、すべての宗教に適用されるとし、次のように論じている。
 「信仰の自由は否定し難い真理であり、啓示の宗教(ユダヤ教キリスト教)のみに適用されるのではない。過去数千年マズディズム、サービア教ゾロアスター教、仏教にこれが言える。信仰の自由(の原則によって)神殿建設と礼拝の権利が保証されているのである」※17。
・市民と居留民の地位
双方は宗教論争から離れ、別の角度からも論議をすすめた。カタールの前法相ヌアイミ(Najib Muhammad Al-Nu'aimi)は、社会的見地と憲法上の理由から、教会建設に反対し、次のように主張した。
カタールは、その憲法によるとイスラム教国であり、世俗国家ではない。従って、社会全体が受入れたことを確認するため、教会建設許可の決定は、国民投票で承認されなければならない」※18。
ヌアイミは、カタールバチカンにたとえ、「バチカンがその領域内でモスクの建設を許さないように、カタールも教会建設を許すべきではない」と述べ※19、別の機会には次のように論じている。
「本件は(カタールに)一時滞在中の外国人にかかわる問題であるから、(教会建設に国の)土地を与えなければならぬ理由がどこにある」※20。
サウジのスーラ評議会メンバーであるスーニアン(Dr.' Abd Al-'Aziz Al-Thunian)も同種の意見で、次のように主張する。
「サウジ国民は全員ムスリムであり、キリスト教徒ではない。サウジアラビアキリスト教徒は、(一時滞在中の)居留民であるから、(教会の)必要はない。彼等の存在がポイントではない。要すれば、彼等は他の(非ムスリムの)宗教の信仰と同じように、ここへ来たらいつか出て行くということである」※21。
アンサリ師は、バチカンを例にとったヌアイミの論に対し、「カタールは宗教国家ではない。その憲法は、イスラム法源のひとつと明記している。つまりバチカンと比較することはできない。バチカンは宗教国家なのである…」と応じた※22。更にアンサリ師は「カタール憲法第50条に、信仰の自由がすべての者に認められる、と明記してある」と書いている※23。アンサリ師は、国民投票云々について、「このような件で国民投票にかけるのは、宗教上憲法上或いは歴史上の根拠が全然ない」と述べ、「統治者の権限内にある件で国民投票にかける必要はない。これはカタール憲法のみならず、1400年の歴史記録とシャリーアに違反する。更に権利と自由は国民投票で決する問題ではない…」と主張した※24。
湾岸諸国に居住するキリスト教徒の地位について、アンサリ師は、西側に住むムスリムは、市民権というよりは、人権の原則をベースとして権利を認められているとし、「ムスリムにモスク(建設)が許されているのは、市民権の考慮ではなく、人権宣言の立場からである。西側は、市民非市民を問わずすべての人間に礼拝所を建てる権利があることを信じている。それどころか、西側諸国は礼拝所に助成金すら与える」と述べた※25。
バチカン預言者ムハンマッドを認めれば、教会建設の話をして良い―サウジの学者
ムスリム・クリスチャン対話会議に数回参加したサウジの中東戦略研究所々長イシュキ博士(Dr.Anwar 'Ishqi)は、バチカンの(サウジアラビアにおける)教会建設許可要請に対し、「我々(ムスリム)は、キリスト教徒の信仰の存在を認める。イエスモーセその他の預言者を認める。法王と全キリスト教徒が預言者ムハンマドを認める旨発表すれば、我々はサウジアラビアにおける教会認可について話合う用意がある」と語っている※26。

※1 湾岸諸国の教会に関する情報は、2008年3月14日付AFPを参照。 www.elaph.com   に掲載。
※2 2008年3月19日付 www.alarabiya.net
※3 2008年5月19日付 www.qaradhawi.net
※4 2008年5月17日付 www.islamlight.net
※5 2008年4月14日付 www.islamonline.net
※6 ハディースによると、預言者ムハンマドアラビア半島からすべての多神教徒の追放を命じた。第2代カリフのオマル・ビン・アル・ハッタブは後にキリスト教徒とユダヤ人を、イエメンを除く半島全域から追放した。
※7 2008年1月29日付Al-Jarida(クウェート
※8  http://www.rairat-altuheed.net/new/tahqeqat_view.php?tahqeqatID=7
※9 2008年4月14日付 www.islamonlone.net
※10 2008年5月17日付同上
※11 2008年4月14日付同上
※12  http://www.raiat-altuheed.net/new/tahqeqat_view.php?tahqeqatID=7
※13 2008年1月29日付Al-Jarida(クウェート
※14 2008年2月4日付同上
※15 2008年2月4日付同上
※16 2008年5月17日付 www.islamlight.net
※17 2008年2月5日付Al-Jarida
※18 2008年2月6日付 www.alarabiya.net
※19 2008年3月19日付Al-Ittihad(アラブ首長国連邦
※20 2005年10月25日付 www.alarabiya.net
※21 2008年3月19日付同上
※22 2008年3月19日付Al-Ittihad
※23 2008年2月18日付Al-Jarida
※24 2008年3月19日付Al-Ittihad
※25 2008年3月19日付同上
※26 2008年3月19日付 www.alarabiya.net

(引用終)