ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

反日事例に応用可能?

最近、このような記事を読む度に感じるのは、もしも「反米、反イスラエル、反ユダヤ」に対する情勢を細かく記録に取って分析して、記事を書いて世界中に広めて公知することが仕事になるならば、「反日的態度」や「日本文化に対する無礼行為」「日本事例を反利用して自他国の利益に用いる行為」についても、世界各国や個人の情報を細かく集めて記録に残し、分析して公知することが有益なのかもしれない、ということである。黙っていたら通じない世界もある。善意が踏みにじられるケースもある。
契約社会でありながら、契約そのものが履行されない事例もある。

メムリ(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP15418


緊急報告シリーズ  Special Dispatch Series No 154 Mar/14/2018

カタールアメリカンシンドローム
イガル・カルモン(MEMRI会長)


(Source: Alaraby.co.uk, March 8, 2018.本記事は、当初2018年3月9日付Jewish News Syndicateに発表された。)



共和党政権と民主党政権の双方で陸軍長官(1911-13,40-45)と国務長官(1929-33)をつとめたヘンリー・L・スチムソンは、1946年に「信頼に足る人間にする方法は只一つ、彼を信用することである。全然信頼ができない人間にする一番確実な方法は、その人間を信用せず信用しないことを態度で示すことである」と言った。


アメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は、ヤルタ会談の前スターリ党書記長(ママ)について、「私が彼にすべてを与え、見返りを全く求めないならば…彼は何も併合しようとはせず、民主々義と平和の世界を確立するため、努力するだろう」と言った。


それから50年後、アメリカのブッシュ大統領は、プーチンとの首脳会談(2001年、於スロベニア)後、「私は彼の目をのぞきこんだ。彼は真直ぐな目をしていた。信頼に足る目である。私は彼の気持ちに触れることができた」と述べた。



この大統領達は、無知な赤ん坊ではない。ナイーブな人間であったなら、アメリカ政治の頂点にのぼりつめることはなかったであろう。それでもアメリカの指導者達は外国の対立者と交渉する時は、胸襟を開き誠意を以て臨めば、相手も必ずやそれにこたえるという深い信念にもとづいて、行動してきた。胸襟を開くと魔法の力が生じるという信念は、現実に直面する。大抵それは、悲劇的且つ致命的な状況であり、方向転換の時となる。指導者は基本的信念に反する行為をとり始め、力を誇示しマキャベリ的手法を駆使する。



他者の心が純朴であるとするアメリカのアプローチは、彼等を信用することに始まるが、それにはアメリカ自身のイメージにある世界が鋳込まれている。これを自壊的欠点と決めつけるわけにはいかない。それは、アメリカ民主々義の最良の価値観を反映しているのである。しかし、その価値観を共有せず、それを逆手にとろうとする者による悪用を、ほかの民主々義のために、避けなければならない。


言語ギャップの橋渡し


アメリカの政治行動は、次の特徴を有する。まず、心の底からの悪は、外観に拘わらず、本来的には存在しないという信念に始まる。そして、個人的接触によって、悪しき者を救うことができる。この信念はアメリカの大衆文化に鋳込まれている。子供と成人双方用のテレビ番組にも、組込まれているのである。メディア、政治文化、教育制度を然りである。そして、個人的接触が悪を中和し、欺こうとしてもそれを無力化する。悪が協力する時、それは冷酷な利己心に発するものではなく、真心から手を差しのべ対話した成果、とうけとめられる。これがアメリカンシンドロームである。


このシンドロームは、現実を執拗に否定し、民主々義と独裁間の文化的相異をまぜこぜにする。そして西側がその悪と殆んど戦えなくする。つい数日前、北朝鮮の独裁者金正恩が合衆国に“心からの対話”を呼びかけた時、西側のメディアはこれをそっくり鵜のみにして、大いに歓迎した(例えば、ニューヨーク・タイムズは“高まる希望北朝鮮その核兵器について協議を提案”と題して報道したNYTimes.com,March 6.2018)。


このシンドロームは、ほかの西側民主々義国家にもみられるが、もう少しマイルドな形をとる。イギリスの“中東専門家”ロバート・フィスクが注目すべき例を残してくれた。1993年、フィスクはスーダンにあるオサマ・ビン・ラーディンの抗議を、すぐ真にうけてしまった。ビン・ラーディンは「私は建築技術者で農業従事者である。私がここでスーダンに訓練キャンプを持っているのなら、その仕事をやれる筈がない」と言ったのである((Independent.uk,Dec.8.1993)。この新聞は記事に“反ソビエト戦士平和への道に自分の軍を進める”というタイトルをつけた


MEMRIはこの20年間、中東と西側の間に存在する言語ギャップを明らかにして、まず政府と議会にみられる過剰な楽天的態度に警告を発し、ついでアラブ・ムスリム世界の現実を示してきた。我々は、苦々しい経験を通して学習するという時間と労力の無駄を省くため、彼等の本音が語られてアラビア語による討議、学校の教科書、宗教書を読みとき、彼等のごまかし言葉を暴露して、提示している。これは秘密情報よりもずっと本性を明らかにしている場合が多い。我々の努力は、しばしば成果をあげている。しかし、カタールアメリカ関係をみると―カタールのネズミが唸り声をあげ、超大国アメリカを操るさまが明らかで―まだ努力が足りないことを痛感するのである。


アメリカのシンドロームがアラブ、ムスリム、そしてほかの権威主義的国家と話をすると、圧倒的な力の差があるにも拘わらず、アメリカ側は相手にしてやられる。アラブの表現でよく知られているのが、「アメリカ人は善良である。簡単にだまされる」というのがある(al-Amrikan nas tayyibin-binghashu bi-suhula)。ほかにも「まるめこめ。協力しそして裏切れ」というのもある(Ishtghil fi-hum wa-ma’ahum wa-‘alayhum)。ペテン師は、犠牲者自身が信じたいことを、その犠牲者に売りこむ術にたけている。この一連の権威主義的政権はとことんペテン師で、アメリカンシンドロームはその術中にはまってしまう。


事例としてのカタール


カタールは、選挙で選ばれたものでもない一家が仕切る権威主義的政権で、人民の言論の自由を弾圧してきた。過去何十年も、反米、反ユダヤ、反イスラエル煽動の繁殖地となっていた所であると同時に、イスラム過激主義とテロリズムの温床でもある。IS(イスラム国)登場以前から今日に至るまで、アルカイダとその諸分派を育て、ムスリム同胞団とその分派特にハマスを支援してきた。ムスリム同胞団の精神的指導者として悪名高いカラダウィ(Yousuf Al-Qaradhawi)をかくまった。本人は、信徒の手で、第2のホロコーストを起すと公言している男である。「アッラーヒトラーの手でユダヤ人を罰せられた。次は信徒の手になる」と言ったのである。数ヶ月前オマーンが、反米煽動の廉でひとりのインド人ジハーディスト聖職者を追放した時、すぐに入国を託し保護したのはカタールであった。


カタールは、トルコの過激イスラミスト大統領エルドアンと軍事同盟の関係にある。そのエルドアンは、数年かけて近代国家トルコを100年前のアタチュルク前のトルコへ押し戻した人物であり、軍事衝突寸前までアメリカを非難攻撃している男である。そしてそのカタールは、イランの忠実な盟友にもなった。当初対イラン関係はガス田の共有関係と言訳していたのである。ところが今では、別のもっともらしい言訳をしている。即ち、近隣諸国との関係悪化のためというのである。しかし、カタールがイランとベッドを共にするような仲にならなければ、近隣諸国との関係悪化もなかったのである。


カタールは、ほかの権威主義政権と同じように、完全に国家統制下においたメディアを使って敵を攻撃し、盟友を援護射撃する。2006年の戦争後(第2次レバノン戦争)ヒズボラのため南レバノンを再建したのはカタールである。そのカタールは、イスラエルとの戦争毎にガザのハマスに同じことをしてやる(ヒズボラハマスアメリカがテロ組織と規定している集団である)。カタールは、言論の自由を標榜しながら、ガザからアンカラそしてテヘランへ至る盟友の苛烈な言論弾圧には、沈黙を守る。更にカタールアフガニスタンタリバンを支援し、タリバン代表のドーハ駐在を認めている。それも、アメリカの要請と称していたが、アメリカの意志に反することが判っていても駐在を認めている。


カタールの支配一家は、いつでも誰でもだませると信じている。金で誰でも―オリンピック委員会からワシントンのシンクタンク、大学、政治家、団体―を直接或いはロビィーストを使って、買収できると考えている。これまでその通りにいった。カタールの買収工作は、今や一種の芸術の域に達している。自分が手をくだした犠牲者が自分を味方、友人と信じこむ程の腕である。カタールアメリカからお墨付を得た。その後でも、アメリカとその友邦諸国に対する悪意にみちた宣伝が、アルジャジーラ放送でアラビア語の世界に、今でもまきちらされている


MEMRIは、カタール首長国テロリズム反ユダヤ主義支援を記録にとってきた。それは今日も続いている。反ユダヤ主義が猖獗するアラブ世界でもカタールは突出している。最近その言動を記録した報告が(Qatar, The Emirate That Fools Them All, Its Enablers)と題してMEMRIに掲載されているので、参照されたい。後編が近くでる予定である。


このようなカタールの言動があるにも拘わらず、アラビア語の世界におけるカタールの活動を、西側はみとめようとしないカタールの隣人達がカタールの宣伝をブラフと一蹴するようになる迄、一顧だにしなかったのである。その隣人達自身、民主々義とは程遠い存在ではあるが、アメリカの支援を必要としている。彼等はカタールと違って恩義を感じる国である

隣人達や対立者から暴露されて、カタールは欺瞞工作を逆に強めた。証言者に話をさせる手口で、話題は御馴染みの陰謀論で、“シオン長老の議定書”をベースとするカタールにとってユダヤ人を使う―そして宗教とシオニスト機構の指導者、正統派ラビ、そしてアメリカ・ユダヤ人団体会長会議の副議長に、招待状を送った(しかし彼等は、“ゴッドファーザー”の伝統に従って、代役をたてた)。アメリカのユダヤ人組織をターゲットにしたアルジャジーラTVのドキュメンタリーがつくられたのである。それは、いつでも必要に応じて放映できる(前述の“丸めこめ、協力しそして裏切れ”を地でいく)。

アルジャジーラが扇動の汚水溜めであることが判ったので、報道の自由を擁護する高名なアメリカ人を使って、対応する次第となる(御本人は、国務省ウェブサイトのチェックなどやらない。そのサイトは、アルジャジーラを政府の報道機関と位置付けている。ロシア・ツディ(ママ)という国際テレビと同じである。つまり、報道の自由にはふさわしくないのである)。サウジなど近隣諸国がテロ支援でカタールを非難すると、善意にあふれたアメリカのティラーソン国務長官マティス国防長官を操って、この取るに足りない首長国との“戦略対話”に誘いこむ。これ程いい反論はない訳である。カタールは吹けば飛ぶような存在で、アメリカの基地があるおかげで、ようやく首がつながっているのである。カタールは、テロ組織に対する積極的な資金援助を中止したかも知れないが、判らないような渡しようもあるのであるから、誰にも確証はとれない。いずれにせよアルジャジーラは、(時々フットボール試合の放送になる場合があるが)、24時間昼夜をわかたず、イスラムイデオロギーとジハード(聖戦)のため煽動を続けているのである。ちなみにカタールは、これをテロリズム支持とはみなしていない。



勿論ティラーソンとマティスの両長官は、カタールが自分達を操っているとか使っているとは思っていない。むしろ逆で二人は、アメリカがカタールを使っていると信じている。逆に、カタールが約20年もアメリカ中央軍(CENTCOM)の司令部としてアルウディド空軍基地の使用を認めているので、恩義を感じているのである。二人には判らないかも知れないが、カタールはこの空軍基地をアメリカのために設けたのではない。自分の生残りの為に作ったのである。この点ではバーレーンも同じである。米海軍基地がなかったならば、バーレーンはイランに併合されていただろうバーレーンは感謝しているが、カタールは、中央軍基地を貸与しつつ、中東におけるアメリカの役割に悪態をつき、二つの仮面ゲームを続けている。


最近、サウジと湾岸首長諸国は、アルウディド基地に代る空軍基地の建設を提案している。ドーハに対するアメリカの責務増大を考え、無料提供にすると言っている。これを阻止するためカタールは、アルウディドの拡張を約束した。拡張工事はカタール負担とし、更に、アメリカの軍人とその家族にため、さまざまな特典付きのリトルアメリカの都市建設も提案した。カタールの天才だけがでっちあげられる最高の経済・政治ロビー建設案である。


アメリカンシンドロームに落ちこむのは単純な人間だけ、と考える人がいるかも知れない・不幸にして指導者達もそうなるアメリカンシンドロームは、一旦彼等に影響すると、民主々義諸国の安全にとって極めて危険となる。脅威を及ぼす現実を、柔和なものと受けとめ、敵を味方とミスキャストする可能性もある。


歴史を教訓として見れば、仮面はいつかは剥がれる。カタールを初めとするアメリカの敵は消失し、アメリカの意志決定者は幻想から自由になるだろう。しかし不幸なことであるが、これはアメリカンシンドロームが不必要な犠牲をだした後にしか起きない。カタールは、この代償を払う前に、シンドロームを一掃する機会を与えているのである。

(転載終)