ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

カトリック教会とムスリム

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Special Dispatch Series No 2145 Dec/20/2008

カトリック教会の開放性をムスリムは学ぶべきだ
エジプトの社会学者で人権活動家、またカタールのアラブ民主主義基金(Arab Democracy Foundation)の理事でもあるサアドッディン・イブラヒーム(Sa’ad Al-Din Ibrahim)は2008年10月9日リベラルなウエブサイトwww.middleeastetransparent.com に論説を投稿し、フランスのカトリック教会の開放性を学ぶよう世界のムスリムに訴えた。彼は、ムスリム諸国における少数派の取り扱いに関し、ムスリムに対するフランスの態度を見習うべきだと述べた。
イブラヒームの論説は、フランスの公立学校が校内で被りものの着用を禁止した後、フランス・カトリック教会が同国のカトリック系学校でムスリム少女のヒジャーブ着用を許す決定を下したことへの論評だった。彼はこの(フランス・カトリック教会の)動きを、諸宗教間の平和共存と相互支援が実際に可能であるという証明と見なすよう求めた。
以下はサアドッディン・イブラヒームの論説である。※1
・フランスのカトリック教会学校ムスリムの少女を受け入れ、イスラムを教え、ヒジャーブの着用を認める
「われわれが宗教抗争とキリスト教徒に対する敵意━エジプトのコプト教徒及びイラクカトリック教徒とマンダ教徒に対する敵意━を目の当たりにし、それに関する(報道)に接している。一方、フランスの報道機関は、この学年の間に(起きた)ユニークな現象を祝っている。この現象とは、ヒジャーブを着用したムスリムの少女数百人が、被りものに固執したことで公立学校から拒否された後、カトリック修道院付属学校に入学したことだ。
「フランスのムスリム世帯の中には(少女たちが頭の被りものを取り除くという)公立学校の入学条件に同意した世帯もある。経済的問題を抱え、私立学校に通う余裕のない世帯もあった。また、自由な公立学校教育を受けられるという期待は、少女たちにとって魅力的であり、それに抵抗できない場合もあった。
「他には、自分たちの宗教の一部と見なす慣習を守るため、少女たちを家に留めることを選択した世帯もあった。
「この袋小路からの抜け道が現れたのは、フランスのカトリック教会が被りものの除去を要求せず、ムスリム少女に修道院付属学校の扉を開く決定を発表した時だった。数千の、大半が北アフリカ出身であるムスリム世帯は、この決定を歓迎し、自分たちの少女を低額学費のカトリック学校に急いで入学させた。他方、これら学校は、毎週のイスラム学級を開講し、さらに、このイスラム学級の聴講を、ムスリムの学生だけでなく、イスラムに興味を抱く学生すべてに認めることを決定した。
「このカトリック教会の動きには多くの意味合いがあり(その一部を以下に述べる):」
イスラムキリスト教は違いよりも、似ているところが多い
「(この動きが)示すのはカトリック教会が)自信を持ち、クリスチャンやカトリック教徒ではない人たちに進んで(教会施設などを)開放していることだ。それは(また)アメリカの政治学サミュエル・P・ハンチントン(Samuel P. Huntington)がこの数年来提唱している『文明の衝突』理論への反対証明でもある。
「(事実)カトリック教会の決定は(『文明の衝突理論』とは)正反対の(仮説)━つまり、諸文明が共存し、さらには諸文明の価値、基準、大切にしてきた伝統を失うことなしに、多様性と相互支援(の促進)が可能であるという(仮説)━を示している。
「同様に重要なのは、一部批評家がコメントしているように、この動きの目的が一神教)信徒間の連帯を強化すること、また、無神論唯物論イデオロギーとの闘いに信徒を募ることにあることだ。言い換えれば、教会は━つましい(服装の)ムスリム(の少女たち)を修道院付属学校が受け入れるという形で━(一神教)信徒を性別や宗教に関係なく統一する(要素が)、信徒を分割する宗教観や宗派間の抗争よりも多いと、世界に向けて宣言したのだ」
イスラム教とキリスト教vs.過激な世俗主義
「(要するに)この『信仰の同盟』はフランスの過激な世俗主義者に対するカトリック教会の対応なのだ。フランスの世俗主義者は1789年フランス革命以来、教会の力を抑制することに熱心だった。彼らは国家から教会を完全に分離したばかりでなく、カトリック教会に対する長期の闘争を開始した。(というのも)フランス革命に先行する2世紀間、つまり16世紀と17世紀に(教会は)『人民』に反対する国王の忠実な同盟者だったからだ。
「国家はこの政策の一環として政府設立の学校を設け、同学校での宗教教育を禁止した。国家はまた、カトリックの学校に対する資金提供と他の全ての支援を停止し、教会の財産全てに課税した。
「一方、教会側はフランス革命イデオロギーとスローガンに反対して闘った。19世紀、教皇のひとりは民主主義、自由、平等は『サタンが作り出した汚物』と裁定した。その理由として(これらの理念は)唯一神が地上における自らの創造物のために作った自然の秩序に反していることを挙げた。
「この(国家と教会の)抗争は20世紀の最初の四半世紀まで・・・国家が(フランスの領土に)カトリック系学校の開校を教会に認めるまで軽減しなかった・・・
「この問題に関するフランスのムスリムはどんな立場にあるのか。また、フランスのカトリック教会がローマ(教皇庁)の祝福を得て、その修道院付属学校の門を、ヒジャーブを被るムスリムの少女たちに開いた理由は何か。これは、これらの少女たちをクリスチャンにしようとする改宗勧誘なのか。
最後の質問の答えはノーである。なぜなら、これら学校は、毎週ムスリムの教師が教鞭を取るイスラム学級を設け、それによって、ムスリム少女たちに自分たちの伝統保持を促しているからだ。
「最初の2つの質問に対する答えは、こうだ。今日カトリック教会は他の唯一神教、つまりイスラムユダヤ教(の信徒)の中から誠実な同盟者を求めているということだ。その目的は(一神教)信徒の広範な戦線を結成し、過激な世俗主義と世界的な唯物論に対して揺るがない立場を取るためだ。この点で、カトリック教会は、欧州における宗教的なムスリムを良い同盟者と見なしている。
「これこそが、教会がムスリムの権利━信仰を保持し、服装規定を含めた祭儀と伝統を遵守するムスリムの権利を守る理由だ。言い換えれば、カトリック教会はムスリムの少女たちに対して、フランス国家の過激な世俗主義への確固たる反対者になるよう促しているのだ」
・アラブ世界にとって必要なのはアングロサクソン世俗主義
「われわれはフランスの世俗主義と宗教の問題を取り上げた。重要なことは、アラブ世界全般、とりわけエジプトの読者に対し、『世俗主義』という言葉にいくつかの意味があり、またいくつかの使われ方があることを知らせることだ。一般的に『世俗主義』という言葉の意味と使われ方は混乱している。(とくに広がっている使われ方には)以下の3つがある。
「(まず)アングロサクソンにとって『世俗主義』という言葉は、国家からの宗教の切り離しを意味しているものの、(宗教に対して)いかなる敵意も扇動も含まない。この意味に最も近いのは、カエサルのものはカエサルに、唯一神のものは唯一神に返しなさい、というイエスの厳命だ。この厳命の意味は、来世の事柄はアッラーの領域であり、政権と政府の問題は国家(つまり)カエサルの管轄下にあるということだ
「言い換えれば、国家の問題を宗教の問題と混同することは賢明ではない。一方が他方を尊重し、支配しようとはしない。
「2つ目の使い方は、とりわけフランスの使い方であり、フランス革命に遡る。ここでは、『世俗主義』は宗教に対する敵対姿勢(を伴った、宗教からの)分離を意味する。残念なことに、アラブの翻訳者たちは『世俗主義』を、この意味だけで捉える
「3つ目の意味は、世俗的なマルクス主義者の(伝統に)根付くものだ。これは、アングロサクソン(の使い方である)国家からの宗教の切り離しや、フランス人(が提唱する)宗教に対する敵意と反宗教の扇動を包むだけではない。信仰と祭儀双方で宗教の根絶と排除を促進するものだ。
「われわれは(『世俗主義』という言葉の)アングロサクソンの使い方を採用すべきだ。それは宗教を拒否したり闘ったりせず、宗教を尊重する。と同時に、政治的諸問題から宗教を切り離すやり方だ」
ムスリムは自分たちの間に住む非ムスリムを尊重しなければならない
「いずれにしろ、イスラムの伝統遵守を希望するムスリムの少女たちの入学を許したことで、フランスのカトリック教会がムスリムに示した親切さは認めざるを得ない。
「(このフランス・カトリック教会の態度から)ムスリムは、自分たちの間に住む非ムスリムを世話し、守り、尊重するやり方を少なからず学ぶことができる。また、そうしなければ、ムスリムは見下げ果てた過激主義、未成熟、個人的な自信のなさに陥るだろう。
注(1)www.middleeastetransparent.com  2008年10月9日

(引用終)