ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

最近の出来事から学んだこと

話は逆戻りしますが、先日のシンガポールからの美術担当教師グループと、3時間半ほど交流した経験を通して、いろいろと考えさせられたことがあります。初対面でも、それぞれの人柄や立場などが何となく透けて見えたのは、興味深い経験でした。
たまたま、関西の留学生支援団体からの報告書が届いていたので、より参考になったのですけれども、「国内外問わず、どういう人材が好ましく評価され、その後も伸びていくのか」という実例を見せていただいたように感じました。
例えば、友人には大変申し訳なく、ある面とても失礼な話ですが、一番よくわかるので、少々お許しください。
20年前の大学留学生センターにおける日本語能力別クラスでは、トップではないものの、彼女は上から二番目のクラスに位置していました。トップクラスは、韓国と中国とブラジルの日系二世の留学生でした。漢字文化圏なので有利に働いたという点も大きかったと思います。
当時、同じコースには、ドイツからの留学生も三人いて、皆あまり流暢には話せず、最下位クラスでした。ところが、現在はどうなったと思われますか?そのうち一人は、ドイツの大学で日本語学の博士号を取得し、数年前まで知る限りにおいては、ハレ大学の専任助教授になったのです。1999年に私がベルリンを訪れた時には、残念ながら会えなかったのですが、その後、非常に格調高く丁重な日本語の手紙が二,三度届きました。昔との違いにびっくりしたと同時に、とてもうれしかったのを覚えています。もっとも、彼女の場合、留学前から、柔道でオリンピック選手並みの訓練を受けていたらしいので、日本文化に相当の理解を示していたと言えるでしょう。そして、もう一人は、今は知りませんが、少なくとも数年前までは、日本語能力を生かして、ドイツの日本領事館に勤務していました。主に、文書翻訳が業務内容のようです。

一方、当時はよく話せたはずのシンガポールの彼女は、今やすっかり日本語がさびついたのは仕方のないこととしても、日本社会の理解に関して非常に選択的であることに、今回の再会を通して気づかされました。「選択的」というのは、個々の物事の背景や理由などをあるがままに探ろうとせず、常に自分の置かれた位置やシンガポールの発展を基準として、表面的な印象に基づいて、日本社会や日本人を批判する傾向にあるということです。実は、昔からその傾向は強かったのですが、あの頃は、ジャパン・バッシングもありましたし、「外から見た日本」という視点を求めていたので、私の方に、多少の違和感を覚えたとしても、異なる見解や外国人による批判に対して進んで耳を傾ける気持ちがありました。ですから、その問題点には、あまり気づきませんでした。ところが、社会経験に乏しい学生時代ならともかく、いい歳のオバサンになると、さすがに私の方も、いつまでも一方的な見方に対して、無批判に受容的でもいられなくなります。
一例を挙げますと、今回、食後にカフェで冷たいものでも、という話になり、近くの喫茶店に入ったところ、途端に彼女が「日本って、まだ禁煙にしていないのぉ?」と大きな声で言いました。もちろん、長年の友人としての気楽さから、深く考えもせずについ口走ったのでしょうが、私としては、久し振りの日本で、かつて10か月とはいえ、語学研修の留学生だったことを誇りにしている割には、そういう言い方はないんじゃないかな、と思ったんです。日本だって、もう随分前から、公的な場所では禁煙にしているところが増えています。また、他の国々を私なりに見てきたからでもあります。たまたま、カフェはくつろぐ場所なので、喫煙と禁煙に席を分けているだけです。すぐ店員に確かめたところ、案の定、「禁煙のテーブルは、ここにいらっしゃる人数と合わないので…」ということでした。即座にその旨と全般的な日本の傾向を説明し、なんとか了解してもらいました。
私にとっては、禁煙喫煙の別よりも、アジア系集団が、大きな声の英語で、賑やかに喋ったり笑ったりする方が、むしろ場としては気になったのですけれども…。それが「私達の文化だ」と言われれば、お客さんをもてなす以上、こちらも寛容にならざるを得ません。

そもそも、昔は留学生寮のお世話係であったという立場であり、日本語教師になる準備期間として貴重な経験だと思っていたので、そのようなことを、あえて意識しないようにしてきました。また、現在も、マレーシア関連のリサーチが曲がりなりにも継続しているので、シンガポールはたいてい二日の滞在で充分ですが、彼女には電話で連絡をとっていたのです。

しかし、今回の再会を経て振り返ってみれば、マレーシアやシンガポールに対する私なりの理解の進展とは裏腹に、彼女の日本に対する意識は、少なくとも会った時点では、二十年前の段階でほとんど止まっているように感じられました。同じコースの他の留学生は、一年間の研修の後、修士課程を含め、博士課程にも進学した人が数名いましたが、それについては、今回一緒だった同僚には、あまり打ち明けたくなかったようでした。当然のことながら、日本語関係の道には進まず、その後は全く別の職業を選択したからです。けれども、学校の教師ならば、子ども達に影響を与える部分が大きいので、日本語能力の有無ではなく、いくら日本での学会出席で興奮状態にあったとしても、もう少しバランスのとれた見方があってもいいんじゃないかな、と感じました。

冒頭の関西留学生支援会のニュースによれば、かなりの高倍率にもかかわらず今年の奨学生に該当した方は、日本におもねる態度は全くありませんが、非常に素直で前向きで真摯であり、しかも相対的な自己分析を批判的に加えつつも、調和のとれた考え方を持っていることがわかります。何をしたいのかも具体的で明確であり、好感の持てる文章でした。基本的な姿勢としては、やはり相手を立てる、どんな小さな点でも相手のよいところに目を向けるという精神的ゆとりが求められているかと思いました。
翻って思い起こせば、当のシンガポール人の友人が帰国前にコースに提出した必修課題の30ページほどの日本語論文は、「日本のテレビ番組の下品なシーン」を批判的に論じるものでした。そのことを、持って行ったアルバム写真を見ていて思い出し、私が口にしたところ、同行の先生達は一様に「えぇ!」とびっくりしていました。本人も否定はせず、「だって、ショックだったんだもん、日本のテレビが猥褻なのを見て…」と続けていましたが、私が「シンガポールは何でもクリーンだから」とフォローすると、先生達はさすがに教員だけあって、「だけど、それにしても…」と口ごもっていました。まあ、私が彼女の立場だったとしても、多分そういうことは書かないだろうと思いますが。もし、そのテーマでエッセイを書くなら、一体どういう層がそういう番組を好んで見るのか、あるいは、なぜテレビ制作者はそのような番組作りを選択したのか、などの考察や、恐らくは自国のメディアの在り方を再考するきっかけへと進めていくでしょう。シンガポールは、あまりにも管理され過ぎていて、言論や表現の自由が本当はないのでないか、当局による抑圧がかえって暗闇での問題を生むのではないか、など。多分、当時の彼女があまりにもシンガポール政府官製の優等生過ぎていたのだろうとも思いますけれども。

ただ、今回は、私がある程度臆せずに彼女に直言したことが功を奏してか、あるいは、同僚の先生方のコメントもあったのかどうかはわかりませんが、帰国前には、彼女も何らかの点に気づいたようです。反応が少し変わってきました。同行グループの先生達が、初めて会った私を、こちらの反省をよそに、ありがたくも好意的に受けとめ、それなりにおもしろがってくれたことも影響していたのかもしれません。誰しも自分をよく見せたい気持ちはよくわかりますけれども、どこかで背伸びしたり、情報不足にも関わらず「私の日本人の友達」を勝手に過大評価したり、事実を自分に都合よく解釈したりすると、何か跳ね返ってくるものがある、と。
特に今回、遅ればせながら、私自身、初めて気づいたこととして、彼女は、私の親やきょうだいや主人などが、元気かどうかはよく尋ねるものの、具体的にどんな仕事をしているか、どこに住んでいるかを、一度も聞いてきたことがなかったのです。結婚式にも呼ばれ、ご実家にも泊まらせていただいたこともあるのに、です。
というのは、私の意識では、やはりリサーチとの関わりでシンガポールが位置づけられていますし、理解を少しでも深めるための交際という面が強いので、私自身が彼女にどう受け入れられているか、ということについて、あまり気にも留めなかったのです。また、他の元留学生の動向も部分的には知っていますから、ある程度は相対化できます。そして私には、どちらかと言えば、いいことよりも、自分の失敗や悩みや問題点だけを重点的に口にする傾向があります。なので、むしろ、彼女の家族や親戚が皆、健康で仕事も順調であり、満足して暮らしているらしいことを、あるがまま素直に受けとめていました。
でも、場所がひとたび日本になると、「ね、私のいとこはエンジニアなんだよ」「昔のルームメイトもエンジニアで香港から帰ってきたんだよ」「昨年はヨーロッパに学会で行ったんだよ」などと、どこか優越感をちらつかせながら言われても、正直にいって、どのように応答したらいいのか戸惑います。例えば、弟が博士号を持ち、東大で工学系の助手をし、今はアメリカの大学で研究中、主人もエンジニア関連の仕事でアメリカ留学をし、病気になる前までは、欧米に頻繁に学会で赴いていたなどと、今さら真っ正直に返事をするのが果たして賢明だとも思えませんから、黙っています。しかし、私がハートフォード神学校へ行ったことがある、という話になると、彼女自身、息を呑んでいるのです。「よかったねぇ、アメリカに行けて」という感じです。別にこちらは、あくまで資料を見に行っただけなのですが。
多分、マレー語やマレー人に関わるテーマを長く続けているので、シンガポール人として、私のメンタリティや環境背景の一部に対して、どこか固定観念があるのかもしれません。シンガポール大学からも、多くの優れたイスラーム研究やマレー研究が出版されているにもかかわらず、です。ただ、リサーチ目的の日本人として、うまくマレー人と交流しなければやっていけないマレーシアの事情を、感情を排してどこまで彼女が理解しようとしているかは、また別問題だと思いました。また、英語で教育を受け、中には欧米の大学で博士号を取得したようなマレーシア華人のクリスチャンとの交流や文献を通して、私がいろいろと教わり、学んでいることが多いという事実も、彼女が知っているかどうかは不明です。リサーチ途上で出会ったマレーシアやインドネシアの関係者は、大抵、きょうだいや親や子どもなどが、欧米の大学に留学していたり、住んでいたりすることが多いのです。少なくとも、マレーシアでは、私に対して彼女のような態度をとる人には出会ったことがありません。国力の差なのかとも思っていましたが、どうやら本人の認識の問題かもしれないと、遅ればせながら気づきました。シンガポールの方が格段に発展しているとはいえ、マレーシアにはマレーシアなりのシンガポール観があるからです。一時期シンガポールに勉強や仕事のために住んでいても、競争に負けたからではなく、もっと人間らしいゆったりした暮らしを送りたいとのことで、戻ってきたマレーシア人の話も珍しくはありません。

ただ、同行グループで興味深かったのは、管理職の立場にある女性で、私のやりとりをそばで聞いていて、すぐさま「あ、あなたはリサーチ志向ね」と指摘したことです。(今回の国際美術教育学会でも、アカデミックな研究発表と実践志向の発表とが同時並行していたようですけれども、シンガポール代表の場合は、概ね後者だったと思います。)さすがは、地位(役割)が人をつくるというのか、もともとそのような洞察力に優れた資質をお持ちなのか、と思いました。そして、最も論理的に客観的に学会での自分達の位置づけを説明できる方でした。例えば、東ヨーロッパや韓国などの発表者の英語は、少し聞き取りにくかったとか、美術教育は学校制度の中でどこか副次的扱いされているのは確かだが、これは世界的傾向である、など。
友人は、自分のことで必死になっていて、私にアピールしようと懸命なのですが、かえって(黙って人の話を聞いていた先生達の方が、多分、仕事はよくできるんじゃないかな)と伝わってくるものがありました。これは、私にとっては本当によい経験で、シンガポールのような人工ミニ都市国家で常に競争管理され、表向きは業績の自己アピールが重要だと言われているような国の人々であっても、やはり淡々と自分の能力や役割をわきまえて謙虚に振る舞っている人の方が、「デキル」「伸びる」という印象を与えるのです。

その管理職の方は、何度も、「今度シンガポールに来たら、ぜひ連絡してください」と言ってくださいました。いろいろな意味で余裕があるからなのか、近い筋に何らかの関連があるからなのか、よくはわかりませんが、ありがたく思いました。

一点、考えさせられる話があります。(しばらく前に、マレーシア華人の友人からも、別件で、似たような話を聞きました。)知り合いのシンガポール人が日本人と結婚して、北海道に住み、日本人に対するキリスト教伝道活動を試みているというのです。マレーシア華人の方は、「最近、大阪から帰ってきたばかりのクリスチャンの知り合いがいる。その人の話では、大阪はミッション・マーケットとして有望だ。クリスチャンが少ないから、むしろやりがいがある」と言い、シンガポール人の方は「日本人は、自分の文化的ルーツに誇りがあるから、そんなに簡単にキリスト教を信じない。教会で結婚式を挙げることはするけれども。今や日本のキリスト教人口は0.5%だ」と言いました。いずれにしても、彼らの意識では、この状態が不服なのです。ただ、正直なところ、とても言いにくいことですが、東南アジアから日本へキリスト教の宣教に来たとしても、それほどうまくいくとは思えないのですが。日本人牧師や司祭がこれほど尽力しても、この程度なのですから。
この二件の問題点は、日本人の精神構造や文化面を、言葉の障壁もあって、本当の意味で深くは理解しようとしていないことです。表面的に一般大衆を見れば、なるほど日本人はキリスト教によって‘救われ’なければならない対象かもしれません。しかし一方で、キリスト教による所謂「近代化」は、とうの昔に終了しているのが現代の日本なのです。また、書籍や教会活動などの観察を通して、人々はそれなりにキリスト教の実態を判断している面も多いのではないかと思います。それに、翻訳版を含めて、学術的にかなりの水準のキリスト教文献が、日本では非常に多く出版されてきた経緯があります。そういう、通常我々があえて口にはしたがらない面や表には見えない部分を、この人々がどのように把握しているかは、私としては大いに疑問に感じます。期待した通りにうまくいかなかった時、結局は日本人のせいにするのかもしれません。東南アジアでキリスト教が根付いたのは、フィリピンと一部のインドネシア以外では、移民系か先住民族系が中心だというのに。

ところで、昨日は、ハートフォード神学校で修士を終えたシンガポール華人のクリスチャン女性から、ようやく論文が届きました。シンガポールにおけるムスリム・クリスチャン関係がテーマで、指導教官はイスラエル出身のアラブ系ムスリムの先生でした。なるほど、と思いますね。さっそく、「感想を聞かせてください」とメールが来ました。読むのが楽しみです。