ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

政治面で感じたこと

今回のシンガポール・マレーシア訪問で政治的に感じたのは、いわゆるオバマ効果への期待と、自民党から民主党へ政権交替したことを一つの励ましと受けとめている、一般市民の態度でした。
換金については、3年前の旅以前から手元に余っていたリンギやシンガポールドルで空港に降り立った直後は何とかなります。しかし、やはり何事も一期一会。レートを見ては、率のよい時にさっさと、必要な金額より余分に替えておく必要があります。とにかく、今回、マレーシアの物価高には驚かされました。
そこでマネーチェンジャーの登場となるのですが、数軒見て回った後に、レート率からここと決めた店に入ると、そこはインド系ムスリムの経営するところで、クルアーンの章句が金文字で飾ってありました。こういう店は信用できることが、19年前からの経験上、直感的にわかっているのですが、すぐ下を見ると、オバマ氏の顔写真が大きく貼ってありました。ははぁ、なるほどね。こういう人々が支持してもいるのですね、と思い、早速、許可をもらって写真に撮らせていただきました。
シンガポールの友人Dも、ご主人の運転する車の中でのおしゃべりで、オバマ氏についてどう思うか尋ねてみると、「うん、彼は真摯だと思うよ。やろうとすることには異存はない」と概ね肯定的なようでした。
さてそして、問題の鳩山政権。Dは中学生の時に家族一同で日本旅行を一週間ほどしたそうです。中国語学校の出身でもあり、当時は反日感情を抱いていただろうことは論を待ちませんが、自民党の「情けなさ」を日常的にシンガポールの新聞で読んでいるためか、今回の転換に期待しているようでした。「私が日本の首相でよく覚えているのは、タナカ!」と言ったかと思うと大笑い。そうでしょうねぇ。あの頃の反日商品キャンペーンは、シンガポールでも相当なものでしたから。無理もないことです。昭南島時代に日本軍がしたことを想起するならば、彼女の反応は極めて「常識的」な一般市民のそれなのです。克服のための努力は、今も私の中で続いているつもりですが...。
また、麻生氏についても、彼女は笑っていました。私もつられて一緒に笑ったものの、やはり海外に出ないとこういう経験はできないし、自虐的というのではなく、批判的なまなざしを寄せられているのだということをまっすぐ受けとめるだけの度量をこちらも備えていなければならないなあ、と痛感しました。
ただ、日本人の端くれとして一言申し添えるならば、シンガポールの英字新聞は昔から、日本の政治社会面の欠点をことさらに取り上げるような傾向があるように感じていました。もちろん、私も日本にそのような弱点があることを否定はしません。しかし同時に、表舞台に出てこないような「普通の人々」の中に、しっかりと物を考えている層も存在するのだということをバランスよく見て欲しいなあ、と願ってもいたことは事実です。
シンガポールで「日本を見習え」という東方政策が施行されたのは、マレーシアのマハティール主導の「ルック・イースト政策」にはるか数年以上も先駆けてのことでした。ただ、その成果はいかに?華人が75%を占めるシンガポールと、ほぼ独占的に全員マレー人学生あるいは、年度によってはサバ・サラワク州の一部の学生を加えて日本の大学へ政府派遣するマレーシアとの質的相違は、ここに書き尽くせないほど大きなものです。これについては、また日を改めて書こうと思います。

今回出会ったシンガポール華人の中には、「日本に行ったけれど、とてもきれいな国だった」「北海道と東京に行った。お金はかかったけれど、機会があればまた行ってみたい」「日本が好きだ。美しい所だった。長野県のさまざまな地域へ行ってみたけど、とてもよかった」など、口々に言ってくださる方が多く、こちらとしてもびっくりしました。過去を覚えている者としてはつい、「え、本当ですか?」と反応してしまったのですが、まあ、お世辞半分、好意半分と受けとめておきましょう。何よりも、このような時代になれたことを、心からありがたくも思います。天皇陛下のお言葉じゃありませんけれども、「国民のたゆみない努力によって、平和と繁栄を築き....」を文字通り地でいくような気がしました。

シンガポールの物価は、日本水準の約8割ぐらいの感覚で過ごせましたが、やはり、シンガポールが40年という短期間にここまでの発展を遂げたという誇りと自信が、日本に対する見方の変化へと結びついた側面も大きいと思います。外交関係もさることながら、さまざまな形での草の根レベルの交流が続くこと、そして、一方的に与える教えるばかりの態度ではなく、相互に学び合う態度を保持することの大切さをも覚えます。

シンガポールでは、日本人が多く住んでいながらほとんど交流がなく、シンガポール人側にとっては、言葉の問題が一番の頭痛の種だったようですが、なんと、Dの勤務する学校には日本人の子どもが3人学んでいるそうです。また、ご主人の学校にも1人通っているそうです。これはよい兆候で、シンガポールの学校教育制度の質のよさが認められた証でもありますし、新しい世代の日本人が育ちつつあることを覚えて、感謝の限りです。