ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

琵琶湖一周小旅行

今日は、気分転換として、夏季休暇中の主人と二人、琵琶湖一周旅行としゃれこんで(?)みました。とはいえ、遠隔地ならともかく、私達にとっては近場ですから、別にどうってこともないかもしれませんが。
琵琶湖北部方面は、本当に静かできれいで、人が少なければこんなに自然は美しいものなのか、と改めて思いました。近江米をつくっている田圃も、整然としていて、眺めがとてもいいのです。そして、湖の水も透明で底までよく見えます。近江舞子近辺も、私が小学校低学年の時はそんな感じだったように記憶していますが、先日訪れた琵琶湖西部は、もはやきれいだとは言えませんでした。逆に言えば、人が環境を汚しているわけです。
京都市でも大阪市でも、北部の方が雰囲気が落ち着いていて好きですが、琵琶湖も同様です。経済発展や人口集中と自然の美しさとは、どうやら反比例するのかもしれません。
長浜で昼食をとり、余呉湖のたたずまいに感嘆し、近江塩津で乗り換えて、今津で下車。ここから、竹生島へ船で渡り、一時間ほどお寺や神社を見て回り、再び船で今津へ戻りました。今津といえば、ヴォーリズ通りで有名と聞いていたので、一度は実物を見てみたかったのです。
結論から言えば、ヴォーリズが今津にもたらしたキリスト教風近代建築は、現実問題として記念物に転化していて、実用としてはどこか風化しつつあるように思われました。あえて比較が許されるならば、竹生島の寺社の方が、離れ小島なのに建物としては重要文化財としてそれなりにどっしりとした存在感を誇っているかのように感じられたほどです。つまり、本の中ではヴォーリズの果たした近代化偉業が充分に読み取れるものの、実際には、今津郵便局もツタの絡まるチャペルならぬ、草の生い茂った人気のない古屋敷という感じで、手入れもなされておらず、びっくりしました。何とか修築したり記念用に移転するなど、方法はあるかと思うのですが...。また、キリスト教会も、当時ならば、なるほど大きくて立派な建物だったのでしょうが、今は(どの世代の信者さんが何人ぐらい集まっているのかな、この教会)とつい心配になるような、かつての威光を彷彿とさせるようなものでした。決して、悪い意味で言っているのではなく、どこかもったいないなあ、残念だなあと感じさせられたのです。
でも、このようなことは、実際に訪れてみて初めてわかるものです。ホームページ上では、写真と説明が丁寧で、とても立派です。
よく、世の中はお金がモノを言う、といいます。もちろん、ある面それはその通りなのでしょうが、基本はやはり人。ヴォーリズの及ぼした影響に感化された人々が、この近辺一帯のヴォーリズ建築の保存に関して、長期的視野で将来を見越して、どこまで手を打つことをしたのか、あるいはヴォーリズの名声や好意にどこか依存するところがあったのか。それとも、今津町の規模や雰囲気に合わせて、無理にいじったりせず、あえてそのまま残しておく方針をとったのか。どうなんでしょう?
本や新聞上では、ヴォーリズはしばしば取り上げられ、西宮や神戸の各大学などでは、その建築が今も顕在化しているという印象を受けます。今津では、そのイメージと現物とが、どこか一致しなかったというのが、正直な感想です。
キリスト教人口が急激に高齢化少数化している昨今、このような建築物は、この先どこまで大切にされるのか、だんだん心配になってきました。取り越し苦労ならいいのですけれども。
一言付け加えるならば、今津ヴォーリズ資料館は、こぢんまりとした落ち着きのある建物でした。応対してくださった女性も、とても感じの良い方でした。
帰宅してみると、奇しくも、日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウスから封書が届いていました。中には、2008年度第1回修学院キリスト教セミナー「建築家ヴォーリズの真の目的」と題した講演内容が掲載されていました。「建築を通して受容されているけれども、彼が信奉したカルヴァン派の信仰、神の主権、神の預託の思想はまだ理解されていない」「彼の精神とは、超教派、神の預託、神の義と愛に基づく平和、国際主義教育である」「彼の真実の姿は、自ら著わした『失敗者の自叙伝』に謙虚にまとめられている」。
むしろ、私にとって必要かつ重要なのは、目に見える形としての建築のことではなく、こちらだろうと思うのです。早速、自叙伝を読んでみたいと思います。