ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

シンガポールやマレーシアの諸相

昨日は、ジャワ系インドネシア人のスシロ先生から、12月に発表予定の聖書翻訳について、いろいろとご教示いただきました。
私が、自分の理解した範囲で、ダイジェスト版のように小さな文章にまとめてエッセンスを書いて送ると、一回毎に、先生が「一つだけ指摘してもいいかな?そこは、そうじゃなくて...」というように、用語を直してくださるのです。とてもありがたく、楽しいやり取りでした。さすがは、ジャワ島で大学の理事長を務めていらしただけあります。
先生としては、聖書協会のアジア太平洋地域のコーディネーターで、最高責任者の任を担っていらっしゃるので、シンガポール聖書協会で、私が何を学び、何を得たか、どのように考察しているかについて、報告することを期待されていたようでした。早くシンガポールでお世話になった方々にお礼状(クリスマスカード同封かも?)をお出ししたいところですが、あまりにも大量の資料を得たために、まだ整理しきれていなくて、準備中というところです。
本当に、今回は行けてよかった、と心から思えた充実した旅でした。これまでの十数年以上に及ぶリサーチ経験の中で、初めてじゃないかな?いつもは、マレーシアの場合、とにかくぐったり疲れて、頭の中がぐしゃぐしゃになって、(なんだ、この国は?見かけ倒しじゃないか)という感覚だけしかなかったので...。
唯一、残念なのは時間の制約で、こればかりは、また次回、でしかありません。特に、シンガポールマイクロフィルムは、日本やマレーシアの国立図書館のように、ページを見てボタンを押せば自動的に印刷されて出てくる仕組みの機械ではなかったのに驚きました。Dにそれを訴えると、「多分、シンガポールは、その機械を買うお金がないわけではないと思う。ただ、気づかないんじゃない?係の人に言って、教えてあげて」とのこと。とにかく、シンガポールでは、「あと一時間しかないんです!」と申し出ると、我が事のように心配して、「そりゃ、大変だ」と、一緒にいそいそと動いてくれる人が多くて、助かりました。さすがは、中継貿易立国だけあります。あの暑さの中で、よくこれだけ動き回れるものだ、と感心さえします。
マレーシア神学院でも、マイクロフィルムの機械が、同じように、「手書きでメモを取るしか方法がない」と言われました。「その自動的に印刷できる機械は、とても高くて買えないから。日本で、もし古くなったものがあれば、是非ともこちらに譲ってもらいたいのだけれど」と聞いて、びっくりすると同時に、またもや腹立たしくなってきました。(ちょっと、超モダンな高層ビルばかり建てていないで、なんとか、こういう教育研究方面に、もっとお金を配分できないんですか?)と。マレーシア神学院の図書館では、初めて訪れた2000年11月には、マラヤ大学中央図書館やマレーシア国立図書館での、雑誌や統計や法律の文書類のぐしゃぐしゃ状態に見慣れていたせいか、とても整備されていて清潔な感覚を持ちました。以前はマラヤ大学の図書館に勤務していたというサクティさんが、鼻の頭に汗をかきながら、一生懸命働いていたのも印象的でした。
ところが、今回、久しぶりに行ってみて、確かに本がきれいに並んでいるものの、全体として(え!こんな古い本で勉強しているの?)と悲しくなるほどの状態だということに気づきました。特に、中国語で書かれた神学書は、どれも古びていて、(一体これは、何年頃の本だ?)と不思議に思ったほどです。
意欲やレベルの問題ではなく、多分、資金を教会の献金や海外のキリスト教組織の支援でまかなっているからだろうと思います。それにしても、イスラーム機関の見事な建物と引き替えに、何ともこれは、と残念に思いました。
マレーシア神学院で学んでいる神学生達は、どこから学費を得ているのでしょうか。今回は、せっかくなので、いろいろな経験をしてみたいと思い、事務局長のYさんの采配もあって、夕食は神学院内のカンティーンにしました。華語セクションで学んでいるという若い女子神学生二人と、一緒のテーブルでチャーハンとスープという簡単な食事をとりましたが、「卒業したら、何をされるつもりですか」と聞いてみると、「まだわからないんです」。「え?でも、自分でここで勉強することにしたんですよね?」「はい、でも、私がここで勉強できるのも、所属教会のお金のおかげなんです。ですから、卒業後の仕事は、自分の希望ではなく、教会が決めるのです」とのこと。ふうん、としみじみ感じ入りました。(やっぱり、まだまだリサーチは続けなくちゃいけないな、私ったら、何にも知らなかったんだ)と反省。
もちろん、そのようなやり方は、日本の教会でも考えられることですから、特に珍しい話ではありません。ある大学の神学部では、神学生支援金のような制度があり、それは、各教会の献金や関係者の協力資金によるものだったかと記憶しています。ただ、私が改めて考えさせられたのは、「マレーシアは華人が経済力を牛耳っている」といわんばかりの卑俗な通念が、如何に誤っているかを思い出したからです。確かに、富裕層に華人が多いことは事実でしょうが、私がこれまでに出会った華人は、必ずしも裕福な人達ばかりではなく、むしろ、質素に倹約を重ねて日々を堅実に送ろうとしている人達の方が多かったかと思います。
そして、この神学院で寮生として学んでいる若い人達も、決してお金持ちの暇なお嬢さん達ではなく、卒業したら「多分、社会福祉の仕事に入ると思う」などと言っているような、質素で快活なタイプでした。恐らくは、その準備訓練としてなのでしょう、食事の準備や後片付けや掃除などは、試験期間中であっても容赦なく、当番制で何事も自分達でやるよう指導されているそうです。私も、自分が子どもの頃そうであったように、それは当たり前だと思いますが、つい、メイドさんに頼る生活をシンガポールで見慣れてしまったせいか、新鮮な思いもしました。案の定、Yさんの説明によれば、「学生達は、時々、勉強の時間がなくなる、と文句を言いながらやっていますよ」。
学生数は、毎年三桁に上るそうです。韓国人と結婚した日本人男性も、しばらく前までここで神学を学んでいて、今は日本で牧師をされているとか。パキスタンやパプア・ニューギニアからの女子留学生もいました。特に、目のぱっちりした美しいパキスタン女性の場合、お父さんもクリスチャンだそうですが、国で大変な思いをしているとのこと。でも、マレーシアに来て、キリスト教を学ぶパキスタン女性、なかなか興味深い進路だと思いませんか。イスラームの比較もできそうですし、今のパキスタンの状況からすれば、マレーシアはとても幸せに見えるでしょうし。
事務担当のYさんに、学生の名前を全員覚えられるかどうか尋ねてみたところ、涼しい顔であっさり「はい、全員知っています」。「私達は、一つの大きな家族や親戚のような関係で、お互いにいつも助け合うし、さまざまな情報を共有し合っている。いつも共に祈り合って、それぞれの教会に遣わされていくのだから、名前を覚えられないはずがないでしょう」。
雰囲気はとても良好なのだけれど、ますます、文献資料の充実とマイクロフィルムの整備が急眉だと感じました。ニュージーランドの先生が、定年退職されたにも関わらず、しばしばマレーシアを訪れては、いろいろと側面から指導されている意味とその重要性も、ようやくこれでよくわかりました。南メソディスト大学のロバート・ハント先生も、時々、神学生を連れてマレーシアの神学院の状況を見学させていらっしゃるそうです。
このような経緯を経て、今回初めて、私にも何か公的なポジションがほしくなりました。それは、自分の社会的地位という意味ではなく、真にこういう人々の仲間になり、何か日本の立場でお助けできるようなことがあるならば、地味であっても責任を持って何かしたいと感じたからです。