ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

インドネシア版「寛容性」

昨日は、絵を送ってくれたマレーシア華人の友人と、先日の会合で(参照:2009年2月14日・2月16日付「ユーリの部屋」)、インドネシア人の神学者と、マレーシアとの単純比較から「寛容さ」について議論になった旨、メールで話し合いました。基本的には、彼女は私と同意見。当たり前といえば当たり前なのですが、現場にいるリサーチャーの彼女から情報を得て、その他の情報提供者や手持ちの資料や私なりの現地滞在の知見と摺り合わせて、意見表明をしたのですから、一致していなければおかしいわけです。
彼女自身も、インドネシアとマレーシアの教会指導者層の協議会合に出た経験から、「そのインドネシア人の神学者が、どういう背景の持ち主なのかによって、態度が違ってくるでしょう」と述べた上で、「インドネシアは、世界最大のムスリム人口を有する国。暴動や虐殺行為がインドネシアで地域的に発生してきたのは事実だけれど、私達マレーシア人のクリスチャンから見て、インドネシアムスリムの方が、マレー人よりも寛容で、成熟しているのは確かだと思う。ここマレーシアのムスリムは、本当に、まだまだなのよね。だって、インドネシア政府は、ささいなことで変な法律を作ったりして、あれこれ非ムスリムに抑圧をかけてこないじゃない?」と書き送ってきました。

彼女の言説を支持する証拠の一つとして、その会合に他大学から来たスカーフ姿のインドネシア人留学生(バンドン出身でジャカルタ教育大学)が、終了後に、みずから進んで私に両手を差し出し、サラームしながら‘Sampai jumpa lagi’と言ってくれました。これなど、1990年代前半のマレーシア勤務期でも、めったに経験できなかったことです。当時は、ジャカルタでもスラバヤでも、プアサ(断食)期に訪問した私を喜んで迎えたジャワ系ムスリムの元日本国費留学生だった友人達は、「一緒にご飯食べよ、食べよ」なんて、平気でした。(その頃、インドネシアでスカーフをしている友達は、一人もいませんでした。)かえって私の方が「だってプアサでしょ?私もご相伴する」と言うと、「え!しなくていいよぉ。マレーシアでは、宗教警察が見回って、食べているムスリムを捕まえるの?変なのぉ!」と大笑いしていたぐらいでした。とにかく、インドネシアの方が、精神的に大国意識を持っていたというのか、おおらかで大人の態度だったと思います。今から考えても、これは貴重な経験でしたし、本当になつかしい思い出です。

そうです。それを私は言いたかったのです!ですが、この種の話題には、絵描きの友人共に、既に飽き飽きしているので、「もう、このエンドレスの同じ話、やめましょ!」と一件落着しました。はい、それが賢明です。
こういう話をしている間に、もっと実証的なきっちりとした文章を書き上げていかなければ....。
彼女の方も、リサーチャーとして、同じ問題が繰り返し発生し続けているマレーシアの現状に見切りをつけ、せっかくの多文化多民族社会マレーシアにおける宗教的共存状況を、好きで得意な絵によって表現していきたいのだそうです。文書にまとめようとすると、どうしても問題の方に焦点が行きがちなので、問題は問題として受けとめつつも、それに対する心的表現を、ことばではなく美術で形にするというのは、いい考えだと思います。自宅にアトリエのようなスタジオを設置し、友人と共同で仕事にとりかかっているそうです。将来が楽しみですねぇ。
もっとも、私と同い年の彼女の行く末を心配しているお母さんからは、「結婚どうするの?」と、今でも言われ続けているそうですが。まあ、心配されているうちが花ですよ。何も言われなくなったら、寂しいですよ、ほんと。華人は家族や親戚づき合いを大切にする、と言われますし、その通りなのですが、どうやら私の世代が価値観の転換期のようで、最近は、いつまでもキャリアアップに夢中になっているたくましい単身女性が、華人にも目立ってきました。
ただ、本当に彼女がしたい仕事のためには、単身では入国不可の国にも行く必要があるそうで、それが目下、頭痛の種なのだそうです。いいパートナーが見つかるといいね。ご多幸を祈っています。