ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

グローバル化とナショナリズム

グローバル化の反面、固有文化の見直しの気運が高まっているようです。もちろん、根無し草の人間ほど信頼されないものはないので、バランスをとろうとする動きとも見ることはできるでしょう。
つい数日前には、プロテスタント日本宣教150周年記念行事が横浜で開かれたそうです。知ってはいましたが、参加者名簿を見ると、小さな福音派教会がずらりと並んでいて、肝心の有名なキリスト教系私立大学の名前が入っていなかったので、これは何かあるらしい、と距離を置きました。100周年記念の時には、そういう大学の方が率先していたからです。
どうやら、沖縄宣教の方が先に十数年の経験を有していたのに、それは無視して、いわゆる北海道、本州、四国、九州の範囲だけをカウントしているのが問題の一つらしいです。「日本プロテスタント史に沖縄は入るのですか」「いえ、考えておりません」という会話が、キリスト教系の先生方の間で交わされたとか。
もう一つは、この催しに、負の意味でのナショナリズム的な雰囲気を感じ取った人々もあるようです。そして、いわゆる「西洋化、近代化」にキリスト教が果たした役割を、今でもそのまま丸呑みしているような人々もいるそうです。「信仰の継承」が、結局のところ、「古い価値観の押しつけ」になっていることに、当人は気づいていないようなのです。
それにしても日本は、教会や修道院の数だけは、ものすごく多いのですね。逆に言えば、それだけ小規模の組織が数多くあるという意味です。小回りがきくと言えば聞こえはいいのですが。
出版物も多く出ているのですが、発行部数ないしは販売部数は非常に少ないとか。そういう面を知らずに、無邪気に、本の数だけで社会に広く浸透しているのだと思い込んでいた時代がありました。

キリスト教の辿った変遷は、マレーシアの歴史的な勉強をしてみると、非常によくわかります。そして、シンガポールとの対比でも、より明らかになります。
マレー・ナショナリズムによって「イスラーム」と「マレー語」が強調されるのは自然な成り行きですが、国内的あるいは地域的にはそれでよくても、果たして、現在のめまぐるしい地球規模での変化に対応できるのかどうか。要領のいい人は、家で英語の特訓をしたり、華語学校へ通ったりして、何とか困らないようにやっているらしいですけれども。宗教に関しては、これは難しいと思います。
国連人権宣言などの西洋発祥の「普遍思想」については、ムスリム諸国は、たとえ代表者が署名をしたとしても、国内では拒否したり実践していなかったりすることが目につきます。そして、先日も来られたカマリ先生などのようなムスリム学者は、イスラーム発信の人権思想を普及させようとしている節が見られます。それに対して、アカデミアの枠内では、「それも受け入れよう。認めよう」という声がないわけでもありませんが、実際のところ、すり寄っているようにも見えます。ムスリムがそう言うなら、わかります。でも、ムスリムではないのに、ましてや、キリスト教徒だと名乗っておきながら、寛容の名の下にすり寄るというのは、どう見てもご都合主義的な印象がぬぐえません。例えば、マレーシアでは、4割の非ムスリムが、自分達の生活に降りかかってくる可能性が大きいため、距離を置くなり、盛んにコメントを出すなり、セミナーを開くなりして、同じ議論を延々と続けているのですが。とはいえ、非ムスリム諸宗教は、元はといえば、すべて外来系で周縁的なので、マレーシアの代表格にはなり得ないのです。やっかいな話です。

さて、昨日、コンラート・アデナウア財団のマレーシアでの活動に関する拙稿をマレーシアにも送ったところ、すぐに受け取り通知が届き、「元代表者にも送りなさい」と連絡先が付記されていました。それはそうですよね、礼儀作法として。あのドイツ系財団の代表者の許可がなければ、私も対話会合の実態に触れることすらなかったのですから。そして、日本の大学で行われる「きれいな」会合とは違った、ストレートなやり取りが観察できたのですから。私としては、どちらの立場もわかるという点で、有利でもあり難しい位置づけでもあります。ドイツのことも、ドイツ語を20数年も学び続けて、ある程度、知っていたからこそ、あの財団に関心を持てたのですから。
とにかく、英語で書かなければ、何の意味もないのだ、と。日本国内で自分の考えを説得しようとしてもどこか空回りしますが、マレーシアに送りさえすれば、必ず喜んでもらえることがわかったので。