ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「真理はあなたたちを自由にする」

このところ、ブログを書くのをやめて、積み上がった資料を読んだり、読み直したりしています。
「早めに準備するように」とのことで、来月初の締切に向けて、おとといから学会発表の申し込み要旨を書き始めたのですが、改めてため息が...。発表のアイデアは数年前からあり、少しずつ、集められる時に文献資料を集めておいたのですが、まだ、数点、不足しているものがあります。それにしても、かなり地域と時期を限定してテーマを絞り込んだつもりなのに、今回も、膨大な資料を要したのです。筋だけを追えば単純な話のようでも、文章化に向けて細かいところを詰めていくのに、非常に多くの資料を渉猟せねばならず、しかも資料の所在が、国内の各図書館は勿論のこと、マレーシアやシンガポールの諸機関などにも広く分散しているために、こんなに時間がかかるとは、十数年前には予想もしていませんでした。
これまで、音楽の話や身の回りの小話を綴ってきたのは、空き時間ないしは待ち時間を他に振り向けて、自分なりのバランスをとりたかったからでもあります。自分で設定した問題意識を追っかけていながら、他方、このことだけで人生を終わりたくない、という気持ちがとても強いのです。労多くして見返りが少ないことが、時間の経過に伴って実感できるようになったからです。けれども、単なる趣味ではなく、世界的にも昨今の重要なテーマに連動しているということなので、やめるわけにもいかず...。
それにしても、南メソディスト大学神学部のロバート・ハント先生やニュージーランドのジョン・ロクスボロフ先生による、1980年代後半から90年代前半にかけてのマレーシアでの教会史のお仕事がなかったら、本当に何が何やらわからなかっただろうと思います。地元の研究者やキリスト教関係者の著述や参考資料も、かなり集めたつもりでしたが、地元ならではの視点が含まれている反面、記述が曖昧になる傾向があります。しかも、(どこかで読んだような記憶がする)と、すぐにわかるような、外国人研究者の書いた文章をそのまま引き写している文献も散見され、がっかりしていました。
上記の先生方が編集された『マレーシアのキリスト教:教派史』という本を14年前に購入して読んだ時には、私の知りたかったことが部分的にしか書かれていなかったのが不満だったのと、どうしてそういう項目が立てられて論じられているのか、また、論じ方があまりにもおおざっぱではないか、などと批判的に感じていました。ところが、何度か繰り返して読むうちに、だんだん、このような形に立ち上げることだけでも、大変な労力を要することがわかってきました。注に示されている教会会議録などの参考文献が、非常に重要だということ、しかも、そういう資料には、誰もが最初からアクセスできるわけではないことが実感できるようになってきました(参照:2008年11月8日付「ユーリの部屋」)。
また、徐々に判明したのは、過去の外国人宣教師達は、現地で数年間を教会の牧師などとして過ごした後、国に帰って、大学の神学部や神学校などで、担当した地域での経験と教会議事録や人々との接触などを元に、学位論文を書いて次のステップへとつなげるパターンがあったことです。日本国内ではとても見つけられないような、細かく専門的な記述の文献の数々を、マレーシアやシンガポールで入手して読みながら(この著者はとても優秀なんだな)などとナイーブにも思っていましたが、実は、司教であったり、核となる教会を担当したりしたために、情報が入手しやすい立場にあったのだということです。そして、その論文を読んだ出身校の神学生が、先輩の成し遂げたこと、失敗したこと、土地や人々に関する情報などを学び、続いて新たな宣教方法を編み出して、その地へと出て行ったようです。
ハント先生の場合は、奥様がサラワク出身のメソディスト福州華人という利点を生かして、数年間、マレー語を学び、マレーシアの神学校で教鞭を執りながら、同時に世界的なキリスト教組織のネットワークを駆使して、ウィリアム・シェラベア博士について膨大な一次資料を集めて論文に仕上げ、マラヤ大学歴史学科に提出し、出版もされました。この書籍を見た当時には、(日本国内では、どんなにがんばったとしても、単独でここまで資料を集められないし、集められたとしても、その解釈と記述が難しいだろうな)と思ったものです。私にとっても、シェラベア博士は、マレーシアに派遣された当初から、非常に気になる存在でしたので....。ロンドン、ニューヨーク、ハートフォード神学校、シンガポール、マレーシアの図書館や文書館など、実際に一定期間赴いて、マイクロフィルムや現物を見るだけでも大変ですし(実際、自宅から比較的近いはずの民博図書室でも、マイクロフィッシュの全部が終わっているわけではありません)、私自身、どこに資料があるのか、当初は皆目見当もつきませんでした。
ともかく、問題意識だけを頼りに、このリサーチと勉強を自主的に始めて、かれこれ20年ぐらいになります。日本で教わった世界史とはまた違った側面を知ることになり、視野が広がりました。また、組織としてのキリスト教は、実にまめまめしく記録を残し、ジャーナルを発行し、保管していく習慣を持つのだなあ、と驚かされます。もっとも、仏教などでもお寺に記録が残っているのでしょうが、保存の仕方が違うように思われます。
問題は、その資料の読み方です。昨秋にシンガポールのトリニティ神学校で見たリストには、「義務的に定期報告するよう本部組織から求められていたので、この資料は形式的であり、実質的価値は少ない」と分類してあるものもありました。また、昨日読み直した文献でも、「公的な報告では、業務がうまく進展し、希望が持てるような書き方がされているが、極秘資料を読むと、実は宣教師同士のいざこざがあり、うまく進んでいないことがわかる」などと記されていました。
興味深かったのが、上記の『マレーシアのキリスト教:教派史』のインド系司教による巻頭の辞です。「クリスチャンの歴史家は、真実を記すことにコミットしなければならない。歴史家達は各教会のために護教を書くべきではない。恐れなく真実を探求するという忠誠心に対して妥協することになるかもしれないからだ」「信仰を持つクリスチャンは、諸事実から恐れるものは何もない」(ポール・ジョンソン)「例えば、キリスト教を伴ってヨーロッパの植民地主義がマレーシアへ来たという否定的な効果を無視し、キリスト教を最高の光のもとで描こうとして、肯定的な事柄のみに焦点を当てる選択をするならば、悲しい日となるだろう」「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ福音書 8:32)という意味の激励が書かれていたのです。
かれこれ十年ぐらい前になりますが、ハント先生に、シェラベアのことを論文にしても、マラヤ大学ムスリム教授は気を悪くされなかったかどうか尋ねたところ、「ムスリムが重視するのは、きちんとした証拠に基づいて、事実を記述しているかどうかであって、何も問題はなかった」との明快なお返事でした。
それを思えば、これも十数年前のことになりますが、ある日本人のキリスト教関係者から、「学問的にはおもしろいかもしれないが、そのテーマが危険だということは、マレーシアに住んでいたならわかるはずだ。主の御名によって命じる、今すぐに、そのリサーチをやめなさい!」という匿名の手紙が来たことがあります。マラヤ大学の教官のレター付だったにもかかわらず、です。同じキリスト教でも、姿勢において雲泥の差があります。
そういえば、しばらく前に、若い院生から「マレーシアのムスリムは、キリスト教のことを怖がっているんですよ」と勝ち誇ったような顔をして言われたことがあります。私にとっては、何を意味しているのかさっぱりわからず、返答のしようもありませんでした。まず、イスラーム憲法によってしっかりと連邦宗教として位置づけされていること、ムスリムへの宣教活動は各州の法によって制約をかけられていること、マレー人は歴史的に常に保護され、特権を与えられてきた民族であること、などから、具体的に何を怖がっているのか、なぜ怖いのか、根拠もなく怖がるメンタリティはどこに原因があるのか?むしろムスリムの方が、イスラーム発生当初から、ユダヤ教キリスト教の歪曲や不備を指摘し、完璧で最終のイスラームを誇っていたのではないでしょうか。
ともかく、私にそんなことを言われても、ただリサーチをしているだけなのですから、馬耳東風というのか、わけがわかりません。もちろん、ムスリム感情に配慮すべきなことは言うまでもないことですが、だからといって、ムスリム理解を非ムスリムに対して求めるだけでは不公平です。きちんとした状況分析も必要なのではないでしょうか。
それに連関して、『マレーシアにおける信教の自由』というタイトルの文献をリストに挙げただけで、内容を確かめもせずに、すぐさま「ムスリムには信教の自由がない。これはムスリムキリスト教化するための資料だ!」と一方的に反論し、却下された日本国内での実例があります。これを思い浮かべると、「真理が自由にする」道はまだ遠いとも思います。言うまでもなく、実はその文献、イスラーム復興のもと、マレーシアの4割を占める非ムスリムにとっての信教の自由について法的に論考したものなのですが。