ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

世の中広しといえども...

先程、ロンドン在住の広東系マレーシア人女性から連絡をいただきました。いつも文章を書くのはご主人の役目だとばかり思っていたので、とても珍しく思いました。
もっとびっくりしたのは、彼女が大家族の出身だと書かれてあったことです。知り合って17年にもなるのに、本当にそれほど多くの兄弟姉妹がいらっしゃるのだとは、今日まで全く知りませんでした。大家族だと、誰それが病気になったとか、亡くなりそうだとか、いろいろな出来事が頻繁に起こるようで、心労も尽きないようです。
それにしても彼女(といっても私よりかなり年上ですが)の場合、都市部の出身で、アングリカン学校の卒業で、スウェーデンに薬学の勉強のため留学したと聞いていたので、マレーシア人としては、相当恵まれた裕福な家庭で何不自由なく育ったのだとばかり思っていました。もちろん、それはそうなのでしょうが、日本人の典型として、つい自分達の社会の水準に合わせて相手を見てしまいがちなのですね。マレーシアの複雑さを改めて痛感しました。
このご夫婦は、K家と少し似ていて、知り合った17年前から、ほぼ毎月のように(40代に入ってお子さんが生まれてからは数か月に一回のペース)、家族や教会のこまごました出来事を非常にまめに書き綴っては、『コイノニア』と題した通信発行物として送り続けてくれます。ホームページが更新されると、すぐにメールで連絡が入るほどのマメさなのです。ですから、いつしか、何となく、私も(このご夫婦をめぐる環境については、だいたいわかっている)という気になってしまっていました。

結局のところ、何事にせよ、理解することには制限がないために「どこで線引きをするか」が常に問われるわけですけれども、同時に、「私は○○についてはわかっている」とは絶対に言えないという戒めだとも思います。

例えば、昨日も教文館から届いたパンフレットに、『古典ユダヤ教事典』のご紹介がありました。「推薦のことば」に掲載された三名の先生には、私にも年賀状をくださり、会合等で何度かお目にかかったI先生も含まれているのですが、「私たちはユダヤ教のことがわかったつもりになっていないだろうか」とあり、鋭いご指摘にはっとさせられました。確かに、単純といえば単純ですけれども、聖書に書かれた記述だけから「ユダヤ教とは」「ユダヤ人とは」などと解釈してはならないはずなのに、どうも日本のキリスト教会でも、少なくとも私の周囲に限り、その傾向があったのではないでしょうか。それが、ヨーロッパにおいて、どれほど恐ろしい偏見や憎悪に結び付いたことか、想像するだけでも重たい現実なのにもかかわらず、です。
ところで、このI先生、4年前の会合で、アメリカから来られたユダヤ系の代表者と、ヘブライ語で何かおっしゃりながら抱き合って別れを惜しんでいらっしゃったのを覚えています。それほど、ユダヤの民を深く理解する日本人研究者I先生の存在が、この代表者の方にはうれしくてならないのだなあ、としみじみ実感しました。このような光景に直接巡り合う機会は、たとえそれが一回限りであったとしても、文献をたくさん読むよりも遥かに効果的です。
こうしてみると、たいしたことは何もやっていない私でも、人類史の一端に触れる貴重な経験に恵まれてきたのかもしれないと思いますね。

それから、『ズィンミーイスラーム下でのユダヤ教徒キリスト教』の本ですが、より丁寧に読んでいくと、実はそれほど一方的でもないことが判明しました。時代や地域や指導者の裁量によっては、また、政治的経済的条件によっては、ある程度の宥和的状況が生まれた事例も、限られてはいますがきちんと記述されています。つまり、中身を読まずに即断してはならないということですね。それにしても、これほど大量の資料に当たって、こまごまと記述を積み重ねられた力量には、まさに圧倒されるの一言です。最近の日本の出版物は、本にしろ新聞にしろ、活字が大きくなって、中身も薄っぺらになったように感じるのですが、本と名乗る以上は、そもそもこれぐらいのものを指すのではないかとさえ、思われるぐらいです。
読む量が格段に違うということは、それだけ知力も違うという意味です。私なども、多分、大甘に見積もったとしても、日本の同世代の読書量の平均値にようやく到達したかどうか程度に過ぎないと思うのですが、世界水準でいけば、到底落ちこぼれでしょう。学生時代に、ヨーロッパの大学卒業者なら、英語、ドイツ語、フランス語に加えて、ギリシャ語および、ヘブライ語ラテン語も読めるのが普通だと聞いたことがあります。その水準でいけば、日本の大卒者としては、少なくとも、中国語と韓国語とアジア諸語の幾つかは読めなければならないわけですのに、私はできません。ふぅ!

昨日は、マレーシア聖書協会から、新しい会報が届きました。英語、マレー語、華語版の2点セットで、なかなか頑張っているようです。中国語聖書については、台湾で開かれた2月の会合の様子が写真付きで紹介されていて、香港、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、アメリカの代表者が並んでいました。どうも、日本の代表者は含まれていないようなのですが、こういうところでも、戦時中の禍根がまだ反映されているのかもしれない、などと感じてしまいます。