ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシア教会指導者のご逝去

前言を翻すようで恐縮ですが、マレーシアから入った緊急ニュースをお知らせしたく、「ユーリの部屋」を再開することにいたしました。

マレー語版『子ども達のための聖書』を送ってくださったキリスト教組織のスタッフより(参照:2008年4月26日付「ユーリの部屋」)、メールで通知が届きました。

2007年4月27日の午前6時20分、マレーシアのインド系の教育者かつ献身的なキリスト教指導者でいらしたMr. David Bolerが逝去されました。89歳でした。本日、ご葬儀がとりおこなわれたとのことです。
早速、マレーシアの日本語キリスト者集会の日本人牧師K先生にご連絡しました。というのは、もともとマレーシアへの赴任者とその家族のための礼拝であったこの集会は、外国人一時滞在者の性格ゆえ特定の会堂を持たなかったので、1990年以前に、困ってDavid Boler氏に尋ねてみたところ、いとも簡単に「どうぞ」と使用許可を与えてくださった由来があるからです。(この詳細は、拙文「教会堂を貸してくださったマレーシアの長老」(http://www.kljcf.net/cont-plaza/tsunashima.htm)にあります。)すぐにお返事があり、前夜式にはNさんが出席され、ご葬儀には、K先生が日本語集会を代表して行かれたそうです。

実のところ、なんだか喪失感が否めません。直接面識をいただく機会はついに逃してしまったものの、ご自宅は知っています。集会が終わってから、教会の鍵を返しに門のところまで行ったのは、1994年か95年のことでした。また、2003年8月のマレーシア訪問時に、娘さんにご挨拶したことがあります。その一ヶ月後に開かれた日本語集会の20周年記念には、ご家族で同席してくださったとの由、写真を拝見しました。

それ以外にも、私にとっては、リサーチの過程で、David Boler氏のお名前は、各種文献資料やリサーチ協力者との会話で頻出でした。それもそのはず、マレーシアのキリスト教史上、決して看過できない重要な働きをなさった方だからです。
まずは、1981年のマレー語聖書の差し押さえ問題を機に、それまで「おらが教会」風にバラバラに存立していた中から、マレーシア福音派クリスチャン交流会(National Evangelical Christian Fellowship)形成の基盤を作られました。1984年には、マレーシア聖書協会(Bible Society of Malaysia)の設立委員のお一人として活躍されました。1980年代には、マレーシア・キリスト教連合(Christian Federation of Malaysia)の副議長を務められ、同時に、聖書同盟(Scripture Union)の議長でもあられました。そして、常に、マレーシアの教会における国語としてのマレー語使用の奨励を訴えられてもいました。教派的にはブレズレンの方で、福音派の立場ですが、ご自分の考えや信念ははっきり表明されるものの、議論を尽くした後の結論には従うという秩序の方でもいらっしゃいました。

David Boler氏は、元来、マドラス大学で化学を専攻し、マレーシアに移住して、1966年から1978年まで、ブキット・ビンタン(星が丘)中等男子校の第二代目校長を務められた方です。この学校は、ブレズレン宣教団によるミッション・スクールで、今でもマレーシア国内で優秀校の一つに数えられています。学校のモットーは、"Nisi Dominus Frustra"(神なしにはすべてが虚しい)とラテン語で掲げられています。David Boler氏は、教育媒介言語がマレー(シア)語に転換される問題点やその行く末を、教育現場を通して肌で感じていらしたために、将来を見据えて、教会でもマレー語使用を推進されていたのです。この立場は、マレー人が「我々をキリスト教化するための策略だ」と一方的に断じるのと、かなりのギャップがあります。是非とも、この違いを理解していただきたいものです。

スシロ先生の著作にも、マレーシア聖書協会の設立由来の記述の箇所で、David Boler氏の名前が出ていたので(“Mengenal Alkitab AndaEdisi Ke-3, 1990, p.134)、この悲しい通知をお伝えしました。送信するとすぐにお返事が。あいかわらず世界中を飛び回っている超多忙のスシロ先生のこと、「今は、バンコク行きの飛行機を待っているところだ」で始まり、「私もあの人の家には行ったことがあるし、個人的によく知っている。つまり、一つの世代が終わったということだ」と書かれてありました。

そうなんですよねえ。ご高齢なので、いつかはこういう時がくるのだとはわかっていたものの、インタビューや式典には背筋をぴんと伸ばして出て来られるとうかがっていたので、まだまだご長寿でいてくださるのでは、と願っていたのですが。
いずれにしても、マレーシアの教会史上に銘記される指導者のお一人に間違いはありません。1990年のマレーシアの首都圏を、その鄙びた風景や湿った空気のにおいと共に、まだしっかりと覚えている私など、あの当時のキリスト教組織の立ち上げがどれほど難しかったか、想像するだに敬服の思いがします。しかし、非常に幸いなことに、初代のリーダーがこのようにしっかりされていたので、今も関連組織が存続し発展しているのです。

ここで、David Boler氏のご著作の一つをご紹介いたしましょう。“Meet the Man/Temuilah Dia" (1997)という小さな薄いキリスト教導入書です。この本の特徴として、ムスリムキリスト教を論駁するのにしばしば用いる『バルナバ福音書』についても簡単に触れられていることが挙げられます。この福音書に関しては、知る限り、これまで日本の大学では聞いたことがありませんが、草の根レベルでのムスリムとクリスチャンの一般大衆的な「対話」では、必ずと言ってよいほど出現するものです。我々が、もっとイスラーム圏内のクリスチャンの思考や態度について学ぶ必要があると感じさせられるのは、こういう時です。

そういえば、今日は『ヘラルド』とマレーシア教会協議会の季刊誌(CCM News/Berita CCM)が届きました。前者には、ベネディクト16世アメリカ訪問の記事が大きく掲載されていたこと、後者では、マレー語の聖書問題や、マレー語での神の名をめぐる問題や、キリスト教文献の差し押さえなど一連の問題が何ページにも及ぶ記事として載っていたことが印象的でした。特に後者は、まさにDavid Boler氏が、1980年代に何度も指導者レベルの非公開会合を開いて討議した問題に相当します。氏はこの世を去られましたが、問題は旧態依然というところが、いかにもマレーシアって感じですね。