ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ユダヤ人から学ぶアラブ?

2008年2月以降、『メムリ』の記事を時々、このブログに転載させていただいてきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA)。
最初の頃は、興味深いテーマなので後日の参考になるかと思って、とりあえず転載、としてきたが、実はあまりの重苦しい内容に、転写に伴う誤字脱字などを直す気力も失われるほどだった。
逆に言えば、当時の私や周辺の雰囲気が、まだ現実の厳しさに直面していなかったということでもある。
ただ、ここ数年、パイプス訳文(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)を続けていく中で中東情勢に少しずつ慣れていくと、過去の『メムリ』記事が非常に役立ち、筋が追えるようになっている自分に気づく。
何かが起こってからでは遅い。普段から、このような情報にも目を通すことで、いざという時の判断に多少は助けになるのではないだろうか。
以下の記事は、新鮮な内容を含む。もっとも、流動性が激しく、逆戻りする可能性も否定できないが、一つのメルクマールとして、転載する。文中に「日本」や「日本人」が含まれて、「ユダヤ人は日本人より凄い」と評価しているところがおもしろい。
我々日本人も他者から学び続けなければ、アラブ・ムスリムのようになってしまうという教訓でもある。

http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP657416


緊急報告シリーズ  Special Dispatch Series No 6574 Aug/28/2016


「反ユダヤ思考に終止符を打ちユダヤ人の成功に学べ―サウジ要人の訪イとサウジ紙の記事―」



先月から今月初めにかけて、サウジのメディアが、異例ともいうべき内容の記事を複数掲載した。アラブ・ムスリム世界にみられる反ユダヤ的思考と論議を厳しく批判し、ユダヤ人に関する通俗的一般化を避けよと、いましめる内容である。コーランにみられるユダヤ人敵視の章句は、特定時期における特定集団に関するものであり、ユダヤ人全体を代表するものとして、一般化してはならない。ユダヤ人に対する盲目的憎悪のおかげで、アラブ、ムスリムは、ユダヤ人の経験と進歩、発展に学ぶことができなかった。このような憎悪は、百害あって一利なしである。以上が諸記事の主旨である。


ユダヤを戒める一連の記事がでるようになったのは、ジェッダの中東戦略・法制研究センター長エシュキ(Anwar Eshki 退役少将)を団長とするサウジアラビア代表団が、2016年7月にイスラエルを訪問したのが、発端である。この代表団訪問を契機として、サウジアラビアイスラエルとの関係正常化問題で激しい論争が展開し、反ユダヤ問題へと論議が広がったのである。代表団とイスラエル側政治家との会見写真も反響を呼んだ。エシュキは、今回の訪問が自分自身の発意であり、サウジ政府関係者のあずかり知らぬことである」と主張した。パレスチナ自治政府の招待をうけて訪問し、そのついでに会ったと述べ、「サウジ王国は、誰の訪問であっても阻止することはしない」と強調している。更にエシュキは、テロとの戦いにおいて、間接的なイスラエル・サウジ協力の可能性を否定しなかった※1。


今回の訪問は、イスラエルとの関係正常化に向けたサウジ側の第一歩とみられているが、サウジの国内外で激しい批判に火をつけた。この訪問を攻撃するハッシュタグソーシャルメディア上にいくつか掲載された。それには、〝正常化反対のサウジ国民〟と称するものも含まれる※2。この批判に応えたと思われるが、サウジ外務省は、エシュキと距離をおき、「アンワル・エシュキのような人物は、我々を代表しておらず、政府のいずれの部署ともかかわりがなく、サウジアラビア政府の立場を反映してもいない」と主張している※3。


確かに否定的声明はでた。今回の訪問は対イスラエル正常化のさきがけという主張を、サウジ政府は否定した。しかしそれにも拘わらず、サウジ紙に、反ユダヤ論議を攻撃する一連の記事が掲載された。このタイミングは決して偶然ではない。イスラエルとの関係正常化を前提とした下地作りのようである。つまり、国民が受入れるための地ならしである。


次に紹介するのは、反ユダヤ論議を攻撃するサウジ紙の記事である。


コーランユダヤ人記述はユダヤ人全体を指さない―サウジ紙コラムニストカータニ


サウジ紙コラムニストのアルカータニ(Siham Al-Qahtani)は、ユダヤ人の性質に関する反ユダヤ的一般化を拒否し、預言者殺し、邪教徒、好戦的、高利貸しといったユダヤ人に関するコーランの記述は、特定時期の特定集団をさしたものであると主張。歴史上いつでもアラブに災難がふりかかると、ユダヤの陰謀として、ユダヤ人のせいにしてきた。自分達の行動能力に起因することなのに、アラブはいつもスケープゴートを求めてきたと指摘、「アラブに対するユダヤの工作」は存在すると思うが、アラブがしっかりしていれば、そのような工作が効を奏することはないと強調、次のように主張した、


「アラブ文化の(集団)記憶は、今日に至るも、ユダヤ人に対するステレオタイプのイメージを持ち続けている。なかには、このステレオタイプコーランの記述の産物とみる者もいる。(ユダヤ人を)預言者殺し、邪教徒、好戦的、高利貸しとして描いた個所である。しかしながらユダヤ人のステレオタイプをつくりだしたといって、コーランを非難するのは、妥当ではない。コーランが特定の人々について語る時、それは特定の時代における(この人達の)行動と思考に準じたものである。つまり、この記述は、(特定の)状況における(特定の行動)の文脈でのみ妥当なのであり、特有性のある性質と普遍性を示唆しているわけではない。人殺しや好戦屋がいれば、預言者や義の人もいる。更に、当時イスラムは、ムスリムの男性とユダヤ人女性の結婚を許していた。〝ユダヤ人種〟が特有且つ普通的欠陥を持つのであれば、イスラムムスリム男性の品格と良き特性を保持するため、このような結婚を禁止していたであろう


特定の状況下における出来事が、どのようにしてステレオタイプとして固定したのであろうか。それは、昔の(コーランの)注解者達の主観的評価の結果と言える。彼等は、故意かどうかは別にして、この状況的現象を独特な普遍的特徴に変質させ、アラブの記憶にステレオタイプユダヤ像を刻みつけたのである。宗教哲学をつくりあげた初期の宗教家達の影響が、歴史、地理そして政治によって、度合いを強めたのである。


アラブの文化的継承のなかには、ユダヤ人の歴史が〝陰謀〟まみれという(集団)記憶がある。サキファー(Saqifah)の出来事から※4、ウスマン(Uthman bin `Affam、第3代カリフ)の暗殺、イスラム・カリフ統治の没落そしてパレスチナの占領に至るまで、なにからなにまで背後にユダヤの陰謀があったとされる。アラブ・ユダヤ関係に関するアラブ原理主義も御多分に洩れず、ユダヤの陰謀と結びつけよう我々に教えてきた。


アラブの記憶には、この思考様式が防御機構というか、一種の逃避のトリックとして、組み込まれている。何が起きても、これが(アラブによって)責任逃れの便法として使われてきたのである。私は、アラブに対するユダヤ人の工作がないと言っているのではない。しかし、このような工作は、アラブがしっかりしていれば、成果はでない。つまり、アラブの無知、対応力の欠落、不和分裂がなければ、処置できることなのである。アラブの主敵はアラブ(自身)なのである」※5。


ユダヤ人に対する敵意と憎悪を捨てなければならない―同コラムニストヒジャジ


コラムニストのヒジャジ(Yasser Hijazi)は、2本の記事で、アラブの文化的制度的伝統にみられるユダヤ人に対する憎悪と敵意を捨てるように呼びかけた。その伝統は、ユダヤ人を悪魔的存在として扱う。ヒジャジは、ユダヤに対する病的嫌悪症との戦いに、積極的な役割を果せと呼びかけ、次のように主張した。


「私は、ほかのアラブの子供と同じように、ユダヤ人に対する憎悪と敵意にみちた環境のもとで、育てられた。それは、単にアラブ・イスラエル紛争に起因しているのではなく、紛争で〝我々の土地〟を占領しているからでもない。それは、ユダヤ人を悪の根源と認識することに由来する。〝ユダヤ人はアラブのみならず人類の敵である。ユダヤ人は人間の悪をすべて備え、それで凝り固まっている。彼等は心の底から腐りきっており、人に嘘をつき、裏切り、欺くことばかりしている。人類特にアラブを傷つけるためなら、何でもする悪人共〟という認識である。この一般化の責任は一体誰にあるのだろうか。個人の悪や特定の歴史的事件をその集団特有の悪とみることはせず、現実的な判断のできる能力が必要だが、それがどれ程損われたことであろうか。


学校で、テレビで、或いは人の集まる場で、そして又金曜説教の場で、ユダヤ人は呪われ罵倒され、子孫諸共中傷される。宗教上彼等は〝アッラーの怒りを招いた者〟である※6。我々は、人類全体の罪を負う元凶として、ひとつの共同体にそっくりその責任をおっかぶせてきた。その一般化の間違いを考えず、それが如何に深刻な問題であるかに気付かなかったのである。もっとよく考えるならば、このような認識は、スケープゴート役の共同体を踏みつけにし、そのうえでの自己の共同体のみの究極の救済、を意味する。ユダヤ人はすべての罪をなすりつけられ、人類全体のスケープゴートにされるのである。何とも勝手な話である。アラブ・ムスリムの文化では、ユダヤ人はサタンと同一視される。何故ならばサタンは形而上的存在であり、物かひとによる形而下的表現を必要とする。つまり、アラブとイスラムの認識には、ユダヤ人がこの超自然的存在(サンタ)の化身となっているのである。


宗教々育では、特にユダヤ教ユダヤ人に対する憎悪、人種主義の教えが執拗に続けられてきた。不幸にして国の教育は、宗教と民族上の人種主義を押しつけている。ユダヤ教の)聖書は捏造で、彼等の宗教は偽物、宗教学者やラビは腐敗しきっていて、陰謀やら悪事の話しか教えないとか。金持は高利貸しで、貧乏人は油断のならないスパイであり、科学者は、皆殺し法を考案する殺人鬼、と教えるのである。ところが(不思議なことに)ムスリム・アラブとは区別されるユダヤの陰謀を誰も摘発しことがないのである。アラブ・ムスリムが、その恐怖に苦しめられているという話だけである…この憎悪は、パレスチナ占領に先行する理由が何かあるのか。この一連の歪曲は、弱い敗者を制圧した勝者の思考に起源を持つのか。それとも、この歪曲を培養したのは、宗教的民族的少数派に対するアラブ・ムスリムの憎悪であるのか。


アラブ・イスラムの見解によると…ユダヤ人は永遠に地獄に落ちたままであるが、ほかの共同体は、アッラーから赦しを得る機会がある。進歩発展を遂げている現代の世界で、この種教育が文明的な教育と言えるのか。現代の世界には、さまざまな学問、文化、歴史がある。しかるにその知見の典拠が、昔の宗教テキストの解釈にしかない時、一体どうすれば、これが文明的教育或いは教養と言えるのか。


イスラエル人やユダヤ人或いはユダヤ人の組織を考えてみよう。彼等のなかには、イスラエルに反対し、パレスチナ人の権利を擁護する人達も勿論いる…しかし我々は、ユダヤ人を赦すアラブ人を見たことがない。つまり、ユダヤ人をほかの人々と同じような血のかよった人間、とみることができないのである。(我々のなかに)変質的ユダヤ嫌悪症の放棄を求める者はいないのか。ユダヤ人が、ほかの人間と同じように、善いユダヤ人もいれば悪いユダヤ人もいる、当り前の人間であることを、公然と表明できる人はいないのか。アラブ・イスラムの組織や機関のなかに、ユダヤ人を擁護し、ユダヤ人に対する誹謗や阻害の中止を求めて立上るところはないのか。人の顔をしたサタンというイメージばかり。反ユダヤを扇動し排除する思想を一掃しようとする機関はないのか。


人を人として扱い、宗教的歴史的闘争の責任を認める。誰が一歩踏みだすのであろうか。他者の権利に関して犯した間違いを誰が最初に認めるのだろうか。誹謗、人種主義そして利己主義を世俗の関心事や思考から一掃しようとするのは、誰であろうか…世界は他者の排除を絶対に受入れず、容認することもない。我々の文化、宗教及び体制にくいこんでいる人種主義と宗教的民族的憎悪、闘争を除去しなければならない。これが、世界との共存の第一歩なのであり、巨大な溝を埋める端緒となる。周知のように、(我々に敵意を抱く)西側過激主義によって、この溝が使われているのである。我々の(この過激主義への)対応は、まともにぶつからずに距離をおき、正式に多元的論議の必要性を認め、その論議を以て接触することである。つまり、原典の独自解釈とそれにもとづく行動をとる世界を、受入れることである※7。


ユダヤ論議の転換が共存への第一歩―同ヒジャジ


ヒジャジは、8月6日付記事で、反ユダヤ論議の排除が、テロリズムの源を枯渇させ、西側の反イスラム論議をなくす第一歩とし、次のように論じた。


「極く少数の人間がやったことに対して、アラブ・ムスリムにテロの全体的責任を問う(ドナルド)トランプや同類の欧米人種主義者の態度に、我々は反対する。それと同じように我々は、他の宗教共同体について一部の人間の敵意と闘争心に対して、例えばイスラエルのネタニヤフ首相と国防相のような国際法廷で裁いて然るべき者の言動があるからといって、その共同体全員の性質に帰すことはできない。ネタニヤフがユダヤ教を代表しているわけではない…(ISイスラム国)指導者アブ・バクル・バクダディがイスラムを代表していないのと同じである…。


我方の学校の教科、衛星放送、モスクの説教壇では、他者/ユダヤ人について何と言っているか…ユダヤ人とイスラエル国民の区別をしているのか…。


我々は、我々を糾弾する世界と戦うことはできないし、その世界を変えることもできない。しかし我々は我々自身を変えることはできる。少なくとも、我々の名誉を汚すもとになっている(ネガティブな)思考から、少なくとも距離をおくことはできる。これは正常化と態度の軟化、或いは国際的に認められた境界内にパレスチナ国家を建設するための交渉放棄、を意味するのではない…二つの宗教が政治紛争を解決できるわけではない。紛争はイスラムユダヤ教との紛争ではなく、(正当な)土地の所有者、権利の保有者と占領者、戦争犯罪者との争いなのである。


我々或いはアラブの公的機関の幹部は、他者誹謗の思考、論議を放棄することができるのであろうか。そのためには、既存の法律、学校の教科、モスクの説教と説教壇そして(テレビ)チャンネルから、人種主義の残滓をまず払拭しなければならない。これまでとは違う、国際関係の諸原則と人権をベースとした思考、論議をつくりだすためには、それが必要である…かくすることによって、人種主義の汚れなく他者/ユダヤ人について語る建設的且つ知的論議が生まれる。裏切り、悪徳、欺瞞の象徴になることなく、人間として、生きる権利を持つ人として考える。これが筋道である。


これが、我々の求める共存への第一歩となる。我々が望むのであれば、これがテロリズムの源を断つ第一歩である。それは、ヨーロッパの右翼やトランプのような人間を抑制することにもなる。文化が世界に対して敵意を抱かないなら、世界はその文化を尊敬する」※8。


ユダヤ人の経験と成功に学べ―サウジの識者マトロウディ


Al-Riyadh紙では、マトロウディ博士(Ibrahim Al-Matroudi)が、2016年7月21日付で、たといユダヤ人が敵であるとしても、ユダヤ人に対する敵意を克服し、彼等の経験と成功に学べと、次のように主張した。


ユダヤ民族は、社会から疎外され孤立していたが、それでも機敏にいきのびた。そして孜々としてその将来を築き、その子孫は科学、哲学、経済の分野で世界の頂点をきわめるようになった…。


憎悪は人間を盲目にする。バランスの欠けた判断力しか与えない。そのような人間は、自分の記憶をたどると時、ライバルの欠点や短所のあら探しに終始する…憎悪で凝り固まっている者は、マイナスの成果しか得られない。それは、相手の経験や長所から学ぶ能力を放棄することである。現代に適応する知恵と技を学びとれないということである。敵から学ばず、それを自分のために役立てることをしない。世界から脱落し、低迷の渕に沈み、過去の残骸を眺めつつ暮すことになる。


私が触れたいのは、相手の対応と経験である。私が参考にしたいのは、相手の現代史である。相手とはユダヤ人のことである。今日の我方の文化を調べると、ユダヤ人に対する呪いと罵倒しかない。非難の繰返しと欠点のあら探しに終始しているのである。誰も彼等の経験に触れようとしない。いじめられ迫害される状況から脱した経緯を見ようとしない。ムスリムのなかで、現代のユダヤ人について、(我々の見解)を変え、孤立を脱して世界をリードする国に発展したことを指摘する者は、ひとりもいない。


自分のコントロール下にあった者が、数十年後には、世界のリーダーになる。そうなったら皆どう思うであろうか。〝連中は悪魔だ〟というのだろうか。それとも、別の見方を示すのだろうか。つまり、ジンミー(庇護民)の立場にあった者が、如何にして逆の立場になったのか。その経緯や生きざまを考えるかどうかである。


ユダヤ人とそのアメリカ移住について、アメリカの建国の父達は警告を発した※9。しかしそれが、名声を築きあげるうえで、阻害因にならなかった。我々は、彼等が払った多大なる努力を忘れて羨ましく思う。この鈍感さは渡し難い。彼等から学ぶことなど全然考えない。成果をあげた理由を調べようとしない。実際のところ我々の言語学者達は、死語になりかけていたヘブライ語の復活に驚嘆しているのである。彼等が(現代)ヘブライ語をつくりあげた手腕は、見上げたものである。それどころではない。彼等は確固たる地位を築きあげ、世界は我々ではなく彼等の意志に耳を傾けるようになった。


言語の死滅と共に民族そのものも死滅しかかっていたのに、彼等はその伝統、価値観そして理想をしっかり保持したのである。普通なら言語の死滅と共に民族も滅ぶ。しかし、そうはならず、古代の希望を人々の心にともしたのである。我々はここから何か学ぶ必要はないのか。(この民族の)近現代史を詳しく勉強する必要はないのか)。



ユダヤ人は日本人より凄い


マトロウディは、アラブが遥かな日本の発展と経験に目を奪われ、地理的文化的に身近なユダヤ人の経験を無視したと批判し、次のように続けた。


「近代のユダヤ人は、過去の場合は言うまでもなく、世界中の国から苦しめられ、特別地区(ゲットー)に隔離された。まわりの人間は彼等を躍気になって払いのけ、彼等のための永住の地を探した。社会から孤立し隔離されながらも、生き続け未来を築き続けたのが、この民である。その子孫は科学、哲学、経済の分野で世界のトップに立つまでになった。


これが事実なら、押しこめられていた暗いトンネルから、どのようにして自力脱出ができたのか、何故彼等が調査の対象にならない。何故日本の事例だけに注目するのか。ユダヤ人の事例がもっと身近にあるではないか。かつて彼等の状況は、今日の我々の状況に似ている。日本の近代史より彼等の新しい歴史に注目するのが本筋ではないか。彼等は、昔も今も我々の敵なのである。


日本の復興に注目する余り、我々は身近な事例から目をそらした。過去も現在も、我々の恐るべき敵であり身近な存在であり、居眠りからさましてくれるのに、である。我々は目を見開いて、彼等の足跡を見ることができないのか。


ユダヤ人は初め恵まれなかったが、やがて我々に恐怖を及ぼす程成長した。彼等の経験から学ぶため、中立の姿勢をとり敵意を忘れることができないものか。その存在が危険というのなら、危険がつくりだされたもとをつきとめ、研究するのが筋ではないか。この民は、各地に分散する少数派であるにも拘わらず、グローバルな世論形成に参画し、やがて自己の存在を弱める如き決定にノーと言える力をつけた。


ユダヤ民族は、日本より凄い適切な計画、努力、管理のおかげである。現代の世界で、宗教ルールを振りまわしても、説得力はない。権益や暮らしがもとになる。ユダヤ人はこの論理を追求し、実績をあげ、我々にショックを与えた。我々の多くが羨ましく思っている現代の世界は、努力し苦労しないなら、報いてくれないのである。これが鉄則である。これに従って、頑張れば頑張る程その国の影響力は増す。ユダヤ人はこの鉄則を守り、認知度を高めた。


ユダヤ人国家の状況を考えると、ほかの誰よりも我々が一番恥しく思う。我々は、その国が繁栄し進歩し、グローバルな文化の形成に寄与している事実に目つぶってきた。その国について我々の間で話をすると、世界の思想に悪の種をまく脅威が話題になってしまう。卑怯者の習性がこれである。自分と対立する立場にある者を、こんな思考で片付けてしまうのである…。


ユダヤ人達は、世界から疎外されていたが、孤立を脱し、我々にとって一番ショッキング且つ屈辱をおぼえる存在に発展した。我々ができないことを成し遂げた。人口数、地理的領域そして天然資源が格段に違うのに、結果をだした。どうすればそうなるのか、疑問を抱いて然るべきである。


アラブと違って、ユダヤ人は時代の論理と精神を理解している


ユダヤ人は、競争心旺盛な人達である。人生は競いあいである。彼等と我々の違いは、世界が彼等の宗教を愛し、我々の宗教を憎悪する点にはない。違いは、時代の論理と精神を理解しているかどうかである。我々は、聖職者の一団に率いられている。世の中で起きていることを宗教のプリズムを通して眺め、宗教上どう対応すべきか、と考える人達である…聖職者の多くは、競争が宗教間ではなく国家間でおきていることを全然理解できないでいる。


我々の状況は、新しい世代が登場するまで変らない。ほかの国のように行動し、他者の経験にひるむことなく、むしろそれに学ぶ世代である。宗教と神信心が他者とのまじわりと信頼関係を妨げることはなく、むしろ他者のアイディア、ビジョン、理論を積極的に評価する。他国とはそこの主要産業と競い合う。そのような世代の出現を待たなければならない。その時聖職者の多くは、ほかの国々が我々に関する見解を変えつつあることに気付き、後悔するだろう…彼等は住民を洗脳し、これら諸国民が我々の宗教―人間性と精神と論理の宗教と称するーと問題でありなどと信じこませているのである…」※10。


[1] エシュキは「我々が直接治安協力ができるとは思わない。しかし、アメリカの治安機関を介した治安協力は可能であろう」と言った。Shorouknews.com, July 26, 2016.
[2] アブダビの皇太子アドバイザーは、今回の訪問をツイッターで非難し、サウジの公的機関を問わず民間からも反対声明をだすべきであると主張した。Twitter.com/Abdulkhaleq_UAE, July 22, 2016. パレスチナ諸派は訪問に抗議し、サウジにイスラエルとのあらゆる形の正常化を拒否するように求めた。 Al-Quds Al-Arabi (London), July 24, 2016. サウジのジャーナリストジャマル・カショギも訪問を非難し、サウジはこの訪問を必要としない、と論じた。Al-Quds Al-Arabi (London), July 25, 2016. サウジの公式報道は、訪問が公式に認められたものとの説を否定し、「エシュキは御都合主義者で、政府を代表していない」と報じた。例えば次を参照 'Abdallah bin Yahya Al-Mu'allami in Al-Madina (Saudi Arabia), August 8, 2016. ほかにも、「サウジアラビアは対イスラエル闘争が〝重大〟且つ〝存在にかかわる〟問題と認識」し、「占領が続く限り、関係正常化は不可能」と論じる記事がある。例えば次を参照。Hamed Al-Mane' in Al-Watan (Saudi Arabia), August 9, 2016.
[3] Al-Hayat(London), July 27, 2016.
[4] アブ・バクルがカリフに選ばれる前の、預言者ムハンマドの後継をめぐる論争をさす。
[5] Al-Jazirah(Saudi Arabia), July 23, 2016.
[6] この章句は、コーラン(1:7)にでており、ユダヤ人に関するもの、と伝統的に解釈されている。
[7] Al-Jazirah(Saudi Arabia), July 30, 2016.
[8] Al-Jazirah(Saudi Arabia), August 6, 2016.
[9] これは。独立宣言起草者のひとりであるベンジャミン・フランクリンが、1787年フィラデルフィアで開かれた憲法制定会議の合同に、ユダヤ人のアメリカ移住に反対し警告を発したという内容をさすようである。フランクリン文書は、1935年編集のナチの「ユダヤ問題ハンドブック」にのせられたナチプロパガンダのひとつ。詳しくは次を参照。 MEMRI Special Dispatch 175, "On Antisemitic Statements Attributed to America's Founding Fathers," January 12, 2001, http://www.memri.org/report/en/0/0/0/0/0/0/411.htm .
[10] Al-Riyadh(Saudi Arabia), July 21, 2016.

(転載終)