ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

中間休みとして...

重苦しかった読書の一週間がようやく終わり、次の用件に集中する時が来ました。こちらも、責任が伴うために大変と言えば大変ですが、気分はずっと穏やかです。
昨晩は、シンガポールの友人からメールが届き、この夏に日本に来て滞在することになったとの由。予定がなんとか調整できて、一緒によい時間が過ごせるといいのですが。
それより何より、友人も書いていたように、ミャンマーのサイクロン災害と中国・四川の地震災害の件は、速やかに救援復興作業が進むよう祈る他ありません。何かが発生した時に慌てて動くのではなく、普段からの備えが重要だということです。それにしても、ミャンマー政権は何を考えているのでしょうか。十数年前のマレーシア赴任以前から、日本のビルマ留学生会が軍事政権批判を繰り返していたのに。
また、今朝の朝刊には、イスラエル建国60周年とパレスチナ問題が大きく掲載されていました。いつも思うのですが、NHKでも朝日新聞でも一般向けジャーナリズムでも、どうも日本の報道はアラブ・パレスチナ寄りのような印象があります。イスラエルに力で虐げられた貧しくかわいそうな人々、という書き方なのです。一方で、イスラエル側の文献を見ると、トーンも格調もまるで違い、アラブ人との関係にももっと配慮ないしは考慮が働いているのがうかがえます。
イスラエルに旅行する前は、どちらの言い分が本当なのかわからなくて、とても混乱していました。中立の立場をとろうとすると、ますます何が何だかわからなくなってくるのです。けれども、イスラエルを実際に訪問していろいろな地区を見てみれば、すぐに(ああ、こういうことだったんだ)と判明しました。一部に、マレーシアのある地区と雰囲気がそっくりの場所もあったからです。
私達が連れていただいたアラブレストランは、アラブ系クリスチャンの経営するきれいなお店で、明るく清潔な感じでした。つまり、アラブ系ムスリムのレストランではなかったのです。ある場所で、バスからのぞいていたら、緑の旗を持ったムスリムグループが声を荒げて何かに抗議していました。ユダヤ人のバスの運転手さんが、日本人ガイド氏に「あれは、ジハードをやっているんだ」とヘブライ語で言っていました。ガイド氏はこの道数十年の大ベテランですが、「日本からの報道関係者や日本基督教団聖公会の一部は、洗脳されているのではないか。イスラエル内部の事情を全く理解しようとしない。政治面しか見ていない。だって、イスラエル内部に入ってきて無差別に人殺しをするんですよ。ガザ経由で武器をイスラエル内部に持ち込むから、安全のために壊すしかないじゃないですか。自分も、イスラエルに来てヘブライ大学で歴史を学び、初めて知ったことも多かった。日本で聞いていた話と全然違った。パレスチナ問題は、アラブ世界が政争のために未解決のままわざと放置しているんだ」などとおっしゃっていました。
言い分はともあれ、60年間も難民生活を送っている人々など、世界を見渡しても珍しいのではないでしょうか。マラヤ大学のマヤ先生(パキスタン系シンディ出身の二世でカトリック)によれば、「ヒンドゥ系シンディの誇りは、いつまでも難民をやっていなかったことなのよ。着のみ着のまま一文無しでインドへ逃げ出しても、しばらくして落ち着くと、すぐに女性は、縫物や編み物をしたりお菓子を作ったりして、生計の足しにしていたの。だって、他人からの援助物資で生きていくなんて、恥ずかしいことじゃない?だから、子ども達は何とか学校へ行き、女性達は家の中を整えつつ暮らしの糧を貯え、男性達はどこでも仕事を探しに出かけて行ったの。落ち着き先の国が決まったら、すぐに難民キャンプを出て行ったのよ...。」
そうなんですよね。土地とアイデンティティにいつまでも執着して、それ以上の価値を台無しにしてしまうか、それともさっさと見切りをつけて新しい人生を切り開くか...。また、昔は、ユダヤ人の国をウガンダに建設する話もあったそうなのですが、仮にそうしたとしても、アフリカ諸国との間でまた悶着があったことでしょう。いったい、二千年も自分の国を持たず、世界各国に流浪の民として仮定着し、その上にひどい差別や抑圧や虐殺を経験したにもかかわらずたくましく生き延びている民など、他にあるでしょうか。決して人口も多くはなく、周辺には強い諸民族に囲まれていたのに。しかし、それら諸民族は今や滅び、ユダヤの民だけが生き残っているのです。もっとも部分的には混血しているので、純粋な定義は難しそうですが。
ところで、岡部伊都子氏がお亡くなりになりました。2008年4月29日、85歳でした。テレビで拝見した時には、体が弱そうに感じられましたが、芯のすくっと通ったはんなりとした話し方の方だなあ、と強い印象を受けました。日本基督教団の洛陽教会に所属されていたとは、初めて知りました。

(追記)イスラエルパレスチナその他のアラブ世界での各学校教科書の分析を見つけました(Institute for Monitering Peace and Cultural Tolerance in School Education (http://www.edume.org))。ざっと目を通したところでは、なかなか興味深く、しかもかなり深刻なデータが表示されています。
教科書分析の研究は、ずいぶん前からマレーシアやインドネシアや日本のものを見てきましたが、このように目標(データの正確さと完全さ、地図やグラフは最新で正確かどうか、他の人々の貢献も認めているかどうか、平等水準が適用されているか、政治的宗教的議論は正直かどうか、偏見や誤解を生みださないような対応がなされているか、自由、尊厳、友好、人権を促進するかどうか)を明確に設定し、比較的長期に及ぶ継続的な調査は、初めて見ました。私の卒論は、大正時代の国定国語教科書第三期がテーマだったので、非常に参考になります。
この地域内では、イスラエルの方に高い評価が与えられがちですが、パレスチナの教科書にも、改善された点などをできるだけ公平に見ようとする努力がなされています。しかし、イスラーム的観点のみで世界史を教えると、我々の感覚からはかなり違和感があります。某国の教科書では、西洋はとにかく悪と決めつけ、世界中に真の宗教であるイスラームを広めようとしているのだそうです。穏健かどうかという尺度で見られがちなイスラームですが、本当は、より広い視野から人々を高める思想を有しているかどうかが基準になるべきではないかと思います。