ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『異端者と呼ばれている私』(2)

昨日の「ユーリの部屋」の文末で、イスラエル建国/独立60周年記念日に触れました。ユダヤ暦によれば今年は5月8日に相当するのだと、雑誌『みるとす』(2008年4月号No.97, p.50)で読んでいました。しかし、一日中、知り合いのイスラエル人の先生にお祝いの言葉を送るかどうかで迷ったのも事実です。というのは、イスラエルが喜び歓喜に踊る時こそ、危険も隣り合わせのように感じたからでした。結局、昨晩かなり遅くにイスラエル国内のまずまずの無事を確認してから、一度は削除した文面を作り直して、先生に送信しました。
今朝、メールボックスを開くと、すぐにお返事が届いていました。とても喜んでくださいましたが、やはり現状では公然と日本でお祝いするのは難しいとのこと。
東京では、イスラエル大使館がホテルで関係者を招待して祝賀会を開いたそうですが、公式なパーティーとしてなら可能でしょう。でも、イスラエル国内でも複雑な民族的宗教的政治的な問題を抱えているのに、対外的に根深い敵意とどう向き合うのか、想像しただけでも身の毛のよだつような思いがします。
ご参考までに、メムリ(http://memri.jp)から、関連記事を2本紹介いたします。

・2008年5月2日(No.1911)
ハマスの提案するタフディアフ(沈静)は一時的な戦術 ―マシァル局長のテレビインタビュー―」
アルジャジーラTVがハマスの指導者マシァル(Khaled Mash’al)のインタビューを2008年4月25日に放映した(http://www.memritv.org/clip/en/1750.htm)。ハレド・マシァルのMEMRI TV収録分は次を参照(http://www.memritv.org/subject/en/507.htm)。

・2008年5月7日付(No.1915)
イスラエル建国60周年を取り上げたハマース・テレビの子供向け番組 」
パレスチナイスラム過激組織)ハマースのアルアクサーTVが毎週放送する子供向けショー番組「ムタムヤズーン(Al-Mutamyazoon)」の今週放送分で、操り人形の鳥ククとひよこのフフが登場しイスラエル国家(独立)60周年を話し合った。ククとフフは、パレスチナ人がテルアビブ、ハイファ、アッコ、ジャッファ、アシュドッド、その他のイスラエルの都市に「勝利者として帰る」と繰り返し宣言した。
以下は、2008年5月2日アルアクサーTVで放映された、このショーの抜粋である(http://www.memritv.org/clip/en/1759.htm)。
アクサーTVのメムリTVページは、http://www.memritv.org/content/en/tv_channel_indiv.htm?id=175

ところで、十日以上前のことですが、『ヘブライ語の父 ベン・イェフダー』と『ユダヤ人から見た新約聖書』(いずれもミルトス出版)をノートを取りつつようやく読み終わりました(参照:2007年9月29日・12月13日・2008年3月29日・4月8日付「ユーリの部屋」)。一言で感想を述べるならば、不撓不屈のユダヤ魂とその卓越性に最/再敬礼、です。
ベン・イェフダーを知るなら、恐らく、並みの程度で言語学者を名乗ることが恥ずかしくなるでしょう。聖書やラビ文献など、宗教語としてのみ使われていた古代ヘブライ語から、アラビア語やロシア語も含むありとあらゆる資料を駆使して現代生活に合うような造語をしたのですから。しかも、フランス語、ドイツ語、英語で解説をしたヘブライ語の数巻に及ぶ辞書まで作ったのです。
当時のパレスチナにおける正統派ユダヤ教徒の物の考え方を知ることができただけでも有益でしたが、それ以上に、アラブ人のあり方も興味深く思いました。現在のアラブ・ムスリムユダヤ人に対する憎悪や敵愾心に満ちた態度とは、いささか異なる描写がありました。もっとも、当時のアラブ人は、伝統的な村で、ほそぼそと自然に沿った暮らしを営んでいたようです。パレスチナに住むユダヤ人の方も、国外ユダヤ人の送金によって宗教的アイデンティティの保持とささやかな商売をするようなつましい生活だったようです。従って、よくイスラエル批判で決まり文句のように繰り返される「昔は平和に共存していた」という主張は正しいとは言えず、正確には、疫病の蔓延する荒れた土地で、ほとんど互いの交流もなく、それぞれに分かれて暮らしていた、というのが実態のようです。
現在のイスラエル国内の人口は730万人で、内訳としては、ユダヤ人が550万人、アラブ系が150万人、残りはその他とのことです。出生率の差異や宗教的価値観の違いなどに基づく、公然とは言えない問題が絡み合っているため、日本の左派知識人やパレスチナ寄りのクリスチャン達が、圧倒的軍事力で制圧するイスラエルを非難しつつ‘平和共存’を訴える主張は、なかなか素直に呑めないだろうと思います。
さらに、後者の本からは、新約聖書の研究に関して、この当時(1956年)、リベラルなプロテスタントの聖書学者とユダヤ系聖書学者との間で、非常に率直な知的交流と一定の成果の兆しがあったことを学びました。この著者は、リベラルなプロテスタントを誠実で正直だと高く評価しているようです。確かに、教義や自己の立場に固執する態度からは、開かれた知見が得られる機会を失うでしょう。それはともかくとして、では、ムスリム学者とキリスト教学者の間で、同様の成果が近い将来、見込めるのでしょうか。ある憶測によれば、もし可能だとしても、どうやらまだ数十年はかかる見通しだそうです。
さて、まだ読み続けているJessica Stern氏の『神の名におけるテロ』(拙訳)ですが、上記に関連して、最初に読んだ時から数年たち、聖地の歴史についての章の理解が自分なりに深まったことに気付きました(pp.85-106, 321-324)。2005年9月頃は、読もうとしても、地名や団体名の位置づけなど、何がなんだかわからず、結局は飛ばし読みしましたので。やはり、2007年3月のイスラエル旅行で現地を確認できたのは最大の収穫でした。世界中の人々が注視し続けてきた歴史的な場所ですから、ここを無視して込み入った国際関係などわかるはずもなく、一神教理解も、誰かの主張や論に寄りかかるような、いい加減なままだったでしょう。
さてさて、ようやくここでNonie Darwish氏の『異端者と呼ばれている私』(拙訳)に関連する第二弾の序幕に入ろうと思います。当初の計画(2008年5月5日付「ユーリの部屋」)を少しずらして、まずは、同じくエジプト出身の元ムスリムのクリスチャンという男性の本から、概略を述べる予定です。Nonie Darwish氏の著作よりも一回り小さくページも少ない本ですが、個人的な話がほとんどないことを除けば、ムスリムに関して書かれている内容がNonie Darwish氏と重複している点に注目しました。
そして、別の機会に譲ることにしたのは、ムスリム向けの宗教間対話の指南書(Muhammad Shafiq&Mohammed Abu-NimerInterfaith Dialogue: A Guide for MuslimsThe International Institute of Islamic Thought, Washington, 1428AH/2007CE)(注:2007年9月7日付「ユーリの部屋」で言及したもの)と、カトリック向けのイスラーム内部事情の本(Daniel Ali & Robert Spencer Inside Islam: A Guide for Catholics 100 Questions and Answers”, Ascension Press, Pennsylvania, 2003)の比較です。いずれも一般向けであって学術的なものではありません。そして、Daniel Ali氏は、元ムスリムカトリックに改宗した人です。
結局、ポイントとなるのは、ムスリム世界から抜け出したキリスト教への改宗者が、イスラームをどのように語るか、という点です。これまた非常に重いテーマで、頭の理解だけではなく、感情や人間関係も含めて共感する努力をしなければ、なかなかわかりにくい問題かもしれません。ただし、イスラーム圏内のクリスチャンの事情に触れているならば、本当のことを語っているかどうかはすぐに見当がつきます。その点で、私自身、興味を持っているわけです。

そういえば、まだ連休中の旅行の話が終わっていませんでした。私の癖で、何か新しいことを経験した直後は、ある程度時間を置かない限り、興奮状態で細部を書き落とすことが多いのです。また、折を見て書いてみようと思います。では、今日のところはこの辺で失礼いたします。