ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム棄教の背景分析 (3)

おとといと昨日の「ユーリの部屋」でご紹介している論文要約の第三弾に入る前に、中間コメントとして、ここで少し私見をまとめておきます。
書きながら思うのは、宗教戦争や宗教対立を経験した人類史を振り返り、多様な価値観の交錯する現段階では、やはり信教の自由が尊重されるべきだろうということです。「信教の自由」とは、宗教を信じる自由、宗教を信じない自由、宗教を自分で選ぶ自由、宗教を変える自由、宗教を強制されない自由、信仰表明の自由、のいずれをも含みます。これは何びとにも適用される基本的人権なのだという考えを、私は支持します。強制改宗は否定されるべきですが、ムスリムであっても非ムスリムであっても、本来は、自由に信仰を実践したりしなかったりできる方が、遠い将来、イスラーム社会そのものの発展にとって望ましいのではないでしょうか。もちろん、現実には今のところ無理そうだということを踏まえて、非ムスリムに与えられている自由の特権を行使して、あえて述べてみただけですが。
ともかく、信教の自由の起源は、誰が何と言おうと、学問的にも歴史的にも実証できることですが、キリスト教にあります。(ガラテヤ書5:13および、近藤勝彦)『キリスト教の世界政策:現代文明におけるキリスト教の責任と役割教文館2007年)の第三章信教の自由について」(pp.57-72)を参照のこと。)日本の事例を考えてみても、仏教や神道の指導的立場にある方達が、日本史上、「信教の自由」の法的確立のために議論を積み重ねて闘ったという話は聞かないですから...。廃仏毀釈などの宗教騒動はあっても、です。

話を元に戻しますと、当該論文で取り上げられている元ムスリムの各事例は、既に欧米ジャーナリズムではよく知られている話がほとんどで、特に珍しい新奇性のある内容ではありません。ただ、日本語版ブログ上で紹介するのにふさわしいと思った理由は、(1)学問的というよりは、いささか大衆的過ぎる大雑把なデータであること(2)もしもこのような文献があることをまだご存じない方がいらっしゃるのであれば、私のマレー語聖書に関するテーマにおいて、過去にもあった不必要な誤解を避けるためにも、一応は導入説明をしておく必要があるだろうと考えたこと、などです。
恐らく、本論文の筆者達は、今後もこのテーマを何らかの形で発展させてゆくのだろうと予想されます。背景や当座の関心から察するに、イスラーム離れをした人々を直接引き戻そうとするのではなく、ましてや暴力を用いることはせずに、それらの人々が、「いかにムスリム学者の知見からかけ離れた自分勝手な理由で、ムスリムであることをやめたか」について、欠点を指摘したり教育的に論じたりして、あるべき理想的なイスラーム/ムスリム社会を言論の上で構築するのではないかと思っています。

ところで、欧米諸国で高等教育を受けた昨今のムスリム学者の中には、イスラーム棄教を認めはしないものの、死刑や厳しい懲罰や脅しによるのではなく、ゆっくりと時間をかけて‘論理的’にカウンセリング方式で、イスラーム戻し(「唯一の真正なる道」へと改めて導くこと)を試みるのだと主張する人もいます。実際、そういうマレー人学者にマレーシアで会ったことがあります。結局のところ、方法が脅迫的かマイルドかの違いだけで、行き着くところは同じという点が、非ムスリムの私にとって限界を感じるところではあります。
それから、念のため再確認しておきたいことは、イスラームをやめたからといって、必ずしも、皆が皆、クリスチャンになっているわけではないことです。これは、当たり前のようですが重要な点です。往々にして、キリスト教の活発な宣教活動やめざましい聖書翻訳活動の表面だけを見て、何でもかんでもムスリムキリスト教化するための目論見だと単純に結論づける人が、マレーシアだけでなく、日本の研究者の中にも時々見られるからです。よく考えてみれば、また、客観的なデータに基づけば、無神論や不可知論やキリスト教以外の諸宗教に帰依する元ムスリムが案外多いことは、常識的に考えても、自然にうなずけるところであります。
以前、文化人類学キリスト教の改宗と再改宗を調べている研究があるものの、研究調査の正当性に対して、経験上いささか疑わしさを感じる、と述べたことがあります(2007年12月15日付「ユーリの部屋」)が、イスラームについても恐らくは同じだろうと思われます。昨日の「ユーリの部屋」の中にIbn Warraqという偽名ないしはペンネームを使った元ムスリムの著者が出てきますが、この人自身も、自著の裏表紙に、似たようなことを書いています。結局のところ、イスラーム離れをしても、いつかまたイスラームに戻る日が来るかもしれないのです。キリスト教だって同じです。ただし、言うまでもなく、イスラームキリスト教の大きな違いは、信仰共同体から抜ける人が出た場合の内外の対応です。
この論文を読んでいて、ムスリムからクリスチャンになった/戻った女性達の事例が、最も興味深かったです。多分、私にとって一番わかりやすいからだろうと思います。いわゆる「政治的正しさ」は、社会の安定と一方的差別を極力避ける点でも、重要な態度であり認識であるとは思いますが、同時に、あまりそればかり強調されると、不正な言論や事実までもが覆い隠されてしまうという弊害もなきにしもあらずです。「イスラームは平和の宗教です」「イスラームでは女性を尊重しています」と、非ムスリムが称賛しているならばともかく、ムスリム自身が言って回っていると、どこか首を傾げたくなる、という感覚ってありませんか?その点、現在のキリスト教では、原理主義的あるいは非常に素朴な人々を別として、教会や牧師や信徒などの欠点や問題点も、自由に批判したり論じたり、雑誌や新聞でニュース報道したりするなどして、ある程度何らかの形で公開されます。日々の新聞で、心地よいニュースばかりが記事になっているのではないのと同じです。

ただし、同じイスラームからキリスト教への転向であっても、熱狂的ムスリムだった人が、家庭内の不幸をきっかけに熱心なキリスト教伝道者になったというパキスタン男性の事例は除きます。これは、対象が変わっただけで、もともと宗教に対して熱血漢タイプなのだろうと考えられるからです。また、You Tubeを見ていたところ、アメリカに移住したレバノン出身のクリスチャン中年女性が、「いかに中東アラブでは、ムスリムによって暴力や憎しみが唱導されているか」などと、けたたましく力説していた画像が出てきましたが、これも私のタイプではありません。とはいっても、MEMRI(メムリ)でアラブ系テレビの映像を見ている限り、中東アラブ女性は、学者や文筆家など知的なタイプであっても、落ち着いて静かにしとやかに話すというよりは、力をこめて勢いよく喋り続けないと、打ちまかされそうになって自分が保てないのかもしれませんね。そこは同情の余地があります。個人の資質や文化の問題というより、戦乱の多い環境のなせるわざなのでしょうか。

...ということを考えていたら、今朝、アメリカのイスラミック・ブックストアのメーリングリストが届きました。いつも十数冊のイスラームアラビア語関連書が宣伝紹介されているのですが、ほとんどが英語かアラビア語の本です。今日、新たに目に留まったのは、『いかにコーランが聖書を正すか:イスラームユダヤ教キリスト教を愛でつなぐ』("Como El Coran Corrige La Biblia: El Islam Une Al Judaismo y Cristianismo con Amor")というスペイン語の本でした。タイトルを見ただけで、いかにも想像がつきそうですが、現在、「イスラミック・スペインの回復」を目論んでいるムスリムの存在を知るならば、どうしてこのような本がアメリカで出回るのかという背景は理解できます。

やっぱり、聖書学とスペイン語を勉強し続けてよかった!また、おとといご紹介したハートフォード神学校のブラックバーン先生が、アラビア語の専門家でありながらも、基本は会衆派牧師でいらっしゃることを、改めて感謝したい気持ちになります。そういう逸材が、日本でも是非とも必要なのですけれども...。日文研池内恵先生が、宗教的に無関係あるいは中立な立場で、決然と文筆研究活動に勤しみ、弁論を奮っていらしたことが、せめてもの幸いでした。