ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ツィッター文を転載しました(1)

ここ一週間、書きかけの原稿を休めて、ツィッターhttp://twitter.com/#!/itunalily65)に専念していました。関係があるといえばある内容ですし、年内には片をつけたかった問題だからです。自分用にプリントアウトは持っていますが、こちらにまとめて転載し、2011年12月10日から並べ直してみました。かなり大胆に自分の考えを公表しています。長年、こんなことを考え続けてきました。もうそろそろ、発想の転換が必要な時期か、と....。

(以下ツィッターからの転載)
10 Dec 2011
・クリスチャンが楽しそうにしていると、どこか苛立つムスリムがいるらしく、マレーシアでは「クリスマスのキャロリング」に抑制がかかったようだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20111210)。これまた毎年の恒例行事。「ムスリムの国なのだから、イエス・キリストの語を含む讃美歌を歌うな」等々。
・それに抗議すると、「イスラムフォビア」だとか何とかレッテル貼りされる。当事者にとってはたまらない。そのような非対称性こそが、問題の根源なのではないか。また、「イスラム理解が足りない」と叱られ、過去のイスラム科学の栄光やスペイン時代の共存の麗しさばかりが、繰り返し持ち出されてくる。
・申し訳ないが、高校の世界史の授業で、その程度は教科書にも書いてあった。だから、普通に勉強していれば、教えられなくとも一般常識。問題は、現在の状況。今年は「アラブの春」で一時湧いたが、私は密かに(これは混沌の始まりではないか)と思っていた。どうやらその予感は間違っていなかった模様。
←(後注:「アラブの春」については、2011年1月31日・2月21日・4月16日・11月17日・12月3日付「ユーリの部屋」参照)
塩野七生氏が、先日の朝日新聞で簡単にコメント。十字軍に負けたキリスト教世界は、相手を研究して学ぶよう努めた。一方、イスラム世界は自己充足し、相手から学ぼうとはしなかった。これが勝敗を決めた、と。これは、バーナード・ルイスなども以前から述べていることで、新奇性はない。
←(後注:「バーナード・ルイス」については、2010年5月14日・6月15日付「ユーリの部屋」参照)
・私がよくわからなかったのは、日本のキリスト教会の中で、ムスリム同様の主張をする人が一部にいたことだった。これには混乱させられた。一体全体、どういう思考回路を取れば、そういう発言になるのだろうか。例えば、プロテスタント系大学の長が、「ベネディクト16世はイスラムがわかっていない」。
←(後注:「ベネディクト16世」とイスラームの関係については、2009年4月30日付「ユーリの部屋」参照)
カトリックは、13世紀頃からムスリム地域に出て行って、土地の人々のために修道会が奉仕した他、学問修道会などが地域観察をしてイスラム理解に努めていた。その資料蓄積は膨大なものがあり、先頃、マレーシアの代表者がヴァチカンを訪問して驚嘆したとも、報じられた。遅れをとった側はどちら?
←(後注:「ヴァチカン」を訪問したマレーシア代表の驚きについては、2010年8月4日付「ユーリの部屋」参照)
・確かに、1973年の石油ショックによって、日本の中東外交方針がアラブ寄りに変更したことが影響しているのだろう。ただし、外交は外交、研究は研究、学問は学問だ。大学は独自の見解を保持し、ある場合には政府を批判し、誤った舵取りをしないよう、学問研究を通して見張る立場だったのではないか?
イスラームは包括的だというが、結局、理論的には、同化吸収か譲歩混交か劣位服従か離反孤立の道しかないだろう。だから常に曖昧で、ディレンマを抱える。ここはすっきりと、キリスト教ならキリスト教の枠内で論述したい。そこを、切り口によって地域像を描くなどと大きく構えると、変なことになる。
・なぜならば、マレーシアのキリスト教の聖書翻訳一つとっても、それほどまとまっているわけではないからだ。そもそも、移民系と先住民族系が構成する少数派だ。主流ではないのに、何やら活発に外部世界と結びつき、経済的にも繁栄しているのが我慢ならないのだろう。だから、教会破壊、聖書押収となる。
←(後注:「教会破壊」については、オラン・アスリなどの先住民族系教会の事例は、2011年12月現在で、英語版ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)に計40件出てくるので省略。2010年1月11日・7月3日付「ユーリの部屋」参照。「聖書」をめぐる問題については、2008年4月26日・2009年3月2日・4月27日付「ユーリの部屋」参照)
・2年前、久しぶりにマラッカの仏教寺院を訪問した時、外見は華やかな色彩だったが、ひんやりと落ち着いた雰囲気が気に入った。華人ガイド氏が、「マレー人は政府に頼るが、華人は自力でお金を集めて何でもできる」と胸を張った。確かに、誇りと自信があれば、他者否定には走らないだろう。
←(後注:「華人ガイド」氏については、2009年10月28日付「ユーリの部屋」参照)
・そこで、「ムスリムはもっと自信を持つべきだ」と発言したマレーシアのカトリック女性学者がいた。にわかには賛成しがたい。そういう問題ではないのでは?全体主義的な体制、権威に頼るところ、イスラームを守るためなら嘘をついてもいい(?)などという点が、改革されるべきではないのだろうか。
←(後注:Taqiyahという。仏教でも「嘘も方便」とはいうが、意味合いが異なる。)
・この「イスラームを守るためなら嘘をついてもいい」という教え(?)は、数年前に、イスラーム改宗した二十代の日本人女性から直接聞いた。これでは、社会の混乱がおさまらないし、疑心暗鬼が蔓延する土壌を自ら作っているようなものだ。そういえば、マレーシアの首相も「フィトナ」と口走っていた。
・確かに、イスラームとは「服従」を意味するのだから、イスラーム論理としては、それで筋が通っているのだろう。しかし、それがわかったとしても、非ムスリムの少数派にとって、その枠内で共生することは、突き詰めると非常に困難だ。所与条件にもよるが、単に争いのない状態を平和共存と呼べるのか?
・昨晩、スコットランドムスリム・リーダー層の男女5人から、伝統校の高校生達が話を聞いて質問するという1時間ほどのビデオを見た。雰囲気はなごやかで、高校生達もお行儀よく、活発に質問をしていた。ムスリムからの返答は予想の範囲内で、よく喋り、自信に満ちた態度だった。この行く先は?
・英国内のメディアは、イスラーム全般に対して非常にネガティブなので、二世ムスリムは困っているという話も出た。ヒジャーブと二カーブを混同して報道している、などとも。また、ムスリム共同体内でも多様性があり、特定の問題に対して議論が分かれることがある、とも。そのような説明は納得がいく。
・留意すべき点は、これがスコットランド文脈であって、英国国教会の牧師資格を有する大学教授が、当地の1.5%のムスリム人口に対する理解促進を、モデル授業として公開していること。だからこそ、このような場が成立し、意義があるのだ。一方、私の意見は、あくまでマレーシア(半島)文脈からだ。
・先日、マレーシアの教会組織から送られてきた内部資料によれば、イスラーム改宗をめぐる懸案事項が絶えないらしい。信教の自由とはいえ、後先を考えずにクリスチャンからムスリムになる人々が増えた結果、相続や親権などの争いが続出しているという。「こんなはずではなかった」と再改宗の希望もあり。
・マレーシアでは、イスラームへの改宗活動は公に奨励されても、その逆は事実上、法的に規制されている。結婚改宗などでムスリムになった後、幻滅して教会に相談に来る人が多いと資料は述べる。ところが、再改宗はうまくいかないらしい。だから、「宗教選択は賢明にせよ」とまで、書かれてあった。
・これが現実の一側面なのだ。だが、大学の研究者には、そのようなことを真正面から取り上げたがらない傾向がある。反イスラームと烙印を押されるからでもある。しかし、それは自己保身に過ぎない。事実は事実として、淡々と紹介する義務があると、私は思う。外部から見たイスラーム理解の余地も必要。
・内部からのイスラーム研究と、外部からのイスラーム研究の両方が必要だと思われる。その際の一致と不一致には、さまざまな議論があるようだが、いずれにせよ、開かれて安心できる環境の下で、それぞれの立場の見解が複数提出されることが望ましい。「それは偏見だ」と、ある見解を抑えつけるのは疑問。
・全く同様に、キリスト教も内外の両方の見解が必要だ。ある程度まではできているかと思われるが、時々、何か勘違いして怒り出す人もいないわけではない。批判を許さない集団こそが、最も恐ろしいこと。

11 Dec 2011
・マレーシアを見ていて興味深いのは、特権を付与され、歴史的に常に保護される立場にあったマレー人側が、非マレー人や非ムスリムに対して「お互いの違いを認め合って」と述べていることだ。これが逆なら話はわかる。ただ、この発言が何を基としているかに気づけば、納得がいく。だから勉強が必要。
アメリカの草の根レベルで有名なロバート・スペンサーという著述家がいる。彼は、世界のイスラーム動向に注目し、多くの発言をものして論議を呼んでいる。決して過激とは言えず、指摘も全てが誤りとも断定できないが、問題はやり方とアプローチ法だ。物事を単純化し過ぎているところもある。
←(後注:「ロバート・スペンサー」については、2008年5月9日付「ユーリの部屋」参照)
12 Dec 2011
コネティカット州ハートフォード神学校の公式サイトを久しぶりに見る。教授陣に変更有。2005年8月にお世話になった図書館長のブラックバーン博士は、まだいらっしゃる。それにしても、キリスト教神学校として著名だったのに、いつの間にか、ムスリム教授やイスラーム専門家が増えている。
←(後注:「ハートフォード神学校」については、2011年12月13日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111213)にまとめてありますので、ご参照ください。)
・それは、神学校のキャッチフレーズの変遷にも現れている。今は「相違を探り、信仰を深めよ」。多様化した諸宗教状況の中で、いくらアメリカ合衆国といえども、キリスト教だけを押し出すわけにはいかなくなり、1970年代頃から、徐々に変化してきたのだ。もちろん、学長の人選にもよる。
・それはわかるのだが、日本から見ると、何だか調子いいなあ、とも。優遇されているのは、常にムスリム学者やムスリム学生では?昨晩、読んでいたのは、この神学校の修士課程で学んでいたカトリック学生が、「ムスリムに失礼だから」という理由で、論文を却下されたという長い手紙。どうやら事実らしい。
←(後注:2011年2月に投稿されたものでA4用紙5ページに及ぶ。ハートフォード神学校の来歴が記され、これは私独自のリサーチと照合可能。また、カトリックの彼がプロテスタント系のハートフォード神学校でイスラームを研究することが「対抗バランス」として貢献できると暗に推薦してくれたという、2008年7月にハーヴァード大学に転勤されたイスラーム学専攻の女性クリスチャン教授の名前も含まれており、信憑性は高いと考えられる。)
・その手紙がある組織に転載されたのを知った神学校の先生方が、驚いて反論していた。「彼はうちの大事な卒業生です。うちの機関で、学問や思想の自由が拒まれることは、あってはなりません」と。もっとも、その学生は、別の教授に助けられ、あるルートで修士号を取得することはできたらしい。
・問題は、カトリック学生の彼が、「自分はイスラームを信じていない」と、キリスト教系であるはずの神学校で、ムスリムのクラスメート達に言ったことに端を発しているようだ。罵詈雑言を浴びせられ、教授陣からもたしなめられ、すんでのところで、アカデミック・キャリアをつぶされそうになったという。
・噂には聞いていたが、ハートフォードでもこうなのか。「知識のイスラーム化」「知的ジハード」の行く末が暗澹となる。なぜ、それだけの発言が大問題になるのか。イスラーム専門の著名な女性教授と相談したいと申し出たところ、不愉快だからとのことで教授から断られた、とも手紙は述べていた。
・これが事実だとすれば、とどのつまり、ムスリムは環境の整ったキリスト教機関に進出し、周囲からも気を遣ってもらいながら、好きなようにイスラームを研究し、クリスチャンの見解を抑えつけて、学位とキャリア・パスをもらえることになる。共に学び合い、刺激を受け合って相互に高め合う機会はどこに?
・クリスチャン側がキリスト教を学ぶのは当然のことで、それに加えてイスラームも外部から研究する。ところが、ムスリムキリスト教的環境で、イスラームだけを学び、広めるとするならば、一方通行ではないか。しかも、クリスチャンの見解が否定されるならば、キリスト教系神学校の意味はない。
ブラックバーン先生は正直な方で、2005年8月、私の問いに対して、「難しい〜。実はなかなかうまくいかない」と顔をしかめられていた。アラビア語を教え、クルアーンの読み方も教授しているそうだが、会衆派の牧師ならば、半ば当然の反応。クリスチャンの「善意」は、果たして通じているのか?
←(後注:「ブラックバーン先生」については、2008年4月14日・4月16日・4月17日・2011年9月12日付「ユーリの部屋」参照)

13 Dec 2011

・昨日書いた投稿主(ハートフォード神学校の修士課程卒のカトリック男性)をYou Tubeで見た。国際カトリック学生運動の会員で、エジプト方言も含めたアラビア語の他、ロシア語と中国語も話せるらしい。彼の主張はわかるが、これが現在の主流のアカデミアで受け入れられ難いのもわかる。
・なぜかと言えば、一昔前のキリスト教側のイスラーム研究とほぼ同等の見方だからだ。まだ若いので気付かないのかもしれないが、この見解の固定化から脱却しようとして、現在の「イスラーム尊重」「ムスリム感情を配慮する」という学的潮流が生まれた経緯がある。問題は、その方法の妥当性だ。
・彼の危惧するところは充分理解できる。イスラーム理解の一方で、キリスト教的価値観を強化し、家族の復権を唱えている。そうしなければ、自分達のアイデンティティが崩壊する恐れがあるからだ。アメリカのいわゆる保守派クリスチャンの典型的な考え方とも言える。一種のカウンター・アプローチだ。
・ただ、私が最も共感したのは、知的水準の低下の問題。イスラーム理解においては、最初から枠組みが決まっていて、その道に沿って生きることが救済にもつながるために、他者からの批判や逸脱そのものが許されない。すなわち、非ムスリムにとっては、一方的に受容を迫られることになる。
・つまり、自由で開かれた批判精神の養成そのものが最初から除外されているということになる。刺激もなければ、夢見る挑戦も限定される。だから、争いがなく、融和的な雰囲気であったとしても、どこか澱み、停滞するのだ。イスラーム世界で建築や細密画が発展したのも、許された活動だったからこそ。
・ここまでは誰もが考えることとして、今回、新たに気付いた点がある。そもそも、ハートフォード神学校の教授人事が問題だ。彼からの相談を断った女性教授は、20代の頃、カトリックからイスラームに改宗した白人。アメリカでは著名なイスラーム学者として活躍。つまり、キリスト教を否定した人だ。
・素地としてはキリスト教を体験的に知っているのに、改宗してムスリマとして生きている。それは個人の自由選択だが、奇妙なのは、米国のキリスト教系神学校でイスラームのみを教授しているということだ。改宗後はイスラーム圏に移住して、イスラーム神学校で研究や教育活動を続けるならば、話はわかる。
・ただし、ハートフォード神学校側としては、彼女のような経歴の教授を採用することにより、女性の地位向上の証左にもなる。イスラーム圏から外国人のムスリム教授を招聘するよりは、言語面や文化的配慮の点でも楽だという利点があろう。いかにもアメリカらしい、政治的意図の見える人事だ。
・その結果、何が起こったのか。彼女がイスラーム研究とムスリム・クリスチャン関係センターの長に就任した後、ムスリムキリスト教も学び、クリスチャンもイスラームを学ぶという相互学習が成立しているのか?彼の投稿文によれば、イスラーム偏重で、カトリックからの見解は否定されたという。
・この経験に基づき、下記のような意見文が投稿されたのだった。他方、神学校側によれば、「このカトリック学生は、最初から自分の固定観念を持って入学した」という解釈になるらしい。それでは、ハートフォード神学校で学ぶクリスチャン学生は皆、入学後はイスラームに感化されなければならないのか?
・今、ユダヤ系米国人や保守派クリスチャン達が、必死になって言論上のロビー活動を展開しているのは、ムスリム圏からの石油資金によって、このような一方的な潮流が、次々とアカデミアに形成されつつあるからである。「国際イスラーム思想研究所」と名のつく機関が、欧米の諸大学に続々とできている。
・もっとも、客観的に冷静に観察すれば、アメリカの総人口の中で、ムスリム人口は移民と改宗を含めても圧倒的に少数派なのだから、キリスト教の実践は、教会や家庭や社会生活の中で自由にできる。むしろ、アカデミアでは、イスラームムスリムを立てることで、バランスを取る必要もあるのだろう。
・また、過去を振り返れば、19世紀のキリスト教大宣教時代のイスラーム版だと考えることもできる。肝心なのは、そのような学的進出の結果、イスラームの神学自体が変革を遂げるのかどうか、だ。ムスリムは変わらないが、非ムスリムにのみ変化を求めるならば、キリスト教宣教とは質的な差異がある。
イスラーム改宗した日本人女性の話では、それまで人生に悩み、迷ってばかりいたが、イスラームと出会って後、明鏡止水の境地に至ったという。答えはすべてイスラームにあるからだとの由。ここがそもそも、クリスチャンとは思考が根本的に違う点だ。素朴な文字通り主義のキリスト教を除けば、の話だが。
・これまでの長いつぶやきに興味を持たれた方がいらっしゃるならば、ブログに書いた拙考をお読みいただければと思います。 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080906)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080910) 3年以上も前の作業ですが、あの時、時間を取って書いてよかったと思います。

・ご参考までに。代替案としてのムスリムとの対話の一考察。南メソディスト大学パーキンス神学部のロバート・ハント先生によるもの。マレーシアの事例も少し含まれています(http://irdialogue.org/wp-content/uploads/2011/08/jird-issue-7-hunt.pdf)。ただし、マレーシアの代表として挙げられているムスリムは、主流ではありません。
・「主流ではない」というのは、異端だとかマージナルという意味ではなく、進歩的で新しい考え方をしているので、西洋や非ムスリム社会には受け入れられやすいものの、地元の多数派ムスリムの考えを必ずしも代表しているのではない、という意味です。
・下記のイスラーム改宗した女性教授を、You Tubeで初めて見た。お名前はずっと前から知っていたが、話し方を聴くことはなかった。何と言うのか、いろいろな場面でさまざまな側面を見せる人だと思った。笑い方は、下町のおばさん風で驚いた。彼女の書いたものは、珍しいから目立つのだろう。
・大変にわかりやすいが、換言すれば、内容のレベルではなく、白人の女性改宗者としての新鮮さが、アメリカ社会への貢献として高く評価されているのだろう。特に狭い考えの持ち主のようには見えなかったが、神学校でのクラスメートとの人間関係や雰囲気や発言の仕方などが、彼の問題とされたのか?
・率直に言えば、善し悪しではなく、どの宗教を信奉するかによって、個人や集団の特徴が異なることは確かなようだ。両者をYou Tubeで見比べてみて、カトリックの神学生だった彼の不満や懸念もわかるが、ムスリマ教授の立場も、わからなくもない。本来、理想的な対話が成立するはずだったのに。
・ヨーロッパよりもアメリカの方が、ムスリムにとって自由度が高いそうだ。統計によっては、アメリカのムスリムは、むしろ好意的に遇せられ、活動を助けてくれる非ムスリムの協力者も少なからずいる、とも述べていた。「差別」「偏見」などと訴えれば、かえって逆のプラス効果がもたらされるのか?
・だとしたら、イスラーム学の環境で、自分の発言を抑圧され、不愉快な思いをしたカトリック男性の立場はどうなるのだろうか?聖書文献の批判的研究と同様、クルアーンの批判的検証もすべきだと、彼は主張したが、受け入れられなかったという。これも一種のアファーマテイブ・アクションだと考えられる。
・結局のところ、話はこういうことらしい。長年、訓練された宣教師をイスラーム地域に送り続けたハートフォード神学校は、ムスリムキリスト教を必要としていないことが判明したので、1950年代初期から方針を変更した。ムスリムに奉仕するより、イスラームをあるがままに受容しようという方向へと。
エドワード・サイードの『オリエンタリズム』がもてはやされていた頃、彼の怨念に満ちた反西洋言説を取り入れないことには、研究者たるものの立場がないような雰囲気さえあったように思う。しかし実証的に調べれば、サイードが必ずしも事実を正確に述べているとは言い難い点もある。安易な同調は危険。
←(後注:「エドワード・サイード」については、「ユーリの部屋」の(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071019)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080209)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080614)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)を参照)
・今のハートフォード神学校で、最も私の興味を惹き、関心が合致すると思われたのは、アングリカンの女性教員。南スーダン問題、イラクのクリスチャンへの攻撃、ケニアやナイジェリアの平和構築と和解、テリー・ジョーンズ牧師のコーラン燃やし事件とマラウィでの聖書破壊の事件など。公平感覚がいい。
キリスト教的環境の中で、ムスリム教員がイスラームのみを教授するのに対して、クリスチャン教員は、キリスト教は当然のこととして、イスラームにも最大限配慮し、出来る限り両者を公平に扱おうとしている様子が読み取れよう。実は、それが暗黙の了解だからこそ、カトリック神学生が浮いたのでは?

14 Dec 2011
・日本語版ブログに、ハートフォード神学校に関わるテーマを綴った日付を整理したので、もし興味のある方がいらっしゃれば、こちらをご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111213)。ここ数日間、ツィッターで綴ったことの一部反映です。本件の困難なのは、白黒決着がつけ難いことです。
キリスト教機関でイスラーム学を教授するにしても、どのムスリム教授がポストにつくかによって、かなり動向が左右されるだろう。また、シラバスやカリキュラム上、キリスト教その他の諸宗教文化を、ムスリムも副専攻などで単位取得するという義務化をしなければ、本当にいいとこどりになってしまう。
・大事なのは、各人の信条や宗教が何かではなく、いかに客観的に公平に実証的に議論が進められ、一方の立場のために他方が犠牲になるというケースをなくすか、だ。本当に難しいが、オープンに透明になされなければならない。また、そこで「人権」などを持ち出すと、さらにやっかいなことにもなる。
You Tubeなどで見る限り、このカトリック学生は、かなり優秀で勇気ある人のようだ。メモを取って聴いていると、彼の言っていることは筋が通っており、要点を書きやすいが、ムスリマ教授の話は、インタビューする側の発言はわかるのに、彼女の返答は、なぜかメモがぐちゃぐちゃになっている。
・英語そのものは、親しみやすくてわかりやすい。一つ一つの応答は、それなりに理解できる。しかし、メモを翌日に見直してみると、本当にぐちゃぐちゃだ。周囲が気を遣っているからでもあるが、ああ言えばこう言う、という印象。質的には、申し訳ないが高度だとは言い難い。これが実感。
カトリック学生の提案だが、本件に関して「短期的解決はない」ので、西洋側が、自分達の歴史文化的ルーツを再発見し、キリスト教的価値観を重視するよう、働きかけなければならない、ということだった。非西洋人である私も、1970年代以降のハートフォード神学校の変遷を知る以上、全く同感だ。
キリスト教であれば何でもいいのか、というと、これまた大問題なのだが、少なくとも、彼の言い分は、ベネディクト16世の考えに近いように思われる。カトリック嫌いの人や宗教不要論の人なら、現教皇の「保守性」を批判したいのだろうが、著作を読めば、カトリックならそうだろう、と納得がいく。
ムスリムとの神学的対話が非常に困難なのは、聖典解釈と研究における非対称性の問題もさることながら、クリスチャン側は神学議論に限定しているつもりなのに、ムスリム側は、いつの間にか政治的社会的な問題にテーマをすり替え、長々と叙述する傾向にあるからだ。語りの文化でもある。
・たとえ善意で相手を理解しようと努めても、語りを文書化してみると、同じことの繰り返しだったり、肝心の点がするっと抜けて無視されていたりするのだ。この膨大なエネルギーと時間の消耗は、気が遠くなるほどだ。ムスリム論理では、説得と理性によってイスラーム化を進めるのだという。

15 Dec 2011
・主人から、「今読んでいる英語の小説でわからない箇所がある」と言われた。アポクリファ外典/第二正典)や歴史家ヨセフスの話。英語は簡単だが、説明するとなると、いかに普通の理系日本人が知らないのかを再認識させられた。洋間からヨセフスの翻訳を取り出して見せ、カトリック版聖書も広げた。
・これまで、当たり前の基礎知識だと思っていたのだが、ルターとカルヴァンの相違は何かなどと問われると、知っていたつもりでも案外に抜けている細かな知識があることに気付いた。主人には、私の説明が「半分だけ」わかったらしい。え!こんなに丁寧に説明したのに、半分だけ?!でも、いい経験だ。
・「キリスト教では宗教改革が16世紀に起こったけど、イスラームでは宗教改革はまだなんだね。だったら、ムスリムとの対話が困難だと言っている方にも無理がある」と、主人が言った。キリスト教の正典論争など、私にとっては当然のしかるべき議論だと思っていたが、ムスリムにとっては....。
・多分、ハートフォード神学校の先生方も、長年の経験の積み重ねから、徐々に現在の方法に至ったのだろう。現状のままでいいのかどうかは別として、ムスリムには不要とされる問題を、あえてキリスト教的観点から議論しかけてみても、かえって負担だろうし、むしろ邪魔なだけだ。結局、齟齬はそこに起因?
ユダヤ教の思想の方が、学ぶところ多く、心地よく感じられるのは、専門ではないからという気楽さもあるが、議論が高度に洗練されていて、こちらにとって心理的な圧迫感がないからだ。一方、中世イスラーム哲学は高度だが、現実のムスリム社会の混沌を見ると、なぜなのだろうと不思議に思う。
・昨晩、マレーシアの華人プロテスタント神学者とメール交換。彼は、イスラームキリスト教を同じ「宗教」枠に括り、同等の土俵にのせて議論することに対して、異議を唱えている。この方法で行くと、クリスチャンの失敗が誇張され、ムスリムの欠点は過小評価されることになる、と。何だかほっとした。
・偶然の一致にしては出来過ぎ。宗教改革の有無にせよ、二つの宗教体系の同等比較がはらむ問題性にせよ、同内容の議論が集中したここ数日。ハートフォード神学校も、「初」や「他との相違」を誇っていないで、もうそろそろ、過去の蓄積を謙虚に振り返る時期ではないだろうか。当のムスリマ教授は転勤。
・これがまた、論議を呼んでいるらしい。彼女の出身国カナダの故郷にある大学のアングリカン神学部で、イスラーム学の新設講座の長として招聘されたのだ。つまり、10代でカトリックを放棄してイスラーム改宗した白人の彼女が、40代の今、地元に舞戻り、クリスチャン達にイスラームを教授することに。
・北米のいいところは、多様な背景を持つ人々が、それぞれ自分の経験を言語表現して議論することだ、と思っていた。ところが、ハートフォード神学校で不快な経験をしたカトリック元神学生の事例から、今回の新人事を深く憂慮した人達に対して、大学側は「たった一人の学生事例だから」と却下した模様。
・その「たった一人」という軽い扱い方に、問題の深刻さが現れている。そもそも、「たった一人」を大切にするのがキリスト教精神だったのでは?ムスリマ教授は、今後もイスラームのみを教え、アングリカン他の神学部生達からの異なる見解を封じる可能性が皆無だとは言えない。同じ轍を踏んではならない。
・そもそも、西洋側の罪責感覚を不思議に思っているアフリカなど旧植民地側のクリスチャンも少なくはない。つい最近も、マレーシアのメソディスト華人司教が、同じことを新聞記事に投稿されていた。アメリカの宣教師達にまた戻ってきてほしい、と。地元人では限界のある分野を助けてほしい、と。
イスラーム復興期にあるムスリム多数派国に住む少数派クリスチャンの感情としては、誠にもっともなことだ。もし、西洋側が過去の罪責感を引きずったまま、ムスリムの言い分に無条件に譲歩していたら、これら少数派の非ムスリムの立場は、一体どうなるのだろうか。そもそもここが矛盾しているのだ。
・北米でも、ムスリム移民の二世以降は、親の出身国に戻りたがらないそうだ。しかし本来、留学生達は、祖国の発展に貢献する目的で、米国に学び、収穫を故郷に持ち帰って生かすというのが趣旨ではなかったのか。なのに、生活条件の快適さに留まって安住し、自己の価値を主張して相手に同意を求めるのか?
・先のカナダ出身のムスリマ教授がイスラーム改宗した動機は、クルアーンの語る神のパワーや力強さ、セネガルパキスタンムスリム達の純粋さ、清浄さ(purity)に魅かれたこと。米国の某大学での公開インタビューにて語る。しかし、聴衆の中に、不審そうに首をかしげている年配の男性もいた。
・他の聴衆からの質疑でも、このような公開の場では肯定的な話が前面に出されるが、実情はどうなのか、という問いが投げかけられた。それに対して、ムスリマ教授からは、確かに「チャレンジだ」とは認めながらも、何か要領を得ない答えが返って来た。別の筋によれば、イスラミストとの関係があるらしい。
・これが事実ならば、やはり人事に懸念要因がある。イスラミストがなぜ、キリスト教神学部で教えることになるのか。多数派クリスチャンがイスラミストの思考を緩和するとでも期待しているのだろうか。しかも、カナダのアングリカンは昨今、聖餐問題でも議論が分裂しているようだ。つまり、弱体化が実態。
・「諸宗教の神学」の提唱がある。キリスト教圏で生み出されたものだが、これを、アジアなど多宗教共存が前提である、キリスト教マイノリティの地域にもたらそうとすると、おかしなことになる。ベクトルが逆なのだ。文脈背景が異なる。むしろ、キリスト教価値の再発見のような学派を導入すべきなのだ。
←(後注)これに関しては、「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100331)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110819)を参照。
・「不審そうに首をかしげている」聴衆からの質問は、「自分の娘は4年半、アフガニスタンで働いていたが、人々は、あなたの言うようなクルアーンに沿った清浄な生き方ではなかった」というもの。それに対するムスリマ教授の応答は、「違うレベルでの教育がある」「異なった状況がある」。これが対話?
・要するに、ムスリム地域で数年間、非ムスリムが人々のために奉仕する一方で、帰国してみると、改宗ムスリマのエリートが、心地よい環境で人々に言論上の影響力を行使しているのだ。本来、改宗ムスリマこそがイスラーム圏の貧しい人々のために奉仕して、生活改善に労すべきなのでは?
・もちろん、彼女も改宗直後には、しばらく(ただし4年半以下)、ペシャワールでアフガン難民のために働いていた時期があったと述べている。でも、結局は現地に留まることなく、米国(およびカナダ)で、人々の注目を浴びながら、より快適に暮らしているのだ。いかにもアメリカらしいやり方だ。
ムスリム・クリスチャン間の対話に関して、英国国教会(アングリカン)のカンタベリー総主教の主導による架け橋セミナーが有名だ。今、エディンバラ大学神学部の先生の講義をpodcastで聴いている。二つの信仰体系の相似と相違のいずれを強調するかで結論は異なるが、互いに聴き合うことが大切。
←(後注:この‘podcast’については(http://www.ed.ac.uk/schools-departments/literatures-languages-cultures/alwaleed/resources/podcasts)を参照)
・学問的には、共通項目をテーマとした聖典比較が挙げられる。また、外交的で象徴的な対話も含まれる。メディアは問題に焦点を当てがちだが、通常のあるがままの状態はどうなのか、という観察もある。知的対話と同時に、非知的な対話もあるとの由。ディレンマや困難も、判断保留のまま提示。英国らしい。
ハートフォード神学校卒のカトリック青年については、在学中から、ニューヨークのカトリック教会で講演をしたり、カトリックムスリム(棄教者も含む)の会合レポートを書いたり、カトリック学生運動アメリ支部代表として国連にも関与したりしているそうだ。なかなか有望そうな青年だ。
・彼のアプローチとエディンバラ大学の講演内容とは、かなりニュアンスが異なる。残念ながら、恐らくは後者の方が、今後、ステータス上の関係もあり、優遇されるだろう。前者の考えは、繰り返すが、一昔前のキリスト教の思考や大衆向けの本と変わりがないからだ。また、人々の間に対立回避の希求も強い。
・ただし、彼の活動に意味があるとすれば、政治的公正さや丁重さから、人々が表立って口にしなくなったイスラームの問題点を、若さの助けもあって堂々と論じているところにあろう。架け橋セミナ―のやり方は、スマートで洗練されているが、気長に忍耐強く続けていく予定らしい。相互のバランスが必要か。

16 Dec 2011

・昨晩も楽しいメール交信をマレーシア華人神学者と。‘useful idiots’という語彙を教わった。昔は、西洋人のリベラリストで、共産主義をナイーヴに賛美していた知識人を指し、現代では、イスラミストやイスラーム運動を無条件に支持する西洋人学者を指すらしい。
・日本にも、そのような傾向が見られる。問題は、イスラーム御用学者のような非ムスリムの、本音あるいは動機だ。事の本質や危険性を周知せず、良い面だけをソフトに語り、高等教育機関やメディアを通して影響力を及ぼそうとする。「イスラムフォビア」「偏見」という用語で相手を黙らせる。
・その意味では、マレーシアはいい事例だ。非ムスリムが4割もいて、共産ゲリラ活動の時期も経験しているし、英語で教育を受けた層がまだ頑張っているので、マレー語導入による学力水準の恐るべき低下を経験的に指摘できるからだ。イスラーム化の問題点も、理論的のみならず、現実に感知している。
・例えば、マレー語でイスラーム雑誌を読むならば、その内容に驚かされないはずがないだろう。特に、聖書やキリスト教ユダヤ人やイスラエルに関するお粗末な理解は、到底、日本で平均的な教育を受けた人であれば、容認しがたいであろう。しかし、それを素直に出して非難されるのは、こちら側なのだ。
・かくして、さまざまな犠牲や抑圧を伴いながら、イスラーム理解に努めることになる。9.11が発生していなくても、「知識のイスラーム化」によって、緩やかに、確実に、文化変容を迫られているのが現状だ。1977年にメッカでの第一回イスラーム教育世界会議で決められた事項を想起。

17 Dec 2011

・‘Useful Idiots’を思い出す毎に、なぜか笑いが止まらない。心当たりがあるため。昨日から一人で何度も笑っている。それにしても、さすがはディアスポラ華人だ。表現がストレート過ぎる。調べてみると、チャーチルヒトラーも、それぞれ異なった立場からイスラムについて発言している。
・だから、2006年11月30日のクアラルンプールにおける対話会合で、西洋側が'Mein Kampf’などと発言していたのだ。やっと解明できた。遅過ぎたが、問題意識を持ち続けることは重要だ。You Tubeのテレビ録画クリップで、英国、ドイツなどのムスリム社会の状況を見る。大変だ。
←(後注:「2006年11月30日の対話会合」については、2007年10月19日・10月23日・11月1日・2008年3月29日・7月5日・2009年7月4日・7月10日付「ユーリの部屋」参照)
・普段、テレビをほとんど見ず、もっぱら本を読んで過ごすことが多いので、何かと世間からずれている私。イスラーム問題も、対立を回避したい気持ちと、どうにもこうにも圧迫感が抜けきれない思いが交錯している。これが21年間も続いた。我ながら、驚くべき忍耐力とエネルギーの消耗だ。決着すべし。
(転載終)


それにしても、随分長々と書いたものですね。道理で、疲れたわけです。
それでは、この辺で失礼します。また、片づけものをして、原稿書きに専念したいと思います。年内には提出できますよう....。

PS: 英語版ブログに、『ガーディアン』紙からの3年前の記事引用を再掲いたしました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20111220)。上記のつぶやきと関連があるためです。また、2008年4月18日・4月25日付「ユーリの部屋」もご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080425)。