ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム棄教の背景分析 (4)

以下は、おとといの「ユーリの部屋」の続きです。

4.Ibn Warraq著『イスラームを離れて』(ユーリ注:以下『離れて』)とウェブサイト『イスラームに答えて』(ユーリ注:以下『答えて』)『イスラームの棄教者達』(ユーリ注:以下『棄教者達』)の証言を資料にした総合分析
(文末注:『イスラームに答えて』「真実、愛、命の新生:なぜムスリムはクリスチャンになるのか」(http://www.answering-islam.org/Testimonies/index.html)2004年8月時点のアクセス。『棄教者達』の「棄教者達に会う」では、有名な元ムスリムとして、Ibn Warraq, Taslima Nasrin, Nonie Darwish, イラン出身のAli SinaとParvin Darabi(共に無神論者), パキスタン出身のTahir Aslam Gora(非ムスリムスーフィーと紹介されている)の証言も含まれている。)

(1)元ムスリム達:彼らは誰なのか?

表1.改宗者の性別と出身地


              『答えて』  『棄教者達』  『離れて』

[性別]   男性       79% 68%      72%
       女性      21% 32% 28%


[出身地]  アラブ世界   34% 21% 4%
  イラン      10% 5% 12%
  トルコ       9%  1% 4%
  非アラブアフリカ  4%      0%   0%
   南アジア    16% 35% 44%
   東南アジア  14% 10% 4%
   西欧       5% 20% 28%
  その他・不明   9% 8% 4%  

(ユーリ注:『答えて』の対象は128人、『棄教者達』は80人、『離れて』は25人である。上表では、資料となるデータ数値が少な過ぎる上に、相互に格差が大きいため、あえて人数を省いた。) (ユーリ:ごめんなさい!またもや下書きからアップした段階で、何度も表が乱れてしまいました。)
上記によれば、男性の方が圧倒的にイスラーム棄教しているが、その理由は女性の地位だという。しかし、イスラームへの改宗者に関する研究では、1996年の英国ではその男女比が等しく(ユーリ注:その論拠として、2008年4月15日付「ユーリの部屋」で紹介したAli Köse(1996)を文末注に挙げている)、2003年の報告書(Karin van Nieuwkerk著『現代世界におけるイスラーム研究のための国際機関ジャーナル レビュー12ジェンダーイスラーム改宗」)では、アメリカとヨーロッパで女性の方が多くイスラーム改宗している。この不均衡については、さらなる調査が必要である。
また、地理的あるいは文化的地域としては、宣教師であれ地元の非ムスリム多数派であれ、ムスリムが他宗教の人と直接接触することの多い「フロンティア地域」で、最も多く改宗が起こっている。実際、オスマン帝国のバルカン、タタール、アルゼンチン、ラージャスターン(ユーリ注:インド北西部のパキスタンと接する州)、植民地化されたアルジェリアで、歴史的に改宗運動がより普通に発生してきた。(ユーリ注:文末注には、それぞれの論拠として、英語、フランス語、スペイン語による各種の研究ジャーナルのタイトルと著者名が引用されているが、必ずしもイスラーム棄教者を対象としたものではないことに留意。)

(2)なぜ彼らはイスラームを離れるのか

知的あるいはイデオロギー的動機

1.イスラームにおける女性の地位
2.シャリーアと人権の矛盾
3.クルアーンの問題の多い性質
4. 預言者ムスリム指導者の性格
5. 非論理的で非科学的なイスラーム(例えば、進化論と比べて)
6.よい非ムスリムの永劫の処罰
7.イスラームの不必要で厳しい法則や期待
8. イスラームは普遍的ではなくむしろアラブ中心的
9.クルアーンハディースの疑わしい史的確実性

社会的あるいは経験的動機

1.悪い残酷なムスリムとの出会い
2.抑圧的なムスリム
3.後進的なムスリム
4. 女性を悪く扱うムスリム
5.非ムスリムを悪く扱うムスリム
6.自分たちの宗教に関して幻想的な状態にあるムスリム

クリスチャンであるS.V.Bhajjan氏の引用「私はこれまでに、クリスチャンの中には、キリストの子性(ユーリ注:「父なる神、子なる神、聖霊なる神」の第二番目を指す)や贖いや三位一体教義について説明できる人々がいるというので、自分の主であり救い主であるイエス・キリストを受け入れたと告白したムスリム改宗者に会ったことがない。ムスリムの心を動かすのは、常に、クリスチャンによる小さな兄弟愛の行為を通してである。」(『イスラーム研究のためのクリスチャン研究所』会報「ムスリム改宗者を教会が受容するに際して障害をはっきりさせること」1982年)

上記の動機は「動機」そのものではないので、付け加える必要がある。まず、元ムスリム達は、イスラーム的価値を受け入れるように洗脳される環境で育ったが、幸いなことに西洋的価値を発見した、と述べている。また、「後進的なムスリム」の具体例として、バングラデシュの1971年危機を挙げている証言が三つあった。これは、『ムスリムとアラブの見解』(1996年)にある「1971年以降に拡大するriddah(棄教)」という報告と並行している。「200万人のバングラデッシュ人ムスリムは過去25年間にキリスト教を選択したと報じられている。国家の危機であった過去30年の間に、バングラデッシュでキリスト教宣教師達は活発になった。(ユーリ注:パキスタンとの分離)市民戦争の悲劇を軽減するために、宣教師達は、一般に貧者や僻地の文盲者を対象としている。バングラデッシュのイスラーム基金の理事長によれば、改宗の原因は、貧困、文盲、適切な医療施設の不足である。」

(3)彼らはどこへ行くのか
イスラーム棄教者の行先は、大きく三つに分ければ無神論、不可知論、キリスト教である。『答えて』では、キリスト教への改宗証言がすべてであるが、『離れて』の25証言では正反対となっている。『棄教者達』では、キリスト教とその他の宗教の両方もあるが、58%は無神論か不可知論である(ユーリ注:正しくは、57%)。

表2.改宗先

        『答えて』  『棄教者達』  『離れて』

無神論     0% 41% 32-64%*
不可知論 0% 16% 12-44%*
キリスト教 100% 15% 0%
その他/不明 0% 28% 24%


(*は、無神論か不可知論のいずれかであることは確かだが、そのどちらかが曖昧である人を含むことを示す。)(ユーリ:再び表の乱れをお詫びいたします)

無神論か不可知論になるためにイスラームを離れた人々は、アフガニスタンパキスタン、インド、バングラデッシュの出身が最も高い比率を示す。
さらに、多くの人がイスラームからの改宗を隠したことに我々は気づいた。親密な関係をムスリム(例えば夫)と持っているからであるとか、その関係を解消したくなかったからとか、過激なムスリムから傷つけられるのではないかという恐れから、である。

(4)結論

イスラームを放棄した動機の総括は、女性の地位の問題や、残酷で抑圧的で後進的なムスリムに対して、非ムスリムに肯定的な魅力を感じていることだ。しかしこれは、イスラームムスリムについて共通に知られたステレオタイプの反映で、イスラームを離れた段階で、元ムスリムは広く出回った言葉のあやに落ちやすいのだという理論化ができるかもしれない。
改宗先は、無神論や不可知論やキリスト教だが、どれが最も人気があるかは、断定が困難。
ムスリムの背景は、インドの「フロンティア地域」に住む英語を話すムスリム人口が比較的大きいため、南アジア出身者が最大となっている。
改宗状況は、個人的理由のみならず、組織的環境もある。キリスト教への改宗は、宣教団体による言語や枠組みに順応しがちである。
グローバル化と電子化メディアにより、改宗と改宗の語りをマスコミで流す空間が増えた。インターネットは、イスラームキリスト教の可視的競争を引き寄せている。イスラームへの/からの改宗証言は、インターネット上で匿名化と公表化の両方で行われている。同時に、宗教に属する人々の慣習的な把握が低下している。特に、女性の地位がイスラームへの/からの改宗動機に挙げられるのは興味深い。
(終わり)


以上で、正味三日間に及んだ本論文の日本語要約を終了します。論文そのものは、十数分で読めてしまえたのですが、きちんと日本語にまとめようとすると、大変時間がかかるものだとわかりました。
個人的な感想としては、(アメリカで正規職に就いているムスリムの人々は、結構いいご身分なんだなあ、結局のところは、「イスラーム礼讃」をアメリカでも広めているのだから)という素朴なものです。
ブラックバーン先生がおっしゃったように、ある面、クリスチャン達の好意や善意によって行われている、ムスリム・クリスチャン対話やイスラームとの関係研究です。また、ハートフォード神学校も、かつての輝かしいキリスト教研究の歴史から振り返れば、現在では、かなりの犠牲を払って、ムスリムを引き受けているのですが、結局はこういう話なのですから。
極めて短期の滞在でしかありませんでしたが、ハートフォード神学校内部の状況を見ると、イスラーム研究に関しては、イスラエル出身のアラブ系ムスリムや白人女性の改宗ムスリムなどを教授に立てているものの、実際の運営は、事務スタッフも含めてクリスチャンが行っているようです。しかし、私の観察した限りでは、スカーフを巻いて裾の長い黒っぽいムスリム服の教員とその他のクリスチャンの事務スタッフ同士が、相互に楽しく会話し打ち解けあって交流するというよりは、それぞれが独立して黙って自分の仕事を行う、という雰囲気でした。事務担当の女性達は歩いて通えるような所に住んでいるようですが、教授陣は、車で通ってきています。また、受付スタッフにはパートの黒人女性も含まれていましたが、賑やかに大声で喋ったり笑ったりするので、シェラベア資料に夢中になっている私を気遣ってか、ブラックバーン先生が研究室から時々出て来られて「大丈夫ですか?うるさくはないですか?」と小声で心配してくださいました。

ちなみに、私の訪問にちょうど合わせるかのように、計2日の間、ボストン大学に通っているという、ブラックバーン先生のかわいらしく利発そうな愛娘さんが、神学校内にある書店や受付のお手伝いをしていました。「高校生の弟は、日本のアニメに興味があるのよ」と、帰りにホテルまで送ってくれた車の中で言っていました。親子関係も良好そうで、いい家庭で大切に育てられた娘さんという感じでした。今でもそのような家庭がアメリカにあるのを知ることができ、幸いでした。

短い滞在ではあっても、アメリカのキリスト教系研究教育機関の内実を、垣間見た思いでした。お互いに妥協できるところは妥協し、譲れるところは譲り、しかし干渉できないところには関わらず、表向き‘犠牲’になっている人々の方が、静かでかえって有能である、という印象を持ちました。
2005年8月のこのハートフォード訪問は、1990年代前半、MITに留学していた主人のつきそいで実現しました。英語も、マレーシアにいる時以上に、非常に楽に話せ、精神的にとても解放された滞在でした。

なお、ここ4日間続いた「イスラーム棄教の背景分析」にまつわる私自身の意見や感想は、2007年10月23日・10月25日・11月1日付「ユーリの部屋」で記した経験などに基づくものであることを、どうぞご了承ください。