ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム棄教の背景分析 (2)

以下は、昨日の続きです。

3.メディアでの語り

・我々が面談した以外に、事例が広く一般化されている幾つかの改宗者の事例もある。ただし、Ayaan Hirsi AliとWafa Sultanの事例は除く。前者は、ソマリア出身の無神論フェミニストで政治家。オランダで評判になった。『籠の処女:女性とイスラームのための解放宣言』(2006年)と論争的な『服従』フィルムの著者。イスラームにおける女性の地位と預言者の性格が、彼女の宗教批判の焦点である。後者は、シリア出身カリフォルニア在住の無神論者で心理学者。2006年2月21日のアル・ジャジーラによるインタビューで、イスラームは本質的に現代の諸価値に反すると議論して、有名になった。

(1) Nonie Darwishについて
(ユーリ注:1948年にエジプトのカイロで生まれ、ガザ育ち。父親は、故ナセル大統領の指揮下で、エジプト軍総司令官として400名のイスラエル人を虐殺し、その報復として、イスラエル軍に暗殺された。殉教者として奉られたが、その後、娘によい教育を受けさせたいという母親の勧めでカトリック高校に進み、カイロのアメリカン大学で社会学と人類学の学士号を取得。1978年に夫と共にアメリカ移住し、市民権を得る。MEMRIのアラブのテレビ討論にも出演したことがある。代表的著書は『今や彼らは私を不信心者と呼ぶ:なぜ私はアメリカやイスラエルテロとの戦い向けのジハードを放棄したか』。)
彼女は、今はクリスチャンで、自分のウエブサイトを持っている(ユーリ注:論文中のサイトアドレスは、現在のところ閲覧不可となっている)。家族は、特に宗教的ではなかったようだ。彼女のイスラーム離れの知的動機は、全般的な不寛容、女性に関するシャリーア法の問題の多い特性、キリスト教には見られる愛、親切、慈しみ、許しというものが、イスラームには欠けていることである。経験的あるいは社会的動機には、「ほとんど実践が不可能な」イスラームを挙げている。(文末注:イスラーム実践における困難さは、他の元ムスリムによっても語られている。パキスタン人のキリスト教改宗者であるChristopher Alamの自伝『血と炎を通して:イエス・キリストの熱心な伝道者になったあるムスリム狂信者』(1994年)では、イスラームが要求することを満たせないことに大きな罪意識を感じていたという。これは、イスラームに改宗した英国人Ali Köseとは対照的である。彼はその著書『イスラームへの改宗:英国人改宗者達についての研究』(1996年)129ページで、イスラーム実践は難しくないと述べている。)ムスリムによって実践される全面的服従は、強権者、ショービニズム、批判に対する極度な敏感さ、ムスリムの間での厳しいヒエラルキーによって支配される。さらに、ムスリムは、非ムスリムを憎むように教わる。クリスチャンの牧師達は、ムスリム聖職者達よりも道徳的に優れていると彼女は思っている。

(2) Ibn Warraq(偽名/ペンネーム)について
彼は素性がよくわからないところも多いが、恐らく実在の人物であろう。2001年10月10日にオーストラリア放送局によって公的にインタビューを受けている。
パキスタンのいくらか宗教的な家庭で育ち、ヨーロッパに移住し、オハイオ州で教師になった。1995年の『なぜ私はムスリムではないか』という本で有名である。彼の知的動機は、イスラームの歴史的源を確定することが難しいこと、預言者ムハンマドの性格が、道徳的観点から問題が多いこと、クルアーンは神的であるように思えないこと、イスラーム全体主義を唱導していること、人権に関して不寛容であり不適合であること、女性の地位が好ましくないこと、神性に関して問題があること、葡萄酒、豚、同性愛など不必要にタブーが多いこと、である。経験的あるいは社会的動機には、アラブ帝国主義やイスラーム植民地主義の歴史、非ムスリムや女性や奴隷に対する歴史的な誤った扱い方が含まれる。彼は今、不可知論者である。
彼が編集した『イスラームを離れて:棄教者は語る』には、元ムスリム25人の詳細な証言がある。そのうちの19人は、家族が恐らく全員ムスリムであろう家庭で育ち、他の5人はムスリム家庭以外の出身で、一度はイスラーム改宗した元ムスリムであり、残る1人は、ムスリムであるとは名乗らないものの、単にムスリム多数派の国で育った個人である。その内訳については、次のとおりである。44%(11人)がパキスタンかインドかバングラデシュの出身。28%(7人)が西洋出身(中のアメリカ出身6人のうち、2人が移民系二世、4人がイスラーム改宗者)。12%(3人)がイラン出身。その他の個人は、チュニジア、マレーシア、トルコ、そして極東の仏教多数派と思われる国である。イスラーム離れをした人々は、多くが無神論か不可知論になる。
また、「イスラーム社会の世俗化のための研究所」というウエブサイトからとった21の短い証しも含まれている。イスラームからキリスト教やヒンドゥ教や無神論や不可知論や理神論あるいはヒューマニズムへ改宗転向した一般情報もある。著者が『フィガロ』から引用したデータでは、フランスで2000年にカトリックの洗礼を受けた2503人のうち、9%に相当する225人が元ムスリムであったという。
「インドの多くのムスリムが祖先の宗教に戻ったと信じるに充分な理由がある」と彼は言う。また、メルボルン大学のオーストラリア人の人類学者Thomas Reuterによる、過去二十年以上に、特にジャワでイスラームからヒンドゥ教への数万人の集団改宗が見られたという言及も引用されている。また、フランス在住のアルジェリア系移民の二世が、20%から30%の最も高い割合で、宗教に無関係と述べている。さらに、1980年代の国勢調査から、オランダに住むイラン人亡命者の半数が、不可知論あるいは無神論者であると宣言したという。

(3) ムスリム改宗者Jeffrey Langについて
彼は著書で、アメリカ人ムスリムや元ムスリムから受け取った手紙やメールの幾つかを記録している。イスラーム信仰が揺らいでいるという人からの交信も含めているが、イスラーム離れをして戻ってこなかったという3人の個人について、著者は議論している。
第一の事例は、58歳のシリア人男性で、20代初めにアメリカへ移住した。若い頃は狂信的であったが、いまや「不可知論的以上である」と述べる。転向の主な理由は、ムハンマドの私的生活に関連する‘ささいな’ことを述べるようなクルアーンの神的啓示を信じるのが困難だということである。第二の事例は、最初はクリスチャンになり、その後キリスト教イスラームも共に棄てたという二世のカレッジ学生である。宗教は、虚しい規則の‘死んだ信仰’であり、神との関係構築が困難だと思っている。第三の事例は、若いアメリカ人男性で、悪の創造に関する問題を抱えていた。もはやイスラームの神概念を信じることはできない。なぜなら、災害などの自然現象で‘無辜の人々を殺す’からである。また、神礼拝をする本当の動機を失った。非ムスリムが救われないという理由はないと考えている。
以上が、個々の事例紹介である。次に、より広い文脈でこの問題を検討していく。

(今日のところはここまでです。続きは、明日以降に…)

PS:ムスリムキリスト教改宗については、2008年3月26日付「ユーリの部屋」と、英語版はてなブログ‘Lily's Room'http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)の2008年3月25日・3月26日・3月28日・4月15日をご覧ください。