ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

家を建てる者の捨てた石

何とか終わりました!関東は汗ばむほどの暑さ。
久しぶりにお目にかかれた先生から、本格的な研究者のいない「フランシスコ・ザビエル学」に関するご論文抜刷を一部、早速頂戴し、(そうそう、これこれ、こういう文章が好きなのです、私...)と、一人にんまり。本当に研究するというなら、こうでなければ。
かく言う私も、諸条件から何事も中途半端な感じで、自分でも嫌で仕方がないのですが、ここまで来たなら、完璧を期していても仕方がなく、できるところでやるしかありません。
とはいえ、若い方からのリスポンスが的確で、受けている教育や環境の大切さを思いました。3月に発表した時にも、京大の院生のお兄さんから「ユーリさんの発表、前から聞いていますよ」と言われ、こちらは毎度、自分のことで精一杯なのに、ちゃんと見ていてくださるんだな、と励まされるような、怖いような気がしました。

今回、フォーカスを当てたのは、Rev. Benjamin Peach Keasberry。シンガポールでは有名な宣教師の一人で、オーチャード・ロードから歩いて行ける距離のプリンセップ通り長老教会(Prinsep Street Presbyterian Churcn)の基を築いた方です。1847年にロンドン伝道会が中国伝道のためシンガポール拠点を閉鎖した際、既に始めていたマレー学校の面倒をみる目的で、シンガポールに残る決心をしました。
英領インドで生まれ、英国軍人の父親が当時英領ジャワだったテーガル知事に任命されたので、子ども時代からマレー語世界に通じていて、マレー語への聖書翻訳や、ロビンソン・クルーソーなど楽しい読み物のマレー語訳をするなど、初期のマレー教育に貢献して、現在もシンガポールで敬愛され、評価の高い宣教師です。

宣教団から支援を断られた、単独で自給自足のムスリム向け宣教師というと、偏屈で貧困の中を労苦しつつ伝道したような先入観を抱かれがちですが、実際のところ、お父様の遺産や裕福なお母様を持つ方だったこともあり、印刷業とプランテーション農業で計14人の実子のうち何人かを英国で教育させることのできたほど、実に有能かつ、公私ともに勤勉で生産的な宣教師だったようです。
チャペルで説教中に亡くなり、惜しまれて、元教え子のジョホールのスルタンが墓地に石碑を建てるなど、ムスリム・クリスチャン関係の一種のモデルともなった方でした。
今回、キースベリー師の生涯を学ばせていただいて、ふと浮かんだ聖句は、マタイ21章42節。

家を建てる者の捨てた石、
これが隅の親石となった。
これは、主がなさったことで、
わたしたちの目には不思議に見える
。」
(『新共同訳』より)

日本語文献では、中原道子先生の『アブドゥッラ―物語』(東洋文庫 1980年)にご登場されることで有名ですが(参照:2008年10月25日付「ユーリの部屋」)、残念なことに、宣教師の様子が描かれている場面で、肝心の聖書翻訳の箇所が日本の読者向けに省略されていて、私にとっては、(あのぅ、むしろ、そこが大事なんですけど...)と、以前から気になっていました。
他に、キリスト教の宣教史的観点からRev. Benjamin Peach Keasberryについて論述された日本語文献をご存じの方がいらっしゃいましたら、どうぞご教示ください(参照:2010年4月8日付「ユーリの部屋」)。
末筆で恐縮ですが、会場校となりました聖学院大学の諸先生方、スタッフの方々にはお世話になりましたことを御礼申し上げます。