ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

英語訳聖書史のお話を聞く

昨日は、久しぶりに神戸バイブルハウスを訪れました。日本聖書協会の聖書図書館主事でいらっしゃる高橋祐子さんが、英語訳聖書の歴史をお話しくださるとのことで、早速、駆けつけました。
聖書図書館には、1998年ぐらいから度々お世話になっています。マレー語聖書のリサーチでも、前司書の方が「そういう研究は聞いたことがありませんねえ」とおっしゃいながらも、丁寧に「ここから始めてみてはどうですか」と資料提示をしてくださったことが、今もなつかしい記憶として思い出されます。実は、お友達が、私と同じ国際交流基金派遣により、ペナンの大学で日本語を教えていらしたのだとか。いろんなところで人はつながっているので、一つ一つの出会いは大切にしなければ、と痛感させられた次第です。
また、高橋さんには、資料コピーの件で、ずいぶんお世話になっています。『聖書翻訳者』という英文ジャーナルからも、以前、大量に複写をお願いしたことがあります。東京でもお目にかかっていましたが、この際、ご挨拶も兼ねて、今回の機会を大切にしたいと思いました。東京では会合の規模が大きいこともあり、どうしてもゆっくりお話しできないので...。
結論から言えば、行ってよかった、の一言に尽きます。英訳聖書に関しては、すでに多くの文献が出ています。最近では、今年の4月にもA.ギルモア(著)本多峰子(訳)『英語聖書の歴史を知る事典教文館2002年)を楽しく読みました。でも、根気のいる地味だけれども非常に重要なお仕事をコツコツと長年続けてこられた方のお話は、本を読むのとは違って、実感がこもっていて、とても参考になります。高橋さんご自身は、「私は学部卒ですし、専門というものはないので『先生』と呼ばないでください」と謙遜されていたのですが、下手な研究者よりも遥かに丁寧にお仕事をされているんだな、ということがよくわかりました。生きたエピソードなども散りばめられていて、楽しく聞かせていただきました。
時間帯から、中高年中心の20数名ほどの集まりだったのが、残念といえば残念です。若い方も3名ほど座っていましたが、もう少し多くてもよかったかな、と思います。
聖書翻訳もそうですが、長い間、あるいは大勢の人に影響を与える仕事というものは、実は、大規模チームプロジェクトではなく、案外、ごく少数の人々、ないしは単独で始められることが多いもののようです。その逆説こそが、真理なのかもしれません。
それと、現代に生きる古典である聖書の説明は、対象水準をどこに合わせるか、なかなか難しいのではないかとも想像されます。敷居が高いと言われるのを気にして気楽にすると、かえって落胆する人も出てくるかもしれませんし、あまり専門的過ぎると敬遠する人もいるかもしれません。日本には多くの出版物があるので、その気になればいくらでも勉強できると思いますが、昨今では、それだけの時間的精神的余裕がなくなってきたのか、学力水準が低下したのか、読書層が減ったのか、満たされ過ぎていて必要を感じないのか、ちょっとねえ、という現象がなきにしもあらず、です。一方、詳しい人は専門家以上に詳しい場合もあるというのが、聖書という書の不思議さと言えるでしょうか。
英訳聖書そのものの歴史については、文献のみならず、ネット上でも各種の情報が満載なので、詳細はそちらに譲ることとして、高橋さんのお話から、重要だと思ったり、興味深く感じた点を幾つかご紹介いたしましょう。

1. 聖書翻訳には名前を載せられないので、どの翻訳者がどの個所を訳したかは公表できないこと。また、著作権著作者人格権という法的な問題が伴うこと。
2. 本職の仕事を持つ忙しい日々の合い間を縫って、聖書翻訳をされている牧師や大学の先生や司祭のご苦労や大変さ。
3. 読者から聖書に関するたくさんの問い合わせの手紙やメールが寄せられていること。年間500件ほどを担当されていること。
4. 聖書図書館は、銀座の真ん中に位置するのに、日本で一番小さい図書館ではないかと思われる。しかし、年間1000人ほどが来館されるとのこと。大学図書館は紹介状が必要で、手続きが煩雑だが、聖書図書館は誰でも紹介状なしで入館できる。
5. 個人蔵書の話。収集家の寄贈本の他にも、例えば、家族の中で自分だけがクリスチャンなので、祖父母から受け継いだ大切な古い聖書を、死後、保存してくれる人がいないから心配だとのことで、聖書図書館に寄贈される場合もある。
6. 世界の諸言語聖書の蔵書は、元はイギリスの聖書協会世界連盟にあったが、現在ではケンブリッジ大学とニューヨークのアメリカ聖書協会に移した。そして、世相を反映してか、ブラジルのサンパウロにも、聖書収集の場所を作るという計画があるとのこと。
7. 個人訳は、今でも日本で続けられている。奈良在住の人が文語体で訳して出版した事例もある。
8. 聖書図書館への問い合わせで最も多いのが、次の二つ。(1) 欽定訳英語聖書の日本語訳を読みたいので教えてほしい。(←多くの人は、英語から聖書が訳されたと思っている。)(2)原典に最も忠実な訳はどれか。アメリカで一番読まれている聖書はどれか。(←どの訳も原典にそれぞれ忠実。教団教派や教会によっていろいろなので、「一番」というのはわからない。)
9. 研究資料としても、聖書図書館の蔵書は用いられる。例えば、遠藤周作の作品に引用されている聖書の版はどれか特定したい、との目的で来館され、非常に優秀なレポートだとほめられたとお礼の報告が来たこともある。文化大革命で聖書が焼かれてしまった中国の場合は、中国語訳聖書はほとんどがコピーである。ギリシャ語のある単語について、いつから男性形と女性形に分かれたのか特定したいということで、著名な新約学者A先生が来館されたこともある。コプト語の研究にも利用されている、など。
10.「聖書は本文のみ」というイメージを持つ人々も存在し、小見出しをつけた新共同訳に対する反対者もいる。小見出し抜きの聖書を、という要望もあったが、莫大な費用がかかるため、実現は困難である。

お話では、聖書図書館にある貴重な英語訳聖書8種類の写真を、全体、内扉、序文、読者への言葉、聖書日課系図、地図、創世記第一章、マタイ福音書第一章、ヨハネ福音書第一章、黙示録などのように、それぞれの聖書の特定のページを、ノートパソコンを通じてスクリーンで見せていただきました。70分のご講演でしたので、時間の関係もあってささっと駆け足だったのですが、写真を撮るのも大変だったでしょうし、だからこそ、ゆっくり眺めてみたかったなあと、贅沢なことも思ってしまいました。
各聖書の購入価格の話もおもしろかったです。結構値の張るもので、聖書協会ならではの特権として、ありがたく無料で頂戴できたものから、お金を払って購入したものまで、さまざまのようです。確かに、ジャワで作られた古いマレー語の聖書なども、今ではヨーロッパの古文書扱いなので、非常に高価なことは知っていましたが、改めて「高い!」と思います。現代では、聖書協会の尽力によって、比較的安価に自由に聖書が入手できることのありがたさは、つい看過されがちですが、だからこそ、物事の背景をしっかりと理解することの重要性を思います。
その他、配布資料として、寺澤芳雄東大教授の『欽定英訳聖書―その成立と書誌学的解説―附AV要語集南雲堂1982年)などもありました。マレー語聖書翻訳に関するノートは1999年頃から作ってありますが、どのようにまとめていくかという点で、非常にお手本になる文章です。

高橋さんのお話の後は、神戸ルーテル神学校教授の鍋谷先生から、この8月にドイツ聖書協会へ三度目の訪問として行かれた時の最新情報を、20分ほどうかがいました。これも大変貴重なお話だったと思います。大学の神学部とは、こういう講義が展開される場所かとずっと思っていたのに、どうやら聞くところによれば、最近では「それでは学生が集まらないから」という傾向のようで残念です。他方、神戸バイブルハウスでこういう話が聞けるとしても、平日の午後、少人数に限られるなら、それも至極もったいないことです。ブログを始めた理由の一つには、このような方面に興味のある方達にも広く情報が行き渡るように、という意図が含まれていましたが、鍋谷先生のお話も、まさにそれに該当するかと思われます。

シュトュットガルトにドイツ聖書協会はあるのですが、そこは「緑豊かな文化都市」だと紹介されました。また、聖書を多角的に紹介する展示場も設けられているとのことです。また、カトリックの聖書協会も隣にあって、一種の「ライバル」関係だそうで、それがよい刺激となっているようです。また、現在の総主事は「聖書学や神学は全く知らない」という弁護士出身の方だそうで、ドイツでも今は、経営感覚や国際感覚のある人が聖書協会のトップになるのだという、したたかな手法を教えられました。また、日本でも有名な、ある日本人学者やヘブライ大学の聖書学者に関する評価や動向、立場についても、現地に行ったので聞けたお話があったのだそうです。そして、先生が翻訳された『旧約聖書の本文研究教団出版局の著者へのお墓参りもされたとか。ドイツには、お墓参りの習慣がないため、先生の訪独に際して、大学教授であられる娘さんが、事前にお花を供えてくださっていたとのことでした。
肝心なのは、ご専門のBHQのお話なのですが、恐縮ながら、こちらが門外漢なので、この辺りで失礼させていただきます。ドイツで何冊かの新刊書を注文されたそうですので、詳細は到着次第、ということになるでしょうか。