ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

朝日新聞時代の緒方竹虎氏

今日の午後は、大阪の朝日新聞ビルで開催された『「緒方の朝日」と「正力の読売」』と題する今西光男氏の講座に出席しました。一番前の席を陣取って、3時から4時40分までたっぷりお話をうかがい、最後に挙手して質問もできたので、一応は満足でした。
「一応は」と書いた理由は、3月3日付の朝日新聞夕刊の告知では、「(緒方竹虎正力松太郎の)2人を通して戦時下のメディアの問題を考えます」という触れ込みだったのに、実際には、新聞人その他としてのお二人の経歴と周囲の人々を叙述的に語られただけだったことに、いささかガッカリしたためです。本当に聞きたかったのは、戦時下メディアの対照性だったはずでした。実際には、どちらかと言えば経営方針の差異に焦点が当てられたお話であって、私が期待していたような、思想的背景や人となりや組織を支えた人々の在り方などに関しては、時間の関係なのか、充分にはお聞きできなかったように感じられました。
講師の今西氏は1948年生まれで東大法学部卒業。今年で定年退職されたそうですが、がっちりした体格に黒々とした髪がつややかな方で、あとまだ10年ぐらいは現役ジャーナリストを続けられてもおかしくないようにお見受けしました。また、目ブチがやや充血気味なものの、眼光鋭く力の入ったまなざしの持ち主でいらっしゃいました。声も大きく、滔々とよどみなく流れるようなお話でした。

戦時下の朝日新聞緒方竹虎氏に関しては、今年3月5日から夕刊で連載があったので、それを切り抜いて持って行ったのですが、確かに重複する内容もありました。また事前に大阪府立図書館で検索しておいた関連文献リストも、合わせて持参しました。
ところで、御子息に当たられる緒方四十郎著『遥かなる昭和 父・緒方竹虎と私朝日新聞社2005年)は、しばらく前に読了済みですが、活字が大きかったこともあり、やや内容が平板な印象を受けました。本と言えば、奥様の緒方貞子先生の英文著作"The Turbulent Decade: Confronting the refugee crises of the 1990s" W.W.Norton & Company, New York, 2005や、日本語版博士論文やその他の論文の方が、私の関心に近くて非常におもしろかったので、つい比較してしまうのがいけないのかもしれませんが。また、お二人のご結婚披露宴に関わられた松本重治氏の『昭和史への一証言毎日新聞社 1986年もとても興味深く読みましたが、その聞き手を務められた國弘正雄氏には、先日の聖書翻訳ワークショップで初めてお目にかかりました。かなりお年を召されたなと思いましたが、ユーモラスな話しぶりはご健在でした。

...と、話が逸れてしまいましたが、講演はあくまで講演であり、本当にお話の内容をきちんと理解しようと思ったら、講師の著作を読まなければならないということです。今西氏は、今回のテーマに関して2冊のご著書を紹介されました。
占領期の朝日新聞と戦争責任』『新聞資本と経営の昭和史:朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩
後者は、上記のリストに含まれていたものです。

今西氏は、「新聞記者としてとても幸せな37年だった」と朝日新聞の自由闊達な雰囲気を褒め称え、「いろんなことができて幸せな人生だった」と振り返られました。そのため、「こういう自由な社風はどこから来ているか。このような雰囲気がずっと続いてほしい」と願って、今回のテーマでお話するという前置きでした。
そういう出だしだったので、こちらはてっきり、(緒方竹虎氏の哲学や思想背景を丹念に語られるのかなあ)と期待し、現在の朝日新聞も当時の雰囲気が本当に維持されているのか、もしそうだとすればその秘訣は何なのか、という点について知ることができるのかと思っていたのですが、それは先述のとおりです。

毎度のようにメモを取りながらの受講でしたが、学んだことについての私の感想は、ですからご著書を読んでから、ということになりそうです。

最後に、私の質問に対する講師のお答えを記して、今日のところはとりあえずの締めとさせていただきます。

Q: 今日のお話は、緒方竹虎氏と正力松太郎氏の違いについて、新聞の経営面が中心でしたが、人となりや思想面や教育経歴での相違は何だったのでしょうか。
A: 正力氏は原稿を書かず、思想的に言えば体制派の人。緒方氏は書いていたが、戦前はアカと呼ばれていた。玄洋社との関わりがあったので右翼的かと言えば、実は進歩的だった。政府批判はかなり激しかった。戦争回避の努力をし、朝鮮は独立した方がよいとか、中国との和平工作をしたりした。戦後は社会党に入るのかと思ったら、自由党に入った。日本がこういう状態の時には保守派で、ということだった。つまり、新聞人として書いている時には左翼で、政治的には右翼的だった。正力氏は基本的に商売人であり、緒方氏は新聞人だった。対照的な二人は、政界に入っても確執があり、ライバルであった。また、吉田茂との関係では、重光氏と緒方氏は相性が合わなかった。

ちなみに、参加者は開始前には22名ぐらいだったと数えましたが、その後は教室いっぱい埋まり、約30名はいらしたかと思います。多くは白髪頭の中高年男性で、中年女性や30代ぐらいの女性もちらほら見かけました。

私にとって、大阪の朝日カルチャーセンターで講座を聞くのは、これで2回目です。初回は2000年9月9日で、「21世紀の国連はどこへ」と題するお話を、やはり朝日新聞の記者(元朝日新聞ジュネーブ支局長)からうかがいました。日本の常任理事国入りの可能性やら高等弁務官でいらした緒方貞子氏の難民支援活動のため、日本政府も色をつけようとしているなどとお聞きした記憶があります。ここでも緒方氏が登場されていたのです。