「ごきげんよう」の使われ方など
2008年2月23日付「ユーリの部屋」の末尾で、「ごきげんよう」の使い方について、少し触れました。
当時の大学院の授業では、上流階級の人々が「ごきげんよう」を用いるのだと諭され、「小塩節先生の系統のキリスト教は上流階級のものであり、ユーリさんには関係がないのです。何でも平等だとか対等だとか、自分の価値観だけで世の中を考えず、世の中の判断基準を知るように」と指導されました。その頃、5歳から続けていた音楽学校への行き帰りに便利だからという理由で庶民的な小さな教会に通っていた私は、まったく赤恥をかく思いでした。しかし、もし本当にそうだとしたら、何のために、誰に向けて、小塩先生はたくさんのご著書を公刊され、テレビにもラジオにも出演されているのでしょうか。
実は9年ほど前、小塩先生は、私の住む小さな町の隣の市でも、ご講演をされたことがあります。その時は新聞広告で知っていたものの、院生時代の(上流階級…あなたには関係ない)などという言葉が思い出され、つい後さずりする思いで、行くのがためらわれてしまいました。相当気が弱っていたのでしょう。そういう貴重なチャンスを逃すことがあるので、やはり特に若い人達に対して、指導的立場にある方達は、充分気をつけて発言していただきたいものだと思います。主人に言わせれば、「それ、冗談じゃない?」とのことなのですが、まじめに授業中に指摘され注意されたので、今でも気になるわけです。そういう何気ないコメントが、こちらの半生に深く影響しているのだということを、是非ともわかっていただきたかったです。
確かに、皇族や旧華族の子弟が通う学習院の生徒や学生達が「ごきげんよう」を使うらしいとは、昔から聞いていました。では、その他にはどのような人々が用いる表現なのでしょうか。よく耳にする一例には、毎夕聴いているFMラジオのクラシック音楽番組で、N響定期公演の生中継の時、案内役の女性が最後に「ごきげんよう、さようなら」とおっしゃることが挙げられます。私もクラシックは大好きで、暇さえあれば聴いていますけれども、「社会階級」を持ち出されると、「ごきげんよう」とは、あくまで聞いて理解するのみであり、こちらは、一生涯使ってはならない定めに生まれたのでしょうね。
ところが、昨日発見したんです!
正午のラジオ体操は私の日課の一つですが、あの元気な体操のおじさんも、最後に「ごきげんよう!」と言われていたのです。なぜ、今まで気づかなかったのでしょうか。院生の時にも、正午のラジオ体操を日課に組み込んでいたのに…。あの時、「いえ、ラジオ体操のおじさんもそう言っています」と切り返しができたなら、私なりのささやかな自尊心がしこたま傷つくことなく、小塩先生にも隣の市で堂々とお目にかかれたかもしれないのに、本当に悔しい思いでいっぱいです。
それでも、先生に関して、一つうれしいことがありました。おとといの午前中、主人が朝刊を取り出し、「この本が読みたいでしょ?」と小塩節先生の新刊書を指さしたのです。新潮選書『銀文字聖書の謎』です。説明書きには、「四世紀、初のゲルマン語訳聖書が誕生した。訳者ウルフィラの足跡をたどり、千五百年を生き抜いた唯一の写本「銀文字聖書」を読み解く」とあります。加賀乙彦(著)『ザビエルとその弟子』講談社文庫と合わせて、早速、主人の会社経由で、一割引で注文してもらいました。楽しみですね。
また主人は、「前田護郎先生の本(『前田護郎選集2 聖書の研究』教文館)も出ているよ」と朝日出版情報の広告欄を見ていました。「高いのに、よくプレゼントしてくださったよね」とも。同じ部屋に本棚があり、新聞と本とを交互に見比べながら、夫婦共々、感謝しました。
その他にも、私の研究分野に関連する文献としては、マラヤ日本占領期資料フォーラム(編)『マラヤ日本占領期文献目録(1941−45年)』龍溪書舎がありますが、これも主人が教えてくれました。これだけは図書館で見るしかありません。一万円以上もする目録ですから。
さらに、イギリスの英国海外聖書協会が保存しているという19世紀のマラヤ地域派遣の宣教師達の残した記録を、是非ともいつかはこの目で見てみたいとリストを取り出したら、「会社のイギリス派遣の人に頼んであげようか」と調べ始めました。実は書籍の形ではないため無理なのですが、「僕が元気だったら、イギリス出張に連れて行って、調べもののチャンスを作ってあげたんだけどな」と言っていました。そうなんです。病気というのは、さまざまな人生の機会を制限し、チャンスを減らしていくものなのです。
私の場合はまだ、もしも死に物狂いで頑張るならば、可能性は全くの零というわけではないのかもしれませんが、こういう時、主人の無念さを思うと、私にとっても何ともやりきれない気分になります。だからなおのこと、私を援助しようとやっきになってくれているのですが。