ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自由かパンか? 自由とパンか?

昨日、これまで書いた「ユーリの部屋」を保存用に自家製本しようと思い立ち、ページ数を割り振っていただいたら、写真を一切含んでいないにもかかわらず、驚いたことに800ページ以上にもなると知り、我ながら呆れ返りました。
今読むと恥ずかしい文章も多々ありますが、それまで言いたくても言えなかったことや、記録に残しておきたいエピソードなどもたくさんあったために、自然とこうなってしまったというわけです。それ以前、ここに書いたような内容は、自分の中か、本当に親しい人にしか打ち明けていなかったために、非常に内向し鬱屈した気分で堂々巡りを繰り返しながら過ごしていました。聖書に記されている賢明な態度の勧めは、結論的にはその通りなのだろうと信頼しているものの、一方で、黙っていたらなかなかわかってもらえないことも事実ですし、信条が異なり、価値観の錯綜する世の中では、必ずしも万人に通じるものではないこともあるのだと知りました。

ところで、フィンランドの教育の話が、昨日の朝日新聞に大きく掲載されていました。読んでいて懐かしかったのは、紹介されていた教育法が、私の小学校5,6年の時とそっくりだったからです。今から考えても、あの担任の先生の決断と実践の勇気には、本当に多謝以外ありません。先生ご自身も、私共の結婚披露宴にご招待する際に、お電話で「いえ、あなた達の時代が、私にとっても一番力が入っていたのよ」という意味のことをおっしゃっていたのですが、もしそうだとすれば、よい先生に巡り合うことの大切さと一期一会は、とても貴重だと改めて感じます。
その後は、以前も書いたように、管理教育一点張りで、その‘悪影響’が今も自分の内に残っていることを残念に思うがゆえに(参照: 2008年1月23日付「ユーリの部屋」)、まして当時のことを重要な時期だったと考えるのです。
特に、「答えではなく考え方を教え」、「コミュニケーション力と思考力」が重要視されるフィンランドの先取り教育は、私の5,6年生時でも全く同じでした。教科書はあっても、それは単なるきっかけに過ぎず、国語や社会のみならず、算数まで常にグループ学習やクラス発表が求められたのは、私にとっては楽しくて仕方がなく、学校で過ごす時間は、体育以外、いつでも毎日ワクワクしていました(参照: 2008年2月8日付「ユーリの部屋」)。塾で答えを先に知って自分だけ賢しらに振舞うことを先生は最も嫌われ、「答えが間違っても恥ずかしくない。自分だけ知っているというような思い上がりの方が、むしろ恥ずかしい」「みんなで一緒に考えながら答えを探っていこう」「黙っているのはずるい態度。わからないならわからないと意思表示しなさい」「発言している人の方をちゃんと見て、きちんと話を聞きなさい」と何度も指導されましたが、その方針が私にぴったりだったので、ますます元気になったのです。塾も行っていなかったし、いろいろと考えて発言するのが大好きでしたから。

あのまま、中学と高校でものびのびした学校生活が送れる環境にあったならば、ずいぶん私も違っていたのになあ、と思うことしばしばです。「こうしなければならない」「それはだめだめ」などと細かく抑えつけられて、時間の使い方まで管理されると、どういう人間になるか、ということです。しかも共通一次試験もあってマーク式に飼い馴らされたことは、取り戻すエネルギーと損失を思うと、今でもぞっとします。
フィンランドでは、「都合の悪い意見でもそういう考えの人が世の中にいて、両方の意見を付き合わせて考えるべきだ」「学んだことを社会でどう使うか」に重点が置かれ、その点で日本は弱いとの指摘が書かれていました。
また、「応用問題まで記憶させるような東アジア型の勉強は一斉労働には向いているが、そうした仕事はロボットや発展途上国に奪われる。日本は点取りゲームをしており、自分の人生に関係のない学びになっている。」とのこと。それは、今でも職場等の業績査定に表れているのではないでしょうか。

この「ユーリの部屋」で書き連ねてきたことは、元はと言えば、先述の小学校時代の先生が、大人になってから「完全主義的で自己防衛が強い」と指摘された私のことさえ「おおらかな考えを持っている」といつも励ましてくださったことがきっかけです。自由で誰も思いつかないような考えを堂々と意見として述べ、しかも実行力があると、通知表かどこかで書いてくださいました。大学の指導教官(2008年2月20日付「ユーリの部屋」で「愛知の誇る碩学」とご紹介した先生)も、大学院受験の推薦書に「物事にこだわらない性格であり…」などと書かれていたのを思い出します。正直なところ、私にとっては、小学校5,6年と大学の学部時代が、もっとも自由で楽しく、のびのびと自己を伸ばすことができ、しかも後者では正統な学問精神の基礎と厳しさを教えていただいたように思っています。
今の私は、主人のおかげで自由にしていますけれども、時々、窮屈な思いにとらわれることがあります。なぜなのでしょうか。

昨晩、NHK教育テレビETV特集で、亀山郁夫先生がロシア訪問され、4人の方にインタビューなさっていました。先生のロシア語を聞けるかと楽しみにしていたのですが、それはともかく、「自由かパンか」の問いを改めて突き付けられ、「いえ、真の意味で自由な精神があれば、自然とパンが行き渡るような社会になるのではないでしょうか。そのように努力すべきです」と叫びたくなりました。「自由もパンも」という設定は、何だかよくわかりませんでした。私がロシアに行ったこともなく、想像だけで考えるからなのかもしれませんが。