ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

パレスチナとキリスト教

メムリ(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=IA131317


Inquiry and Analysis Series No 1313 May/13/2017



1967年境界のパレスチナ国はハマスPLO間合意のひとつの共通方式
パレスチナは川から海まで、武力闘争も継続―
C・ジェイコブ(MEMRIの研究員)




2017年5月1日、ハマスが、運動指導者全員の承認した政策文書を発表した。指導者達は、この文書がハマス憲章にとって代わるものではなく※1、運動の立場を現時点に合わせたものと明言している。この文書は、ハマスのスポークスマンによって、ハマスの原理原則を譲らぬひとつの展開、として提示された※2。


ハマスの指導者マシァル(Khaled Mash`al)は、文書発表時に、次のように言った。  第1、4年前ハマスが、現実に実行中の政策に合わせた政治計画をたてることを決めた。第2、この政治計画は運動の権限の源である。第3、その2年後、この政治計画の詳細について、深く突っ込んだ検討が始まった。第4、国際法の専門家と協議した後、ハマス指導者全員の名において文書にまとめられた。第5、この文書でハマスは、現在抵抗と戦闘の分野で実行中であるが、政治的機能における"展開"と"刷新"を提示した。勿論運動の要求とパレスチナ人民の権利に譲歩することはない※3。


この政策文書は、世界におけるイメージをよくして、ファタハPLOと政治的立場を共有するかのように振舞い、つまるところプラグマチックで民主的且つ過激ではないような印象をつくりだすのが狙いである。しかしながら、それは、解決不能の内部矛盾にみちている。そのひとつが、1967年境界の国家は、ハマスファタハそしてPLOの"民族合意のひとつの共通方式"としながら、同じ文書のなかでハマスパレスチナを一部でも放棄する意志がないとし、難民の郷土帰還権を要求し、イスラエルの承認はないと主張する。更にこの文書は、ハマスが武力闘争とジハードを継続するとも述べているのである※4。



何か変った点はあるか


ハマスムスリム同胞団の関係が指摘されていない。この新しい政策文書は、西側とアラブ諸国の耳に心地よく響くことが狙いで、ハマスムスリム同胞団(MB)の関係に全然触れていない。文書はハマスを民族的イスラム運動と規定し、同胞団のパレスチナ支部とは全然言わない。マシァルは、文書発表時の記者会見で、ハマスは同胞団の教派に属するが、独立したパレスチナの組織で、ほかの組織には従属していない、と言った※5。文書は運動のイスラミスト的側面を強調しない。例えば、憲章には明記しているのに、パレスチナの地は、ワクフ(イスラムの基本財産)の地として指摘することがない※6。


ハマスの強調点


戦闘対象は占領とシオニズムユダヤ人ではない


政治文書は、憲章にしみこんでいる反ユダヤ主義から距離をおこうとする。そこで、ハマスユダヤ人だからといってユダヤ人を攻撃しているのではなく、占領とシオニストの事業に反対して戦っているのだ、と強調する。この政策文書は、「ハマスは、民族、宗教或いは人種を理由に、人間を迫害し或いはその権利を傷つけることに反対する。反ユダヤ主義ユダヤ人迫害は、ヨーロッパ史にかかわる現象であり、アラブとムスリムの歴史には関係がないシオニスト運動は、既に世界で終っている入植占領の危険例であり、パレスチナでも終らせなければならない」と主張する※7。


イスラエルとの交渉―今は無い


ハマスは憲章で、イスラエルとの交渉を全面的に否定している。それと対照的なのがマシァルの説明で、時によりハマスイスラエル交渉の場は ないとし、「交渉はひとつの道具であり、我々はそれを(我々が)変え得るものとして扱っている。ハマスの(現在の)政策は、タイミングが許さないので対イスラエル交渉に反対する。今日イスラエルは、交渉をひとつのだましの手として使っている」と述べ※8、「しかし、原則からいえばそのような交渉を阻止するものは何もない。預言者ムハンマド)とサラーフ・アッディーン(サラジン)は敵と話をした」とつけ加えた※9。


変っていない点は何か


1.パレスチナ解放を目的とする武力闘争とジハード
政策文書は「パレスチナ解放の抵抗とジハードは、我々人民と我々ムスリム全員にとって、合法的権利、任務そして名誉である…占領に対するあらゆる方法、手段による抵抗は、聖なる法と国際法によって認められた合法的権利である…そしてその最たるものが武力闘争であり、これは、原則を守りパレスチナ人民の権利を回復するための戦略的選択である…ハマスは、抵抗とその武器を傷つけることに反対し、人民の抵抗手段の発展権を強調する」としている※10。


2.難民の帰還を実現
「1948年或いは1967年に占領された地域―即ちパレスチナ―について、そこから引き離され戻ることを禁じられているパレスチナ難民、土地から引き裂かれた人々の帰還権は、個人及び集団の当然の権利である…ハマスは難民問題の抹消計画或いはその試み―パレスチナ以外の地或いはほかの地での再定着を含む―に反対する。ハマスは、土地から追い出され占領された結果、難民となり土地を失った人々に対し、帰還権と共に補償の必要性を強調する。そしてこの補償は帰還権が履行された後に、実行されなければならない。帰還権を放棄することはなく、それを傷つけてもならない」※11。


3.イスラエルを承認しない―イスラエルの存在は当初から無効
ハマスの政策文書は、「1967年の境界内にパレスチナ国家につくることは、それは運動がシオニスト存在体を承認することを意味しない…イスラエルの存在は、当初から無効であり、その存在はパレスチナ人民の権利に反する…シオニスト存在体の合法性は認められない」と強調する※12。


4.川から海までパレスチナ
ハマスの政策文書は「パレスチナについては、如何なる条件、状況であっても、そして又如何なる圧力があっても、そして占領がいつ迄続こうとも、絶対に妥協することはない。ハマスは、川から海までのパレスチナの完全解放とは異なる代案は一切拒否する…東はヨルダンから西は地中海、北はラスナクラ(ロシュハニクラ)から南はウンムラシラシ(エイラートに至る領域のパレスチナは、ひとつにまとまった領土単位であり、パレスチナ人民の郷土である。パレスチナ人民をそこから追い出しその地から離散させ、その跡地にシオニスト存在体をつくっても、この全域に対するパレスチナ人民の権利を放棄することにはならない…」と主張している※13。


パレスチナ国家の定義


メディアが一番注目し、ハマスのプラグマチズムの発展としてとりあげたのが、1967年の線を境界とするパレスチナ国家に触れた個所である。表現があいまいなので、ハマスが1967年境界のパレスチナ国家の建設を受入れるのかどうか、明確に理解することができない。文書は、"ハマスファタハそしてPLOによる民族合意のひとつの共通方式とみなす"としか言っていない。

前述のように、この政策文書は「パレスチナについては、如何なる条件、状況であっても、そして又如何なる圧力があっても、そして占領がいつ迄続こうとも、ハマスは川から海までのパレスチナの完全解放とは異なる代案は一切拒否する」と述べ、「同時に―そしてこれは、シオニスト存在体の承認を意味せず、パレスチナ人民の権利について妥協するものではない―ハマスは、1967年6月4日の線でエルサレムを首都とする独立主権国家パレスチナの建設と、難民そして土地を追われた個々人の郷土帰還を、民族合意のひとつの共通方式とみなす」と表明した※14。



更に指摘しておくべき点がある。即ち、1967年境界の国家建設を"民族合意のひとつの共通方式"と書いたのは、新しいハマスの立場ではない。これまでマシァルが何度も言っており、ハマスの指導者故アフマド・ヤシンも同じことを話した。この立場は、ハマスファタハ和解文書にも表明されている。今回目新しいのは、これが運動の最高機関シューラ会議によって承認された。ハマス指導部全体の立場表明という点だけてある。



[1] ハマス憲章の英訳は次を参照:MEMRI Special Dispatch No. 1092, The Covenant Of The Islamic Resistance Movement – Hamas, February 14, 2006.
[2] Palinfo.com, May 1, 2017.
[3] Youtube.com/watch?v=smbIS-YIT1g, posted May 1, 2017.
[4] Palinfo.com, May 1, 2017.
[5] Al-Yawm Al-Sabi' (Egypt), May 1, 2017.
[6] Palinfo.com, May 1, 2017.
[7] Palinfo.com, May 1, 2017.
[8] Al-Yawm Al-Sabi' (Egypt), May 1, 2017.
[9] Youtube.com/watch?v=smbIS-YIT1g, posted May 1, 2017.
[10] Palinfo.com, May 1, 2017.
[11] Palinfo.com, May 1, 2017.
[12] Palinfo.com, May 1, 2017.
[13] Palinfo.com, May 1, 2017.
[14] Palinfo.com, May 1, 2017.

(引用終)

メムリ(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP693817


Special Dispatch Series No 6938 May/24/2017

我々の中のIS的文化風土―キリスト教徒に対する排除と非寛容
パレスチナ人指導者の警告―



パレスチナ解放民主戦線(DFLP)のメンバーでPLOの海外問題部長アブゴシュ(Nihad Abu Ghosh)が、2017年4月17日付パレスチナ紙Al-Hadathに、パレスチナ自治区PA)に居住するキリスト教徒の惨状とその人口激減について報じた。アブゴシュによると、これは占領という事態に起因するだけでなく、パレスチナ社会に浸透しているイスラム国(IS)的文化風土に由来しているという。例えば、エルアクサのイスラム説教師達は、キリスト教徒に人頭税を課せとか、キリスト教の祝祭日にはキリスト教徒に挨拶するなと主張する。キリスト教徒に対するむごい仕打ちで教徒の流出はとまらず、さまざまな宗教が共存するというパレスチナ社会のイメージも崩れる。このように指摘するアブゴシュは、キリスト教徒保護を公けの問題としてとりあげ、解決策を講じなければならないと主張する。以下その記事内容である※1。


Nihad Abu Ghosh (image: Al-Hadath, Ramallah, April 17, 2017)


中東地域でキリスト教徒が直面している危機的状況について、時々その警告を耳にしている。イラクとシリアでキリスト教徒社会が潰滅的攻撃をうけ、エジプトでは度々教会が爆弾テロに見舞われているから、その警告は当然である※2。一連の事件に伴っているのが、共存を否定する論議、他者を異端として非難する態度、キリスト教徒を今尚ズィンミー扱いし、二級市民視する差別意識である※3。例外なくすべてのアラブ国家が、信仰、出身、人種或いはジェンダーの如何を問わず市民全員に平等の権利と義務を保障する市民社会をつくれなかった。



我々の隣人であるトルコでは、20世紀の10年代だけでキリスト教徒の割合は30%から1%以下に激減した。アルメニア人、シリア人そしてアッシリア人の虐殺、ギリシア人を含む民族浄化と住民移送等によって、減少したのである…。



イエス・キリスト生誕の地パレスチナではどうであろうか。この地にキリスト教徒絶滅の危機はないのであろうか。この問題に答えるとして、いつも民族融和とか共存といった口あたりのよい話が持出され、或いはかくかくしかじかのキリスト教徒知識人や芸術家、政治家がいるとして、キリスト教徒保護の有力な証拠としたり、キリスト教徒の激減を占領のせいにしたりするパレスチナ自治区)のキリスト教徒人口は、ナクバ(大災厄の意味、1948年のイスラエル独立)の前20%を占めていたが、1967年の占領後2%以下になってしまった。ちなみにイスラエルをみると、全人口の10%がアラブ系の住民(注、正確には20%)、キリスト教徒は2%を占める。



占領が、パレスチナ人、キリスト教徒、ムスリムに悲劇をもたらし流出要因になったのは間違いないが、文化的人口的環境 も流出につながっている。この傾向はムスリムよりキリスト教徒の方が強い。移住先で同質的社会に融合されるのである。例えば南米特にチリでは、パレスチナ人社会がいくつもあるが、圧倒的にキリスト教である。



警告すべき危機は本物であり、深刻である。それは何かというと、ISとその犯罪とかかわるだけでなく、IS的文化と、パレスチナキリスト教徒を排除する環境の存在、である。今日でも、アルアクサモスクの説教師達は、占領者や入植者はそっちのけにして、キリスト教徒にジズヤ(人頭税)をかける話をしたり、キリスト教の祝祭日にキリスト教徒に祝意を表明することを禁じるファトワをだした者もいる。或いは、役所と評議会に余りにも多くの地位が(キリスト教徒に)提供されているといった話をする者がいる。



キリスト教徒の惨憺たる状況は、我々が(つくりあげようと)願う寛容の文化、市民の権利と義務の原則を侵害するのみならず、パレスチナの民族アイデンティティを損なう。このアイデンティティは、シオニストの計画した単一の一神教と人種主義的社会とは違って、さまざまな宗教、人種を含む複合的パレスチナ社会を意味するものであった。我々のパレスチナアイデンティティは、刺繍をしたあでやかなパレスチナの民族服と4色の旗に象徴されている。単色のIS旗やタリバンが女性に着せるチャドル(頭からつま先まで体を隠す黒のローブ)とは違うのである。



エルサレム旧市のアルメニアキリスト教徒)地区をユダヤ人地区に併合するイスラエルアメリカの計画に、故PA議長アラファトは激怒して、「私はヤシール・アラファティアン」と(アルメニア風の発音で)言った。彼は、パレスチナアイデンティティの複合的イメージを重視し、すべての社会構成要素―ムスリムキリスト教徒、サマリタン、非シオニストユダヤ人―に、パレスチナの公的機関への登用の機会を与えた。この(キリスト教徒流出)問題は、キリスト教徒の傷口を癒し、歴史的なキリスト教徒の存在を守るために、最高レベルでのオープン且つ率直な検討が必要である…。



※1 2017年4月17日付Al-Hadath(ラマッラ)。
※2 最近エジプトで教会に対する爆弾テロが発生している。2016年12月11日、カイロのアバシヤ地区にあるコプト派教会のチャペルをターゲットにしたテロでは、25名死亡、49名の負傷者がでた、2017年12月12日付Al-Ahram(エジプト)。2017年4月8日には、タンタとアレキサンドリアの教会がISの爆弾テロで破壊された、2017年4月10日付Al-Hayat (ロンドン)。
※3 ムスリムの支配と保護下におかれる従属的非ムスリム社会のこと。

(引用終)